伊賀上野と榊原温泉を旅しました。
私が労組役員を退任したのは36年前、D社を退職してから13年も経っているのに、嬉しいことに、「一緒に旅行しましょう」と当時の仲間から声がかかりました。万障繰り合わせ参加することにした。13日、14日、行き先は榊原温泉です。
朝早めに出て赤目四八滝もついでに訪れようと、
http://www.akame48taki.jp/takiannai/main.html
13日の9時前、jR春日井駅前に集合する。Oさんの車に5名が乗り込み、まずは東名阪御在所SAに。他地区から2台の車と合流。総勢11名でしたから、一人が他の車に乗り換え1台4名の旅でした。
しかし、雨が降り出しました。天気予報どおりです。「赤目はやめて伊賀上野へ行こう」という話になりました。
伊賀上野城公園駐車場についたのは12時前。上野城と忍者屋敷、それに芭蕉記念館があります。ここは、松尾芭蕉の生地でもあるのですね。曇り空だが、雨は降っていなかった。
http://www.kankomie.or.jp/db/result.php?id=3156
坂を上って、藤堂高虎が縄張りした城ですが、天守閣の傍に立てられた案内によると、天守閣は昭和10年の建造、「日本で最後に建てられた天守閣」とありました。
慶長年間、徳川家康の意を汲んで、対大阪最前線の城として、高虎が建造したが、天守閣は建造中に台風で倒壊、そのうちに大阪夏の陣で、大阪側が滅亡したので、結局天守閣は建てられずに終わった。
昭和10年、篤志家が寄進して天守閣が建造されたので、日本最新の本格的(木造の意味)天守閣です。
「昭和の天守閣」では、¥500払って入るまでもないと、城内の古い建て屋のうどん屋に入る。昼食後、周辺を歩いて石垣を見た。石垣は本物ですよ。高石垣の名にふさわしく、高く(27m)急勾配で、立派な要害になっている。「忍者の地のお城だけあって、切り立った石垣だ。」、「昔の石工の腕はたいしたもの。」おしゃべりしながら、一回りしたら、「旧小田小学校本館」という案内板が目についた。洋風建築のシンボルとしての太鼓楼が建物中央に屹立している。
「入ってみない?」。入館料¥100で、入って見ました。明治14年建造して、昭和40年まで使われた小学校でした。
明治初期から昭和40年頃までの教科書など(戦後の墨塗りの教科書もありました)。
街を一回りする。軒の低い古いたたずまいの家屋が並んで、往時の城下町をしのばせる。
2時ごろ出発して榊原温泉(山の中だが、ここは津市だった)へ。旅館へは3時過ぎに着いたが、驚いたのは他の客が一組もいなかったこと。金曜日というのに!不景気もここまで極まったか。
ここは、日本3名泉の一とか。
【古くは万葉の時代、お伊勢さんの”湯ごりの湯”として利用されてきた榊原温泉。
平安時代には、清少納言が「枕草子」にて「湯はななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」と謳っており、当時は「ななくりの湯」として呼ばれていました。】
つまり、有馬、玉造と並ぶ古くからの温泉らしい。私は、3名泉は二つ目。玉造は47年前新婚旅行でした。
ナトリウム分が多い所為か、湯に入ると肌がぬるぬるする。
6時からの懇親会は、カラオケつき。全員60歳以上だが、最高齢は76歳。(カラオケは76歳が一番元気だった。)酒量は、流石に、みな大分落ちていたようです。
床につき雨の音を聞きながらやすみました。
朝湯にゆっくり浸かり、朝食は8時。「雨だからやはり赤目は止めよう」と、持参したアルコール類を福引で分けました。下町のナポレオン(いいちこ)が当たりました。
10時のチェックアウトまでゆっくりして、帰途につきます。久居インターで高速に乗り、御在所SAで昼食をしてから、お別れ。最初の5人のメンバーになって相乗り、春日井駅を目指します。
今日は土曜日だから、高速は千円で行こうと、伊勢湾岸道路に入って豊田南のジャンクシヨンから東名に入り春日井ICで下りようということになりました。
「距離は長くなりますが、時間はこちらの方が早い」とドライバーのOさんが言う。
伊勢湾岸道路は片道3車線。東名より立派だ。「随分カネかけてるね」、「豊田を通る道だから、トヨタの税金で作ったんでしょう」、「でも、今年のトヨタは税金還付金を貰うんだ」。
ぐるっと豊田を回って、名古屋に向かう。「もう一寸名古屋の近くにもって来れば良いのに、大分東に寄っちゃった」、「環状線も東名も湾岸道路もみな豊田を回ってるよ」、「すべての道はトヨタに通ずだ」。車内の会話です。
「税金の磁力だ」、そのトヨタが税金を払わないというのだから、周辺の自治体はたいへんだろう。国でも上期の法人税収入は還付金で赤字だという。
そういう中で90兆円もの予算を組もうとしてるのだから、民主党もたいへん。政権城を乗っ取ったら金庫が空になっていたわけです。
湾岸道が空き空きだったため、大回りしても御在所から春日井まで一時間でした。皮肉なことに天気は回復して青空になりました。
1時半、駅前で下ろしてもらい、家路に着きましたが、一寸早すぎるので、途中プールに立ち寄り1200m泳いでから、帰宅したのは3時半でした。
私が労組役員を退任したのは36年前、D社を退職してから13年も経っているのに、嬉しいことに、「一緒に旅行しましょう」と当時の仲間から声がかかりました。万障繰り合わせ参加することにした。13日、14日、行き先は榊原温泉です。
朝早めに出て赤目四八滝もついでに訪れようと、
http://www.akame48taki.jp/takiannai/main.html
13日の9時前、jR春日井駅前に集合する。Oさんの車に5名が乗り込み、まずは東名阪御在所SAに。他地区から2台の車と合流。総勢11名でしたから、一人が他の車に乗り換え1台4名の旅でした。
しかし、雨が降り出しました。天気予報どおりです。「赤目はやめて伊賀上野へ行こう」という話になりました。
伊賀上野城公園駐車場についたのは12時前。上野城と忍者屋敷、それに芭蕉記念館があります。ここは、松尾芭蕉の生地でもあるのですね。曇り空だが、雨は降っていなかった。
http://www.kankomie.or.jp/db/result.php?id=3156
坂を上って、藤堂高虎が縄張りした城ですが、天守閣の傍に立てられた案内によると、天守閣は昭和10年の建造、「日本で最後に建てられた天守閣」とありました。
慶長年間、徳川家康の意を汲んで、対大阪最前線の城として、高虎が建造したが、天守閣は建造中に台風で倒壊、そのうちに大阪夏の陣で、大阪側が滅亡したので、結局天守閣は建てられずに終わった。
昭和10年、篤志家が寄進して天守閣が建造されたので、日本最新の本格的(木造の意味)天守閣です。
「昭和の天守閣」では、¥500払って入るまでもないと、城内の古い建て屋のうどん屋に入る。昼食後、周辺を歩いて石垣を見た。石垣は本物ですよ。高石垣の名にふさわしく、高く(27m)急勾配で、立派な要害になっている。「忍者の地のお城だけあって、切り立った石垣だ。」、「昔の石工の腕はたいしたもの。」おしゃべりしながら、一回りしたら、「旧小田小学校本館」という案内板が目についた。洋風建築のシンボルとしての太鼓楼が建物中央に屹立している。
「入ってみない?」。入館料¥100で、入って見ました。明治14年建造して、昭和40年まで使われた小学校でした。
明治初期から昭和40年頃までの教科書など(戦後の墨塗りの教科書もありました)。
街を一回りする。軒の低い古いたたずまいの家屋が並んで、往時の城下町をしのばせる。
2時ごろ出発して榊原温泉(山の中だが、ここは津市だった)へ。旅館へは3時過ぎに着いたが、驚いたのは他の客が一組もいなかったこと。金曜日というのに!不景気もここまで極まったか。
ここは、日本3名泉の一とか。
【古くは万葉の時代、お伊勢さんの”湯ごりの湯”として利用されてきた榊原温泉。
平安時代には、清少納言が「枕草子」にて「湯はななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」と謳っており、当時は「ななくりの湯」として呼ばれていました。】
つまり、有馬、玉造と並ぶ古くからの温泉らしい。私は、3名泉は二つ目。玉造は47年前新婚旅行でした。
ナトリウム分が多い所為か、湯に入ると肌がぬるぬるする。
6時からの懇親会は、カラオケつき。全員60歳以上だが、最高齢は76歳。(カラオケは76歳が一番元気だった。)酒量は、流石に、みな大分落ちていたようです。
床につき雨の音を聞きながらやすみました。
朝湯にゆっくり浸かり、朝食は8時。「雨だからやはり赤目は止めよう」と、持参したアルコール類を福引で分けました。下町のナポレオン(いいちこ)が当たりました。
10時のチェックアウトまでゆっくりして、帰途につきます。久居インターで高速に乗り、御在所SAで昼食をしてから、お別れ。最初の5人のメンバーになって相乗り、春日井駅を目指します。
今日は土曜日だから、高速は千円で行こうと、伊勢湾岸道路に入って豊田南のジャンクシヨンから東名に入り春日井ICで下りようということになりました。
「距離は長くなりますが、時間はこちらの方が早い」とドライバーのOさんが言う。
伊勢湾岸道路は片道3車線。東名より立派だ。「随分カネかけてるね」、「豊田を通る道だから、トヨタの税金で作ったんでしょう」、「でも、今年のトヨタは税金還付金を貰うんだ」。
ぐるっと豊田を回って、名古屋に向かう。「もう一寸名古屋の近くにもって来れば良いのに、大分東に寄っちゃった」、「環状線も東名も湾岸道路もみな豊田を回ってるよ」、「すべての道はトヨタに通ずだ」。車内の会話です。
「税金の磁力だ」、そのトヨタが税金を払わないというのだから、周辺の自治体はたいへんだろう。国でも上期の法人税収入は還付金で赤字だという。
そういう中で90兆円もの予算を組もうとしてるのだから、民主党もたいへん。政権城を乗っ取ったら金庫が空になっていたわけです。
湾岸道が空き空きだったため、大回りしても御在所から春日井まで一時間でした。皮肉なことに天気は回復して青空になりました。
1時半、駅前で下ろしてもらい、家路に着きましたが、一寸早すぎるので、途中プールに立ち寄り1200m泳いでから、帰宅したのは3時半でした。