古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

水泳談義

2013-03-05 | 水泳
3月1日、今日から3日間の旅。7:32名古屋始発広島行のひかりに乗車しました。乗車早々車内放送が「岡山までは各駅停車です」。ひかりと言っても、こだま並み。「まぁいいか」。でも2時間で岡山駅に着いたからひかり並と言ってよい。広島駅では雨が降り出していた。30分ぐらいの待ち時間があって、さくらに乗り換え。博多駅に12時4分着。地下鉄で姪浜、ここから筑肥線で筑前前原駅には1時ごろだった。とりあえず予約したホテルに荷物を預けようと、小雨の中を歩き始めたら、声がかかる。大師匠’知人の愛称)が、駐車場に出迎えていてくれた。
久闊を叙して、車に乗り込む。「まずプールに行きましょう」と大師匠。彼と一緒に泳ぐのは20年ぶりくらいかな。彼の行きつけのプールへ案内してもらいました。
着替えをしてプールに入る。泳ぎ始めたら、「泳ぎ仲間を紹介します」と数人の友人を紹介してくれました。
KOJIMAさんという平泳ぎの達人がいました。私も平泳ぎを教えてもらおうと、「50m泳ぎますから泳ぎをチェックしてもらえませんか」と泳いでみせると、3点のワンポイント指導をしてくれました。「小指と薬指をくっつけて泳ぐことを意識してください。指の間が開いているので掻く水がもれていて勿体ない。小指と薬指をくっつけると、指は全部くっつきます」、「体重の中心を思いきって前に動かすと力強いプルになります」、「泳ぎは8割方完成した泳ぎですが、ターンがまずい。ターンはもっと深く潜水して水中で折り返した方が空気抵抗のない分、早くできます」と、的確にコメントしてくれた。
「この人は指導がうまい」と思ったので、「バタフライも50m泳ぎますから、チェックしてください」と50泳いでみせた。
「腕のプルが開いていますね。」という。「さすが!」。実は肩の痛みが完治していないので、肩の負担が少なくなるよう、腕の回転をなるべく体の前で回す、つまり肩を開いて回していたのです。「見破られた!」
ターンについても、平泳ぎと同じことを言われた。
4時前、プールを上がり、大師匠にホテルまで送ってもらいました。5時半ごろ再度、今度はタクシーで迎えに来てくれ夕食会場へ。途中、大師匠の水泳仲間のHAYASHIさんを拾います。KOJIMAさんも、BMWの真っ赤なスポーツカーで現れました。水泳が縁の4人での夕食会。ビールと焼酎を傾け、話は弾みました。
HAYASHIさんは、82歳ながら、今でも一日2㎞~3㎞泳ぐという。2011年の100m、200m背泳の全国ランキング80歳区分で1位という強者です。
「昔から背泳専門ですか?」と聞くと、「いや、若いころはクロールだった」とのこと、学生時代は明治大学の水泳部で活躍したという。
「その頃だったら、中京高校から早稲田へ進んだASANOさん、ご存じでしょう」と聞くと、「ASANO MITURUさん、知ってますよ。彼は私より2歳若かったが、大会で一緒に泳いだ」。
ASANOさん(ヘルシンキオリンピック日本代表)は、現在愛知県体育館で水泳を教えている。私も週一回、泳ぎを見てもらっている方です。
「ゆったり泳げるのは、足のキックがうまい人です」とkOJIMAさん。
「東京の水泳教室で、キックが完璧になるまで腕の掻きをおしえなかった所があった」とHAYASHIさん。「今年は名古屋でジャパン・マスターがあります(7月)から名古屋に行きます」。

大師匠は、KOJMAさんにしてもHAYASHIさんにしても、ここ1年くらいの間に、食事を共にする友人関係になったという。一芸に秀でた人とすぐ親しくなるというのは、彼の特技らしい。
相撲の話になった。大師匠は言う。
「僕、千代の富士の幕下時代のサイン色紙を持ってます。家宝です」。
幕下のころに、将来の大横綱の素質を見出していた?これはすごい!
 延々と話が盛り上がり、打ち上げてホテルに帰ったのは9時でした。