古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

健康観と寿命観

2006-08-14 | 素晴らしき仲間たち
今日の午前TVの「サンデイ・プロジェクト」を見ていたら、日野原重明さんが出演していした。94歳の現役医師の健康談のいろいろ、私の体験と比し概ね肯けましたが、一つ良く分からないのが、凄い小食。固形食を採るのは夕食だけで、朝昼はジュース・牛乳の類でたべてもビスケット程度の、一日1300kcalという話です。
私は食べたいだけ食べていますから、この辺が分からないのです。
 推測するところでは、これは肥満防止。なにしろ90歳台ですから、働いているといっても、肉体労働はほとんどないだろうし、過激なスポーツをするわけでもないので、頭脳労働だけでは消費エネルギーはその程度なのかもしれません。
 肥満を防止するには、摂取エネルギーと消費エネルギーがバランスしておれば良
い。だから、食べるのを少なくするか運動をしっかりやって消費を多くするしかない。
日野原先生は前者で私は後者なのでしょう。 以下私の健康観、寿命観です。

 人間の身体の細胞は(養老孟司先生が言ってましたが)、一部の細胞を除いて時々刻々新しい細胞に入れ替わっている。7~8年で全部入れ替わるそうです。古くなった細胞が死んで新しい細胞が生れるのです。
 (ここからは私の考え)新細胞を作るには栄養分が必要です。ところが栄養分の配分は、何時もよく使っている部分に沢山配分し、使っていない部分にはあまり配分しない仕組み(システム)になっている。動物にとって、エサを採るというのが生存上最大の問題で、摂取した栄養分をムダにしたくないので、そうなっています。
 従って、日常運動で良く使っている部分には栄養が沢山配分され、運動して使っていない部分には栄養が配分されないので新しい細胞が生れない。その部分の細胞は死ぬ一方だからやせ細る。これが長生きには、運動が必要だと考える理由です。人も動物も動かなくなれば死ぬ。だから、仕事(お金を稼ぐ仕事でなくとも良いが)を持っているということが長生きの秘訣になります。
 では、運動していれば100歳でも150歳でも長生きできるか?私もプール仲間のガールフレンドに「150歳まで生きそう」とからかわれています。
 そうはいかない。新しい細胞が生れるのは、細胞分裂があるからです。この細胞
分裂の回数に上限があるのです。その上限回数は遺伝子に書き込まれているのですが,私たちには分かりません。いずれにしても、遺伝で決められた回数の細胞分裂が終れば、そこが天寿です。
 私の理想の死に方は、ある日「今日はお爺ちゃん起きてこないね」と孫が見に来たらベッドで亡くなっていた。「あれっ、昨日の朝、名城公園でジョギングしてたのに!」
 生涯、運動を続けていれば、それに近い死に方が可能では?と思っているのです。