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古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

熊野へ

2014-11-07 | 旅行
 11月4日、自動車総連時代の旧友4人で恒例の旅行会でした。10時、名古屋駅の新幹線口に集合。岐阜のHさんから「着いた」とのケイタイを受けて駐車場に行く。ここの駐車場は20分未満は無料なので、名古屋駅集合の場合は、こうして集まる。Hさんが愛用のマツダデミオに乗ってきていた。互いに久闊を叙して4名が車に乗り込み白川から名古屋高速に乗り、名古屋西ICから東名阪道。伊勢道、紀勢自動車道を経る。途中安農SAで少休憩した。大内山インターを過ぎると、料金所があった。「3530円だ。」
「ここに料金所」があるということは、この後は別の道路会社?」。この後42号線に至るまで。まだできたばかり(2014年3月)で、無料試用中だった。
「紀伊長島IC以南は、高速道路会社によらない国と地方自治体の負担による新たな直轄事業である新直轄方式で計画されているため、通行料金は無料」とのこと。
 それにしても大内山から尾鷲北にいたるまで、トンネルまたトンネルで、80%は、トンネルを潜っているようだ。12時半尾鷲に着き、「ぼつぼつ昼飯にしよう」と、レストランを物色。「おとと」という店に入った。珍しい魚料理のカフテリヤ方式だったが、魚類の土産も販売しており、「また、帰りに寄るか!」
 トンネルを通り過ぎると、新宮市に入る。今回の旅のメインは、熊野三社の参詣だが、Hさんは、せっかく熊野まで行くのなら「大石誠之助の顕彰碑や邸宅跡を訪れたい」と言う。
 大石誠之助は、新宮出身の社会思想家・キリスト者、医師。(大逆事件)で処刑された12名の1人。
が、 新宮に着いたが、どこにその碑があるかわからないので「とりあえず市役所に行き、聞けばわかるだろう」と市役所に入った。

「聞いてきます」と、Jさん、Sさんが車を降りたが、なかなか戻ってこない。
待ちくたびれた頃、Jさんが戻り「そこの駐車場に車を入れましょう」。新宮市内散策図」というイラスト入り地図を貰ってきている。すぐ近くだから歩いていくと言う。顕彰碑は市役所の裏手にあった。「しやくしょの職員は勉強不足だ」とSさんはぼやく。聞いても直ぐはわからなかったみたい。
「大逆事件の犠牲者を顕彰する会」の建立碑で、このえん罪事件で刑死した12名中6名が新宮市の出身、当時の新宮市にあって社会奉仕の功績顕著な人々であったことから、その氏名を記し碑が建てられている。文中「当記念館の主西村伊作は大石誠之助の甥で影響をうけた」とあるが、当記念館がわからない。そこで、Jさんがケイタイで、市役所の広報に電話した。新宮駅の北に西村記念館というのがあるという。行ってみた。休館日だった。「月曜定休だが、月曜が休日の場合良く火曜日が休館」とのこと。昨日は11月3日の休日だった、「明日また来ればいい」。その後市内の熊野速玉神社にお参りした。

境内に梛の古木があった。

平重盛(清盛の嫡男)の手植えと伝えられ、梛としては日本最大です。 ナギは熊野権現の御神木と言う。
 参拝の跡、今宵の宿「休暇村 南紀勝浦」を目座す。新宮から南西へ。海岸沿いに20分ほど走らせ4時過ぎ到着しました。
 入浴後、部屋で勉強会。Hさんが「大逆事件と大石誠之助」を講義した。
 Hさんが大石の関心を持つようになった所以は、大逆事件(天皇暗殺の試み)に連座して受難した人々の中に浄土真宗の坊さんおおかたためらしい。浄土真宗のお寺の住職を務めるHさんとしては、先輩が何故事件に巻き込まれたかは、気になるテーマだったらしい。抗議の跡の討議も活発だった。
「大逆事件は、冤罪事件と言われるが、何故当時の政府当局者は、冤罪事件をでっち上げないといけなかったのか?私見では、明治維新で、薩長政権が生まれたが、彼らは何故日本国民を統治する権限を持つか理論武装が必要であった。そのために天皇制をもちだした。天皇が日本を統治する権限を有し、その天皇の命により薩長の官僚が国民を統治するのだ。しかし、この理屈がでっちあげに過ぎないことは。彼ら自身が良く知っていて、だからこそ、その理論の弱い所を衝く社会主義思想は絶対に容認できなかった。」
「仏教関係者やクリスチャンに、大逆事件で逮捕された人が多かったのは、宗教の教義からして、人間平等主義であることから、社会主義思想に関心をもったのでは?」
 大逆事件の話の後、目下の経済事件にも論議が及ぶ。
「日銀総裁の異次元金融緩和はどう思う?」
「あれはやりすぎじゃない」
『円安は輸入品の価格を上げる。日本にはマイナス。輸出が増えて、そのマイナスをカバーできればよいが、輸出はデータを見る限り増えていない。だから、日本全体としては円安はマイナスになっている。一方、トヨタなどの輸出企業は利益を上げている。ということは、輸出企業以外の部門でマイナスがあるということです(全体でマイナスだから)。誰がそのマイナスを引き受けているか。いずれにしても、得する部門と損する部門が生ずるということは、国民の所得分配構図を変えることになる。日銀に、国民の所得分配構図を変える権限があるのか。この点について、日銀総裁は、何の説明もしていない』
喋りくたびれてまた夕食の酒に酔い、8時過ぎに寝てしまいました。年は争えない。

木曽三川をウオーキング

2014-11-01 | 旅行

31日は、住宅シニアクラブ(早く言えば老人会)の幹事というか、世話役でウオーキングに行きました。今にも降り出しそうな天候でしたが、総勢8名(男2女6)揃って地下鉄で名鉄名古屋駅に。今日の行先は、は木曽三川公園です。
 10:04の鈍行佐屋駅行に乗車できました。30分ほどで、佐屋駅、ここから5㎞ぐらいですが、バスがない。往復10㎞歩くのはきついので、往きはタクシー。帰りにウオーキングにしました。駅前に一台タクシーが待っていました。まず4人が乗り込み先発。ケイタイでもう1台を呼んだのですが、なかなか来ない。10分強待たされました。「田舎はこれだから。」、「名古屋なら直ぐなのに。」、「だから田舎では、車とケイタイは必需品になるね。」、都会人は気が短いのです。
やっと。来ました。乗り込んで「どこから飛んできた?」、「津島駅から。」
では時間がかかるわけです。
 木曽川にかかる立田大橋を渡る。(写真は、下見のときのもの)
この先に長良川大橋。長良川大橋より左が三重県(桑名市)、右が岐阜県(海津市)、長良川の手前が愛知県(愛西市)です。この辺りほとんど海抜ゼロメートル地帯です。
左折して川沿いに木曽川文庫まで行きました。タクシー代は¥2000.。木曽川文庫は、木曽川の治水工事の歴史に関する資料を公開しています。隣に公園があって、デ・レイケの銅像が立っていました。

ヨハネス・デ・レイケは、オランダの土木技師で、明治政府の招きで、明治6年来日し、36
年の帰国まで日本の河川の砂防工事を指導しました。
 木曽三川、庄内川、吉野川、多摩川などの河川改修、長崎港、博多港、宇品港、東京港、横浜港などの港湾計画の作成を行った。勲二等瑞宝章を授けられ、木曽三川治水の恩人ということで、この地に銅像がたてられています。
 先発組と合流し、散策していたら、公園の隣に閘門(船頭平閘門)があることを発見、「ここで記念写真を撮ろう」と橋の上で写真を撮っていたら、制服を着た職員が来て「シャッターおしましょう」。その後、親切に説明をしてくれた。

「閘門は水位の調節をするしかけです」、「前の運河(人口の川を運河といいます)は、長良川に通じます。後ろ側は、木曽川につながります。木曽川と長良川とは当然水位が異なります。長良川は河川堰があるのでいつも同じ水位ですが、木曽川は潮の満ち引きで上下します。船が通行するためには水位を同じにする必要があります、そこで、ことら側から来た船はそのヒモを引っ張り(と実際に引っ張ってみせる。カランカランとカネが鳴る)知らせます。職員が門を開け閉めし水位を同じにするのです。(1回に20分ぐらいかかるとのこと)
「一日に何回ぐらい?」、「年間を平均すれば一日3回ぐらいですが、多い時は19回やったことがあります」
「どれくらい水位が違うかと良く聞かれますが、潮の満ち引きで違うのですよ」
「潮の満ち引きは、太陽と月と地球が一直線に並んだ時に一番大きく(大潮)、位置がバラバラになると、一番小さい。一日は24時間としていますが、地球の自転時間は24時間50分あまり。そこで、満潮、干潮の時間は毎日、それだけずれていきます。」と、今度は天文学の説明。
「ここの仕組みはパナマ運河を真似したのだろうと言われますが、違います。なぜならこの閘門はパナマ運河より2年早くできていますから。」今度は歴史です。
じゃ、パナマがここ真似開いたんだ!
「ここは無料ですが、パナマ運河の通航料はトン当たり、1ドル39セントで、約140円とみると、5万トンの船は700万円です」
まことに丁寧な説明をしてくれた。木曽川文庫を覗いた後、公園でお弁当を広げた。
昼食後。、タクシーで来た道を戻る。歩道の幅が狭いうえ、車がブンブン飛ばしていくので歩きにくい。河川敷の中の砂利道を歩いたほうが良かったかな?立田大橋までくると、改めて大きな橋だと思う。1000m以上ある。橋下の河川敷は公園になっている。(写真は下見のとき)

橋の中央に花が供えられていた。事故があったらしい。
橋を渡って500mほど歩くと、「道の駅 立田」があった。30分、店内で土産物を物色した。農産物を出品者の名前付きで売っていた。名物のレンコンと柿などを1000円ほど購入しました。
その後佐屋駅まで3㎞歩き、2:41の吉良吉田行に乗車。須賀口で豊橋行きの急行に乗り換え名古屋駅。3時半ごろ名城公園につきましたが、地上に出たら雨が降り出しました。家までは少しぬれました。でも、なんとか無事に楽しくウオーキングを終えました。


西浦温泉と豊橋

2014-10-27 | 旅行
「恒例の懇親会をやりましょう」。Oさんから手紙が届いたのは二月穂ど前だった。D社労働組合の執行委員OBの毎年一度の懇親会である。労組を離れてもう40年以上経ったのに、今でも声がかかるのはうれしい。
 10月24日、名鉄で西浦温泉に出掛けました。今年は人数が少なく、総勢8人でした。みな、年をとるから、年々少なくなるのはやむを得ない。
「Yさんはどうしたの?」と聞くと「脳梗塞をやったらしくて、医者の許可が得られなくて、今回は欠席です」と言う。
「Y・Aさんは?」。「転倒して、8針縫うという大怪我をして今日はこれない」と言う。
自分も2月に13針縫うという大怪我をしたから、年をとると、転倒にはご用心ということだ。
オフシーズンらしく、旅館は閑散としている。我々と同じようなグループ旅行が2~3組、後は4~5人の客だけだ。「宿泊料はバーゲンですよ」と、幹事のOさん。一泊2食で、1万2千円だという。旅館が大きいだけに、客が集まらないと経営は苦しいだろう。熱海と同じだ。西浦温泉は三河人にとっては、東京人の熱海温泉といったところだ。
安倍首相は、輸出企業が利益を上げると、従業員の賃金が上がり、従業員がお金を使うから、景気は良くなるというトリクルダウン説を唱えるが、こうした旅館には、まだトリクルダウンは来ていないだろう。
 3時過ぎ、旅館について、早速部屋に集まり、持ち込みのアルコールで、酒盛りを始めた。夕食は6時から。しかし、みな高齢化で飲む量はおとなしい。小生など8時前に夕食がお開きになったので、部屋に戻ると、すぐ横になって朝までぐっすりだった。
 実は、昨日からかぜぎみだったので、来る前、若先生の病院により、風邪薬を貰ってきた。「睡眠薬が入っていますから、運転などは気をつけてください」と薬剤師が言った。運転はしないから大丈夫だが、出発前に一服服用したら、もうれつに眠くなり、電車に乗ったらうとうとしていた。
 薬が効いたのか、朝になったら、風邪の症状は完全に消えていた。大浴場に行く。三河湾の景色は圧巻である。

 2日目は10時に西浦駅まで送ってもらい、電車で帰るが、小生は名古屋へ帰る皆と別れ、蒲郡経由豊橋に向かいました。折角ここまで来たから帰途、豊橋美術館に寄ろうと考えたのです。11時ごろ豊橋に着きました。美術館には何回か来ていますが、駅から歩いて20~30分ですからいつも歩いていましたが、今日は、市内電車に乗りました。やはり年ですね。市役所前で下車。美術館は市役所裏の公園内にあります。
 http://www.toyohashi-bihaku.jp/
開館35周年記念 ウッドワン美術館所蔵「近代日本の絵画名品展」という企画展をやっていました。
ウッドワンというのは、広島県廿日市市の美術館。何故豊橋まで出張してきたのかしりませんが、結構、有名な作品を展示していました。
 公園の北西に吉田城址があります。立ち寄ってみました。

https://www.google.co.jp/webhp?sourceid=chrome-instant&rlz=1C1EODB_enJP532JP542&ion=1&espv=2&ie=UTF-8#q=%E5%90%89%E7%94%B0%E5%9F%8E%E5%9D%80%20%E5%86%99%E7%9C%9F
隅櫓は近年作られたもののようですが、石垣は雅趣があります。

本丸内から豊川(とよがわ)を見下ろし写真を1枚。
帰りは駅まで歩き、途中ヤマサの本店で土産のちくわを買い求めました。駅前で「菜飯田楽」の昼食を取り名鉄で帰宅しました。」


駅ちかウオーキング

2014-10-05 | 旅行
10月4日、地下鉄主催の駅ちかウオーキングに出掛けました。黒川駅から大曾根駅まで9.3km、目玉はご用水跡街園、石山寺、東春酒造見学と試飲です。
黒川駅から東へ。30年も通勤した、D社の元本社・本社工場の裏側は、見事に樹々の立ち並ぶ散歩道ご用水跡街園として整備されていました。
志賀橋の下は、川沿いに散策できる散歩道ができていました。

ずいぶんきれいになったな。

まぁ、市民税たくさん払ったからこれぐらい綺麗にしてもらってもよいか。


街園の散歩道を2km歩くと矢田川に出る。三階橋を渡る。昭和40年~47年、春日井市に住んでいて、自転車でこの橋を毎日渡ったが、橋は様変わりに立派で、歩道・車道を分離するフェンスが出来ていた。橋を渡ると守山区である。
東に折れて、瀬古町に向かう。
瀬古町で「東春酒造」に立ち寄る。
http://search.rakuten.co.jp/search/mall/%E6%9D%B1%E6%98%A5%E9%85%92%E9%80%A0/-/?scid=s_kwa_2014sak_00&lsid=002057
吟醸酒「和やか」を試飲させてもらう。「新米で作った甘酒です。どうぞ」と甘酒も御馳走になる。
東へ歩き瀬古小学校の南に回り込んだところ、川の手前に天台宗の石山寺【尾張西国13番】があった。

本尊は十一面観音。寛元年間(1243から)道円の開山。延宝4年(1676)藩主光友が再建。明治24年濃尾地震で倒壊、翌年再建。昭和20年空襲で観音堂と山門を除いて灰塵に帰した。山門の西側の馬頭観音は昔の善光寺街道にあったものを明治時代に移したもので、この右におもかる地蔵が並んでいる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E7%94%A8%E6%B0%B4%E8%B7%A1%E8%A1%97%E5%9C%92
お参りした後、境内を抜けて矢田川河畔に降りると、天神橋緑地。西へ歩いて天神橋を渡る。後は南に大曽根駅まで歩き、11時40分、ゴール。2時間15分で9.3kmを歩きました。


駅ちかウオーキング

2014-09-29 | 旅行
 9月27日、駅ちかウオーキングに出掛けました。9時家を出て、9時半、地下鉄いりなか駅。1番出口を出ると、飯田街道。右手の信号を右に回り八事日赤病院に向かう道、しゃれたつくりの家々が立ち並びます。今日の目玉は、名大キャンパスと東山一万歩コースです。中京テレビ前を通り、高峰町の交差点を左折して名大南に出ました。豊田講堂の右手に名大博物館。
http://www.num.nagoya-u.ac.jp/outline/index.html
名大北の信号を右に「2008ノーベル賞展示室がありました。
http://www.sci.nagoya-u.ac.jp/nobel2008
「2008年には、名古屋大学関係者である、益川敏英先生、小林誠先生が物理学賞を、下村脩先生が化学賞を受賞されました。これを記念し、2011年6月、ES館2階にノーベル賞展示室をリニューアルオープンすることにしました。3先生の研究が如何に育まれ、どんな成果に至ったか、広く皆さんに知って頂くと共に、後進の学生が、我らの素晴らしい先輩の偉業に触れ、後に続くことを願って、名古屋大学博物館のサテライトとして、この展示室を開設することにしました。」とのこと。
名古屋大学の歴史の年表があり、歴代の学長の写真、自分の入学したときは、勝沼先生だった、など思いながら展示を見ていく。増川・小林先生のノーベル賞受賞論文「CP対称性の破れ」が展示され「ご自由にご覧ください」とあったが、ご自由に見ても、何が書かれているのか、ちんぷんかんぷんである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E3%83%BB%E7%9B%8A%E5%B7%9D%E7%90%86%E8%AB%96

「物理学科へ行っていたら多少はわかるだろうが」、たぶん、工学部よりも理学部に行った方が、自分にあっていたのではないかな、などと、60年以上前のコース選択のことを思い起こす。
 名大キャンパスを北へ抜けて出た広い坂道を右折、東山に向かう。東山植物園の脇から一万歩コースの道に入る。
植物園、動物園の東側を歩いて、バス通りに出ると、左に自動車学校、右に星ヶ丘テラスの店店が並んでいた。
地下鉄皮脂が丘5番出口でゴール。12時でした。行程6.5㎞でそれほど長い距離ではなかったが、アップ・ダウンが多いので「剣客向きコースだな」と感じました。穏やかなウオーキング日和でした。





シニアクラブのウオーキング

2014-09-27 | 旅行

26日は、住宅のシニアクラブのウオーキングに出掛けました。9時半出発、城北橋バス停から3区、志賀公園前のバス停で降りると、総勢11人(男4、女7)が揃った。志賀公園までは、歩きでもバスでもいいですよ、ということにしてあったのです。今回は近場ばかりを訪ねるので、参加者は少ないかな、とおもっていたが、意外に大勢参加してくれた。
 志賀公園は、織田信長の家臣・平手政秀の屋敷跡に造られた公園で、公園中央に平田邸の記念碑がある。
政秀は、信長の護り役であったが、信長が若いころ素行が悪いのをいさめて自刃したと伝えられる。

いかにも年代を経た木々が立ち並び、近隣の人々の格好の散策場所になっている。
公園を一回りして北口から西へ。西武医療セナー(昔は城北病院といい、もう少し東にあった)、ずいぶん立派な病院になっている。北へ向かい、又穂住宅を過ぎると用水の流れ、散歩道がある。伊奴神社に来る。673年、天武天皇の御世に創建されたというから、1300年余を経た神社だ。安産の神様として知られる。聞くところでは、犬はお産が軽いそうだ。そこで犬をご神体とするこの社が昔から安産の神様として信仰を集めている。

次は、神社前の道を西へ名岐国道に。信号を渡り、庚申塚におまいりする。
る。稲生原古戦場の跡、織田信長が弟の信行と戦をしたが、戦死者を葬った場所です。
境内に台湾フー

庚申塚の北には白山神社がある。信長の家臣・佐久間大学が稲生原合戦で立てこもった名塚城の跡です。神社あの建物の屋上にいろいろな動物の像が並んでいる。

ここまで1時間、少休憩。
「蚊に食われた」とHさん。「名古屋の蚊なら、デング熱の心配はない」といったが、立ち上がり最終目的地の、庄内緑地公園に向かい、庄内川の橋を渡った。
 入り口近くに酔芙蓉が咲いていた。酔芙蓉をバックに記念写真。酔芙蓉は、朝、白い花を咲かせる。日中になるとピンクになり、夜になると紅くなり翌日には花を落とし、また別の白い花を咲かせる。11時過ぎだったので、まだ白い花が多い。その後、グリーンセンターにはいると、バード・カービング(鳥の彫刻)の会の作品展をやっていた。一つの作品に1年も1年半もかけて作るのだという。

 公園で昼食。広場で幼児たちが遊んでいた。
「子供はみんなかわいいね」と、Kさん。
「それにしても神戸の小1の女の子はかわいそうだ」と、Iさん。
散策した後、1時、地下鉄で帰ることにする。
帰るころには、酔芙蓉が淡いピンクに』なっていました。
 お天気に恵まれ、楽しいウオーキングでした。


SLに乗る

2014-06-15 | 旅行
 
6月13,14日はD社OB会の旅行会でした。8時15分、旧本社前を出発し、バスは名古屋高速、東名道を走り、9時、上郷SAで犬山からくるバスと合流した。今日の宿泊地は、舘山寺温泉だが、浜松西ICを通り過ぎ、掛川ICで高速を降りる。関東からくる仲間をJR掛川駅に迎えるためです。掛川駅で7名の顔なじみが乗り込んできた。これで61名の顔ぶれがそろった。バスは新金谷駅に向かう。初日のメインテーマは。SLに乗ることである。大井川鉄道のSLに11:45乗り込む。C56というSLだ。
「昭和11年の製造です」と車内放送。「小生と同年の生まれだ。「5号車は昭和21年の製造です」。客車についても放送がある。12時45分、汽笛一声出発、大井川に沿って上流に走る。

小一時間、レトロの旅を楽しむ。「昔はトンネルなどに入ると、衣服が煤で黒くなりましたが、今日は無煙炭を使用していますので、その心配はありません」と言う。駅弁が配られ、昼食。11:42下泉駅に着き下車。駅前に回送・待機していたバスに再度乗り込む。新東名に乗って森・掛川ICで高速を降り、可睡斎を見学に行く。

11代和尚が家康の師であったと伝えられる。言い伝えによると、11代目の住職仙麟等膳(せんりんとうぜん)和尚は、幼い徳川家康とその父を戦乱の中から救い出しかくまいました。
 その後、浜松城主になった徳川家康は、親しく和尚を招いて旧恩を謝し、その席上でコクリコクリと無心にいねむりをする和尚を見て徳川家康はにっこりせられ
 「和尚我を見ること愛児の如し。故に安心して眠る。われその親密の情を喜ぶ、和尚、眠るべし」
と申されました。
 それ以来仙麟等膳(せんりんとうぜん)和尚は「可睡和尚」と称せられ、後に寺号も東陽軒から「可睡齋」と改められました。
見学後、袋井ICから浜松西ICに戻り、4時過ぎ今宵の宿舘山寺サゴーロイヤルホテル。

14日は龍潭寺を見学しました。朝、ホテル周辺を散策すると、海岸にはヤシが植えられ、トロピカル風なホテルです。
曹洞宗舘山寺というお寺がありました。
火伏せの神さまを祀るお寺、神仏混交のようです。 
 今朝も良い天気で暑くなりそう。

9時出発。最初に龍潭寺に向かいます。途中気賀という街を通りました。亡き父の言葉によると、小生のご先祖が住んでいた町だそうです。この辺りは「野末」という名字が多いとか。
 龍潭寺(りょうたんじ)は、小堀遠州の庭園で有名な遠州の古刹ですが、井伊大老の井伊家の菩提寺です。

http://www4.ocn.ne.jp/~ryotanji/
昔、井伊家はこの辺りで豪族でしたが、家康に仕え、徳川四天王と謳われ、関ケ原合戦の功により、彦根藩主となったようです。
本堂内の廊下は左甚五郎作と伝えられ、鴬張りの廊下がある本堂に上がり、和尚様の説明を聞く。
見学を終えた後は、浜松名物「うなぎパイ」の工場の見学です。
工場団地の一画に「春華堂」の工場がありました。うなぎを粉末にして小麦粉に練り込み冷蔵庫に寝かす。その生地を取り出してパイに成型する工程が通路の窓越しに見られるようになっていました。
http://www.i-tokai.net/report/palpal/unagipai/index.html
その後、浜松西IC近くのレストラン「さかな屋」で昼食。浜松だから「うな丼」と期待しましたが、通常の和定食。「絶滅危惧種」とかで、簡単に口にはいらない存在になったようです。
昼食後、JR浜松駅に関東の仲間を送る。来年を約してお別れ。浜松西ICに戻りました。東名を走って、あっという間に東郷SAに着き、最後の休憩。名古屋高速黒川ICの出口でバスを下してもらい、4時帰宅しました。



続・北陸路の旅

2014-06-06 | 旅行
『続・北陸路の旅です』女中さんに続けた。「同級会の会食で、女の同級生がこう言いました。“大牧温泉はテレビのドラマで見たから知っている”って。なんというドラマなの?」と聞くと、「後でフロントで聞きます」。返事がこなかったが、船でしか来られないので、ミステリーの密室設定にはもってこいだから、推理物にとりあげられているようです
 大浴場に行く。湯量は豊富だ。数年前、黒部に行った時のことを思いだした。河原にお湯が噴出していた。この地は、どこでも地面を掘れば湯がでてきそうだ。
お風呂の後、恒例の時々放談(爺放談?)を始める。
小生「消費税アップが始まったので、生活貧困者(地方税非課税世帯)を救うために、臨時福祉金として一人5000円を支給するそうだ。それは良いのだが、その支給対象が2000万人もいるんだって。いつから日本はそんな国になったんだろう」」
「企業統計で、企業の変動費率を見ると、その動きは原油等の購入金額の動きとパラレルに動いている。つまり、日本企業は変動費の増えた分を固定費の低減で乗り切ってきた。固定費の低減は非正規労働者を増やすことで人件費を減らしたのだ。だから、円安で原油の購入額を増加させるのは大問題だ。」
Jさんが言う。Jさんは元TR社の労組委員長だ。
「TR社のOB会に行ったら、社長が来て挨拶したのだが、“今、従業員が1万50000人いるけど、海外が1万人だ”って」
「円安にしたって、海外で生産しているものを簡単に国内にもどすことはできない」
軽四のS社の労組書記長だったSさん。
「インドで、労資紛争があって報道されたが、現役のS社の労組幹部にきいたが“インドは労使双方が、労資協調を理解していない、というだけだった。」
夕食も、お酒がおいしいと、話が弾んだ。
「この酒、“3笑楽”というのだネ。良い名だ。」と、Jさん。「今日はHさんが運転してくれたから、楽だった。広島に行ったときはたいへんだった」
Hさん「あの時、家に帰ってから、“広島まで車を運転して言ってきた”と言ったら、“よく無事だったね”と言われた。」
Jさん「ずいぶんいろんなところに行ったね。箱根のポーラ美術館など、この会がなければ行くことなかった。広島のウサギ島(大久野島)や平山郁夫美術館、あんな遠くまでよく行ったわ。NOZUEさんの企画だから運転しなくちゃ、と一生懸命運転した。」
 あのときは、片道400km、今日はここまで200km程度だから、広島行よりは短いが、ドライバーには、いつも苦労かけていると、反省しました。
 翌朝は9時の船に乗船しました。
 砺波IC入り口で、「源」、ますのすし本舗・富山名産の鱒寿司を作り100余年という店によった。土産の寿司を調達、すぐ高速に乗る。東金沢ICで降りて兼六園に向う。11時半ごろ着く。兼六園上の駐車場に車を置き、入場。兼六園には数回来ているが、来るたびに、こんなきれいな庭園だったか、と感銘を受ける。6月の庭園は見事だった。全員無料入場(65歳以上無料)。





兼六園を見た後、車を出し、「今度は金沢城址公園だ。駐車場を近くに探そうと走り出したが、地元不案内で手ごろな

駐車場が見つからず、結局市営の兼六Pに入れて、石川門まで歩いた。
http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kanazawajou/kanazawa_castle/map.html
が、門の辺りは、すっかり様子が変わっている。Jさんが、「金沢大学って金沢城にあるの?」と聞くので、受付のお姉さんに聞くと、「1995年に大学は移転しまいた」と言う。
 ボランチアに案内を頼む。「どちらから?」、「「名古屋からです」、「あぁ、親元からですか」
 確かに、前田利家は名古屋市荒子の出身だ。「30分にしますか?15分にしますか?」と言うので「時間があまりないので、15分にしてください」、「じゃこの辺りだけと、石垣の説明。
「昔は雷の所為で、大火が多かったのです。屋根のかわらが鉛製で、石垣に鉛の溶着の跡が見られます」
 「この地は冬に雷がおおいのですよ。」河北門に上がり、「ここは武器蔵として使われました。これが鉄砲狭間、「当時堀の幅は55m、鉄砲の距離が50mでしたので」と、再建された長屋門を説明。「120億円をかけました。国の補助金が80億円です。公園にすれば3分の2の費用が国から出るということで“金沢城址公園”になりました。」
 駐車場に戻り、「さぁ、どう行こうか」、「今の兼六下の交差点を左に行けば、片町、香林坊の通りに出るから、左折して犀川大橋、最初の信号を右折すれば、金沢西インターにぶつかる」と小生。ところが、駐車場の出口で、右に兼六の交差点がみえるのだが、一方通行で右に行けない!それから、左折してぐるぐる走っているうちに道がわからなくなる。苦労して8号線にたどり着き北陸道の高架を見つけた。8号線は高架に沿って走っている。やっと西インターにたどり着き、北陸道に上がる。
 南条SAで休憩。後は米原、羽島まで一気に走る。米原を4時半、羽島を5時に出て、西岐阜駅に5時半でした。昨日、今日450kmのデミオの走りは快調でした。高速料金は東海北陸・北陸道とぐるっと回って10200円でした。名古屋駅でJさん、Sさんと別れ、帰宅は6時半。テレビニュースが、梅雨入りを伝えていました。「雨に降られずに良かった!」
 以上、マツダデミオの北陸の旅でした。

北陸路の旅

2014-06-05 | 旅行
昔からの友人4人と北陸路の旅です。
6月3日、JR西岐阜駅に10時集合しました。岐阜のHさんが愛車のハッチバックのマツダデミオに乗って現れました。
http://www.demio.mazda.co.jp/feature/?link_id=dmlnv
早速乗り込んで雑談が始まる。
「やはり、車も昔務めていた会社に愛着があるの?」。「いや、そういうわけではないけど。昔の友人が販売店にいて“こういう車が出たが買わないか”、と電話してくるからね」
「MAZUDA自慢のエンジンを搭載してるとか。圧縮比が13を超えるそうだね」
がやがや話しているうちに各務ヶ原のICに来た。東海・北陸自動車道に乗る。
関・美濃を通過する。
小生「この高速が開通したとき記念のマラソン大会が開かれて出場完走しました。57歳の時ですからもう20年も前になります」。美濃ICから美並村村内をまわっての往復42.195kmでした。
郡上八幡を過ぎると「日本一危険な高速だよ」とJさんが言う。
 中央分離帯がないのです。ゴムのポールが並んでるだけ。「道がまっすぐで運転が単調だから、居眠りの危険がある。対向車のドライバーが一寸居眠りしたら、こちら側に飛び込んでくるかも?」
ひるがの高原で休憩を取った後、岐阜・富山の県境に近づくと、トンネルが多い。トンネルの中に高速があるみたい・。
北陸道との合流点にある砺波が近づく。小矢部砺波ジャンクションで北陸道に転じ。砺波ICで高速を降りる。156号線を走りながら。「ぼつぼつ昼食レストランを探さねば」といっているうちの井波の街に入った。
http://www.tabi-nanto.jp/inami/
、瑞泉寺というお寺がある。浄土真宗東本願寺の井波別院です。
とりあえず駐車場に車を置き、観光案内所で聞くと「茶坊主」という蕎麦の名店がある」と言う。場所を聞く。ところが行ってみると、CLOSED。「朝、仕入れた材料が終われば、閉店させて頂きます」とあった・「仕方ない」古い街並みを歩いて別のレストランに行く。メニューに「正太郎御ぜん」があったので頼んでみる。みなさんは「てんぷら蕎麦」をオーダーされた。「正太郎御ぜん」は、要するにてんぷら定食だったが、この地は小説家の池波正太郎にゆかりの地らしい。彼の父祖の地だったらしく度々この地を訪れた、「正太郎ふれあい館」という博物館もあるらしかった。
 昼食後、「せっかく井波まできたのだから、瑞泉寺に行こうと、古い街並みを歩き始めた。残念ながら、カメラを車のトランク内に置いてきてしまったが、江戸時代を思わせる街並みは、カメラの好対象だなと思いました。
http://www.geocities.jp/inamibetuinzuisenji/
境内には。親鸞上人の銅像が建っていた。
300円の入山料を払い、本堂に入ったら、住職が法話をしていた。
「作家んの五木寛之さんが、先日お出でくださいました。寺のおせんべいを差し上げたら「こんなおいしいおせんべいは初めて」とお言葉を頂きました。そのおせんべいは、そこの売店で販売をしています」と、商売にも熱心だった。
山門を降りて門前町で田舎饅頭を買う。
 今日の宿は、大牧温泉、船で行く温泉旅館として有名だ。船の時間は、インターネットで、3時、4時半と確認したつもりだったが、3時、小牧ダムの船着き場に行ってみると、2時半に出て、次は4時だという。私のミスだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%89%A7%E3%83%80%E3%83%A0
時間が余ったので、水記念公園(下)に行ってみた。

4時に戻ると、観光バスが来ていて観光客で賑やかだった。船の料金は往復¥2800、車は船乗り場の駐車場に置き、乗船する。水量の豊富なダムだ。3

0分ほどの船旅で旅館に着く。

崖に張り付くように建物が建っている。
担当の女中さんが部屋に案内してくれた。大きな旅館で、旅館内で迷子になりそうだ。
「虫が部屋に入ってきますか」と私が聞いてみた。
「先日、高校の同級生と食事をしたとき、“今度、大牧温泉にいくのだが・・”と言ったら、
「大牧温泉!以前、行ったことがあるが、ヘコキ虫がたくさん来て閉口した」と言っていたのだ。「何年前の話?」と聞くと「20年前」と言う。 女中さん「ムシはどうしてもはいってくるから、窓を開け放しにしないでください」と言う。(つづく)

23日はウオーキング

2014-05-24 | 旅行
初夏を思わせる23日、住宅のシニアクラブでウオーキングに出掛けました。男4.女8の12名が、9時半うち揃て出発しました。地下鉄で栄乗り換え、中村公園駅の③出口を出ると、直ぐ左に参道入り口を示す「中村の大鳥居」

と呼ばれる真紅の大鳥居。参道を歩いて豊国神社です。同名の神社は全国にあるが、ここは、秀吉生誕の地に創建。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E5%85%AC%E5%9C%92

中村公園内に入るとすぐ左には、昭和42年(1967年)に名古屋市秀吉清正記念館が設置されています。
http://www.city.nagoya.jp/kurashi/category/19-15-2-5-0-0-0-0-0-0.html
特別展で秀吉の木造が展示されていた。記念館を出て公園内を歩く・Iさんが「子供のころはこの辺りに住んでいた」と言う。「じゃぁ、道案内をお願いするとよいね。」、「いや、すっかり変わってしまってわからない」
言われてみるとそうだ。Iさんの小学生の頃は70年も前になる。70年経って景色の変わっていない所は名古屋にはない!常泉寺という秀吉誕生の地に建てられた日蓮宗の寺がある。

http://www.jousenji.or.jp/
隣には妙行寺という清正誕生の地に建てられたお寺(妙行寺)もあるのだが、時間がないので割愛。「中村公園だけでも一日かけて見るところが多いね」皆さんの言葉だ。
http://www.myougyouji.jp/
公園北口を出ると、名古屋競輪場があった。本陣通りに出て、バス停公園北口から本陣3丁目西まで歩き、ななめ左へ、信号3つで新幹線のガード下。くぐると名鉄栄生駅。駅前の信号を右に、トヨタ産業技術記念館、http://www.tcmit.org/
65歳以上無料だが、入館して細かく見ると、それだけで一日かかってしまう。割愛して東隣の「ノリタケの森に行。http://www.noritake.co.jp/mori/お腹が空いたので。弁当を広げる。

1時間ほど自由時間にした。クラフトセンターで製造工程を見学した。
1:42のバス「めーぐる」で名古屋城に行く。バスは満員で外人さんも多かった。
ここまでくれば、住宅は見えるところにあるから、迷子になる心配はないので、自由に見学して解散とする。

我々は、名古屋市が150億円をかけて復元中の本丸御殿を見学した。昨年5月に玄関と広書院が出来て公開中です。ヒノキの香が匂い日本建築のすばらしさを感じます。
キャッスルホテル前の道を歩き3時過ぎ帰宅しました。歩きながら、「今日は、みなさんを歩かせすぎたみたいですね」と小生。「NOZUEさんにウオーキングに誘われるのでずいぶん歩けるようになりました」。そういわれればうれしい限りです。