古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

箱根強羅の旅

2009-04-19 | 旅行
 強羅で高校の同級会がありました。

「箱根強羅ホテル」でやるというものですから、あの国際興業の「強羅ホテル」?とびっくりしましたが、国際興業の強羅ホテルは1998年廃業していました。紀州鉄道の「箱根強羅ホテル」です。

 14日、名古屋駅に行くと、春日井に住むO君がいました。一緒に10時58分のこだまに乗車。PM1時過ぎに小田原に着きました。改札口を出ると、昔の仲間が手を振っています。

 総勢16名(女性3名)が集まりました。卒業時60人弱のクラスで、54年経って16人集まれれば立派!と思う。関東地区の幹事から小田急の二日間フリーキップ(¥3900)を受け取り、電車で湯本駅。登山鉄道で、塔ノ沢・大平台・宮ノ下・小涌谷を経て強羅着。ケーブルカーは明日と、ホテルの車に乗りました。昨日までは好天気が続きましたが、今日は雨模様。

 「修学旅行でこのケーブルカーに乗った覚えがある。」と仲間が言う。皆、記憶力がいい。55年も前の修学旅行など、私にはまったく忘却のかなたです。

 風呂に入った後、聞くとプールがあるという。強羅で泳ぐという機会は滅多にないから泳いでみようと、プールに行くと、正式のプールでなく、お子様の遊泳向けだ。

25mの距離がない。)18~20m?深さも1mないから、気をつけてターンしないと底に膝をぶつけかねない。30分ぐらい泳いでいたら、飲むから来いと呼びにきた。

 部屋に戻ると、6時の宴会を待ちきれず酒盛りを始めています。 

 宴会が始まると、久し振りの顔合わせが嬉しく、杯を持って話しにきます。

「NOZUE君のブログ見てるよ」という友人も2~3人いた。インターネットも普及したものです。こんな話も、

「ミツバチが突然集団でいなくなることがある」と、へぼ(地蜂)の大家が言う。

「へえ、東栄町でもそんなこと起きてるの?」と、私は驚く。「ハチは何故大量死したのか」という本が、最近、文芸春秋から出版されて話題になっている。筆者は米国人らしいが、ハチの集団が突然いなくなるという現象が、原因不明だが、地球上の各地で起きているということを記述しているらしい。まだ読んでいないが、郷里でも起きていると言うのなら、是非、読んでみよう。

 別の友人はこういう。「NOZUE君。消費税はどう思う?」「どう思うって?」「こんなにバラマキやってると、上げざるを得ないのと違う?」

「だろうね。上げる場合、中谷さんが言ってるように、逆累進性を避けるために、全家庭に一定金額を給付するという方式を採って欲しいな」と、私は応じた。

 8時過ぎまで宴会は続いたが、その後、部屋に戻ってまた飲むか!と、中締めにしたが、実際に部屋に戻ったら、皆、ごろっとひっくり返ると起き上がらない。72~73にもなると、酒は弱くなるものだ。翌朝、女性たちから「昨夜は静かでしたネ」と皮肉られた。

 翌15日は、素晴らしいお天気になった。9時半ホテルを出て、強羅駅まで送ってもらい、ケーブルカーで早雲山に。ケーブルカーを乗り換えて大涌谷。硫黄臭の中で噴煙を見る。その後、またケーブルカーで桃源台へ降りる。途中の標高を示す掲示を見ると、我々は900mちかく登ったらしい。桃源台からは、「海賊船」なる観光船で芦ノ湖を渡るという定番のコースです。

「23~24年前だけど、芦ノ湖を一周するマラソンを走ったよ」と友人に話す。

「何キロあるの?」

「20kmだ。今はどうか知らないが、当時、湖の西側は道路が整備されていたが、東側は、舗装どころか、木の根が横たわったりした細道、時には湧き水の流れを飛び越えたり、まるで江戸時代の道のようだった」

「何時間で走った?」

「当時は50歳前だから、早かったよ。多分、1時間40分ぐらい」 

 12時前に箱根町に着いて、昼食は生ビールにとろろ蕎麦。1時前のバスで三島に下りた。JR三島駅で流れ解散。

 次回は、来年秋。名古屋周辺で。ということで、幹事役が回ってきました。