古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

最後のマラソン大会

2013-03-07 | マラソン
 ホテルで目覚めたのは6時、6時半朝食。7時20分、マラソンの着替えなど必要なものだけ小さなバッグで携帯し、他はフロントに預けてチェックアウト。駅前には、選手送迎バスの並ぶ選手たちの長蛇の列。錦帯橋横の会場に8時過ぎつきました。河川敷にテントが並び受付をやっています。受付でプログラム(選手名簿)をもらい、雲一つない青空(写真)の下、河原で着替えをしました。時間があったので、少し川沿いに歩くと、岩国出身の有名人の言葉の碑が並んでいた、広中平祐、河上肇などみられる。山上には岩国城も見えます。

 9:20、2300人余のハーフマラソンランナーが一斉にスタートしました。1分、スタートラインを踏む。コースは、おおむね錦川沿いです。
 13㎞地点に近づきました。私の5~6m前を走っている一人のランナーが、突然、大会スタッフにかこまれました。「何だろう」、私が近づくと、私にも「タイムオーバーです。ランナーズチップを回収させてください」。「制限時間の95分を超えました」
「エエッ」。腕のストップウオッチを見たら1時間36分。1分オーバーです。そこが13㎞の関門だった。
 13㎞の第一関門は、まったく意識にありませんでした。傍にランナー収容バスが停まっています。「終わった」、水を一杯頂いてからバスに乗り込みました。
1分の遅れですから、1㎞前あたりに「13㎞関門(95分)に後1㎞」の表示があれば多分ピッチを上げて関門通過できたでしょうが、まったく突然でした(プログラムにはその表記がありましたが、見おとしていた)。
 まぁ、突然であろうがあるまいが13㎞だったら1時間半では通過していなくてはならない。95分で止められたのに文句は言えない。
 13㎞しか走っていないので、疲れは全くありません。「まだ1時間は走れたんだが・・」独り言を言ったら、スタッフが「走りたければ走ってもかまいませんよ」という。
「(ランナーズチップなしでは)完走証をもらえないのに走っても意味ないから・・」とご好意は辞退。コースも後は帰りだけで、前半で景色はすべて見ていたから、止められたら走る意欲はありません。
なぜか「いのちに終わりがある。恋にも終わりがくる」というはやり歌(粋な別れ)を思い起こしました。「マラソンにも終わりがある」、それが人生というものです。
 もう2年前から、スピードの衰えは明らかで、「制限時間で走れなくなったらマラソン大会出場は引退しよう」と考えていました。その時期が来たのです。
 50代で47都道府県の大会を走り、60代で、も一度47都道府県を走る。更に70代で19都府県のマラソンを走り、20(都府)県目でした。
 ここ景勝の襟帯橋で13㎞だけとはいえ、ファイナルランを走れたのは幸せです。

 余談になりますが、なぜ加齢でスピードが上がらなくなるのか?
前にメールしたことがありますが、身体の細胞の時間がゆっくりになるからだ、と思っています。学問的に証明された話ではないが、私の近年の体験は、そう考えるとすべてうまく説明できるのです。
 本川達雄先生によると、体重・時間あたりのエネルギー消費量の多い動物ほど、時間が早く流れて寿命が早く終わる。そして人間にあっては、加齢すると、この時間あたり消費エネルギーが小さくなる(だから食べる量を減らさないとメタボになる)。この時間あたり消費エネルギーが小さくなると時間がゆっくり流れる。つまり、時計の時間が1時間たっても、体の細胞の時計では50分しか経過しないというような現象が起きる。逆にいうと、身体の細胞の時間が1時間の時、世間では1時間以上が経過している。だから、スポーツのタイムは加齢により低下する。加齢で時間がゆっくり流れるのは、残された寿命を少しでも長く使おうとするからかも?
 11時45分、バスでスタート地点に戻り、預けた荷物を受け取り帰り支度、襟帯橋(写真)にお別れすることに。

12時15分の選手送迎バスで岩国駅に戻り、ホテルで預けた手荷物をもらって、13:09の山陽本線に乗車。乗車の時、面白かったのは並んでいて列車が着いたのに、扉が開かない。最前列の人が開くのを待っていたら、後ろの人が前に出てきて、扉脇の「開ボタン」を押した。山陽本線の車両は開閉のボタンがある。省エネのためかな?都市地域では見慣れないものです。
広島までは50分(岩国と広島は近いのですね)でした。新幹線「さくら」で新大阪へ、「こだま」に乗り換え17時、名古屋駅に着き、三日間の旅を終えました。