古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

萩城址

2013-03-06 | 旅行
 2日、6時半に目覚め、7時朝食。すぐにホテルをチェックアウトして7時半ごろの電車に乗りました。博多には8時15分ごろ着きましたが、新幹線の新山口に停まる電車が1時間後の9:12までない。これは誤算、「ホテルでもっとゆっくりしてくれば良かった」。立派な待合室に行き、本を読みながら時間を待ちました。
新山口で降りたかったのは、 萩城址は是非見たいと思ったからです。ご存知のように毛利家37万石の城下町だが、城郭はない。明治6年に公布された城郭破去法に率先して応じ、萩城の建築物はすべて競売に付され、以後再建されることなく、現在に至っているという。明治維新の立役者として、率先、維新政府に協力したらしい。もっとも城の機能は、文久3年(1863)すでに山口に移転して解体されていた。徳川幕府に遠慮させられて萩に蟄居していたのが、幕末になってその必要はないと長門の国の中央に移転したようだ。
 新山口駅からは10:30のバスに乗り12時ごろ東萩駅前に着いた。駅構内のロッカーに荷物を預け、インフォーメーシヨンで「レンタル自転車の店ないですか」と聞くと「駅前のホテルの1階にレンタルサイクル店があります。荷物も預かってくれます」という。
「しまった!コインロッカー代¥300損した」と思った。
 自転車を借り地図をもらい走り出す。晴れてはいるが、風が冷たく寒い日だ。
 橋本川という川に出て川沿いに走ると、「萩八景遊覧船乗り場」という所に出た。遊覧船を楽しむには寒すぎる。
 城の入り口の本丸門、毛利輝元の銅像があります。¥210を払い、自転車のまま場内に入った。突き当りに志都岐山(しづきさん)神社という毛利家代々の藩主を祀る神社があった。お城が指月山という山(143m)の麓に建てられたからの神社名だろう。城内も指月公園という公園になっている。
お参りした後、本丸跡に行ってみる。天守閣跡に上って、内堀を見下ろしてみると、石垣は立派です。


 城内には萩焼の窯元や資料館があった。公園を自転車で散策した後、本丸門を出ると、旧厚狭毛利家萩屋敷長屋という国指定重要文化財があったので、入ってみた。お城の入場券の半券で入れます。
 厚狭毛利家というのは、毛利元就の5男を始祖とする、厚狭(山陽小野田市)を知行地としていた毛利一門という。そういえば、厚狭という新幹線の駅があった。
 重要文化財ということだが、建物の造りは質素なものだった。
ぼつぼつ戻ろうか、と東萩駅方向に走ると「周布家長屋門」があったので寄ってみた。周布政之助は幕末の歴史小説でよく聞く名前だが、毛利家の重臣にしては、これまた質素な建屋です。
 街の風景をみながら東萩駅に戻ってくると2時10分、2時間の市内散策、自転車を返すと料金は¥400でした。新山口駅行のバスは2時半発というので、それに乗ることにした。寒くて体が冷えてしまったので、売店で熱い珈琲を買ってバスに乗り込みました。4時過ぎに新山口に着き、4:20の山陽本線に乗ることができました。「岩国は何時に着く?」と車掌に聞くと「18:12です」。時間を調べてなかったので、「新山口から岩国までそんなにあったの?」と思いました。もちろん萩も山口県ですから、山口県も意外と広い、と感じた次第です。
 岩国では駅前のビジネスホテルに泊まりました。朝食込みで料金は¥4200ですから、岩国は物価がは安いのかな?