古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

わが人生の歌語り

2009-11-12 | Weblog・人生・その他
 尾張名古屋のNOZUEです。

「わが人生の歌語り」、第1回から第5回までのアンコール放送が、8日の日曜日から今日まで毎朝4時から放送されました。これを聴くために、5日間、朝4時に起きました。

 今朝は、特に懐かしい歌が放送されました。

「湖畔の宿」

「蘇州夜曲」

「南の花嫁さん」

「誰か故郷を思わざる」

「新雪」です。

 昭和15~17年頃の歌ですが、戦時にこんな美しいメロデイの歌を生み出した日本人は、「捨てたものじゃないな」と思いました。

 放送では、「誰か故郷を思わざる」を、オリジナルの霧島昇でなく、冠二郎がうたっていたのが珍しい。語り手の五木寛之さんが、冠二郎に特にこだわりがあったのでしょう。

 戦時の歌と言えば、昨日は「麦と兵隊」(徐州々々と人馬は進む・・・)が放送されていましたが、日本の軍歌というのは、何か哀切なメロデイがあります。

 軍歌ではないのですが、「明日はお立ちか」も昨日の放送にありました。これは、オリジナルは勝太郎ですが、珍しや、天道よしみがうたっていました。

「明日はお立ちか お名残おしや・・」という歌です。

 この歌には個人的な思い出があるのです。

 昭和45年、愛知県の労働組合役員の中から3名(三重県から1名)の中の一名に選ばれて、米国国務省招待の米国見学に出掛けることになりました。

 当時のD社の社長(創業者)がとても喜んでくれて、お祝いに円頓寺(えんどうじ)の料亭につれていってくれました。

 宴なかば「おまえ、歌を歌え!」と言います。明治27年生まれの社長の知ってる歌でないと、と私が歌ったのが、この「明日はお立ちか」です。私が小さい頃、親父がよく口ずさんでいた歌でした。

 社長が、すっかり喜んで一緒に合唱してくれました。



 5日間で24曲の懐メロを聴きました。私は五木寛之さんとは4歳違いですが、ほぼ同世代といえるでしょう。すべて、私にはおなじみの歌ばかりでした。

 その中で、(上記の曲以外で)オリジナルと違う歌手がうたった曲を下記します。


影をしたいて  五木ひろし

花嫁人形    山崎ハコ

別れのブルース 青江三奈


 それぞれに、味のある歌い方でした。良い歌は、世代が変わっても歌い継がれます。