古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

変化に対応する時間量

2010-11-30 | 経済と世相
内山節さんに注目しています。
28日の中日紙に、内山節(たかし)さんの「変化に対応する時間量」という寄稿が載っていました。
【もしも日本の社会から稲作が消えていくとしたら、それは善なのか悪なのか。この問いに対する答えは、何年かけて消えていくのかによって全く違うものになる。
 仮に2000年をかけて消えていくとするなら何の問題もない。日本の稲作の歴史はおよそ2000年なのだから、それと同じくらいの時間が保障されれば、その間に新しい食文化が生まれるだろうし、農民も新しい農業形態を生み出しながら、稲作に依存しない農村をつくりだしていくだろう。
 では10年で稲作を一掃したらどうか。間違いなく悪である。なぜならこんな短期間に変えてしまったのでは、私たちの食生活も、農民や農村社会も対応できなくなってしまうからである。
 このことは自然に対してもいえる。自然や生態系も少しずつ変化している。だから自然の変化自体は悪ではない。ところが人間が一方的な開発などをすすめると、自然はその変化に対応できずに崩壊していく。自然が変化に対応していける時間量を保障しないで変動を与えることは、自然の破壊を招くのである。
 最近でも、社会の変化にはスピードが大事だという意見をよく聞く。もちろん簡単に直せるものが、既得権にしがみつく人々によって阻害されるのは問題であるが、自然や人間たちが対応するために必要な時間量を保障しない変化は、社会を混乱させ、最終的には社会に思い負担を負わせることになる。
 この視点から考えれば、近年の雇用環境の急激な変化は誤りであった。なぜならあまりにも急速に安定雇用の形態を崩してしまったために、この変化に対応できない大量の人々を生み出してしまった。・・・・・時間量を保障しない変化は、その変化についていける強者とついていけない弱者を、必然的に生み出してしまうのである。ここに弱者と強者が分離していく社会が発生する。。・・・・・
 自然にやさしいとは、自然が生きている時間に対して、やさしいまなざしをもっている、ということだ。同じように、人間の生きている時間に対しても、やさしい社会を私たちはつくらなければいけない。】
 すばらしい意見だ!この筆者はどういう人だろう?グーグルで調べたら、1950年生まれ、高卒の哲学者で現在立命館大学院教授。著書に、哲学の冒険(毎日新聞社 1985年・平凡社 1999年)、時間についての十二章(岩波書店 1993年)など。
http://www.uthp.net/