古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

色平哲郎さん

2010-11-06 | 経済と世相
 11月5日の中日夕刊に、長野県佐久総合病院の内科医、色平哲郎さんのインタヴューが掲載されていました。「人間は最後は死ぬ」(当然ですが)、「日本みたいにいい国はない」(政治家にボンクラが多いとしても)。言われてみると、そうですね。

 地域医療の崩壊が叫ばれています―-―

『言いにくいけど、僕のように途上国を回ってきた人間からすると、日本ぐらい恵まれたいい国はないんです。こんなところで何を悩んでいるのかと感じます。

 日本人は、自分は(永久に)死なないんじゃないかというくらいの期待を持っているがゆえに、医者にかかってもあきらめることができなくて・・・あがいているでしょ。』

 なぜ日本人はあがくのでしょう――――

『今までに3段階あった医療技術の革新を考えるとわかる。第一次医療技術革新は感染症の時代。戦後、結核に対するストレプトマイシンという、打てば治る「完全技術」が入ってきた。ベッドもいらなくなるくらいすごい完全技術。日本人はのけぞった。こんな技術を持った国とよく戦争したものだと。

 第二次革新は、コンピュータ断層撮影(CT)などによる診断技術。・・・診断すればするほど病名はたくさん付くけど、治療はしきれない。医療費ばかりどんどんかかっちゃって、どうにもならないという不完全技術なんですよ、第二次革新は。

 第三次はどうかっていうと、私の学生時代の終わりごろ、米国発で移植とかゲノムとか、今はやりのものが情報として届いた。その時は僕ものけぞった。もし第三次が第一次のような完全技術だったら、大変なことになる。日本人はたぶん300歳まで生きる。宗教心や信仰がなりたたない世界になりかねないと。

 でも、この20数年を見ていると、第三次も不完全な技術だということがわかった。つまり、技術論敵に人間の寿命はそれほど延びないんです。

 人はいずれどっかであきらめなきゃいけない。

 お金とか技術で解決できない価値、たとえば信仰とか、家族とか、コミュニテイとか、古来人間を支えてきた価値に戻った方が統計的にも結局、元気で長生きしてるということが分かってきてるんです。

 僻地での経験が大きかった。

 『「地域医療とは何か」という問いへの答えを求められると、それは「お弔い」なんですよ。長く地域にいると、治せる病気は治したとしても、残念ながらみんなお弔いになる。「善光寺のお坊さんです」と冗談をいうことがあるんですが、お坊さんみたいな仕事をせざるを得なくなる。

 日本は皆保険になって50年。

 世界では、今、50ヶ国くらいが皆保険になっているといわれるんですけど、たとえば韓国は21年前、台湾は15年前、タイでは8年前から皆保険が導入されました。まだまだ給付は手薄いけれど、日本が49年前に取り組んだ皆保険を、今アジヤ諸国が苦闘の中で目指している。

 先日もアフガニスタンの医師と会ったんですですけど、戦乱の中にあるアジヤの連中が佐久総合病院の歴史をみると、すごい感動みたいです。敗戦による焼け野原の国土で、農民のために頑張って皆保険を実現していくなんて、伝説のように思えるみたい。』

下記は色平さんの“ぶろぐ”です。

http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/blog/irohira/