熊野へ
2014-11-07 | 旅行
11月4日、自動車総連時代の旧友4人で恒例の旅行会でした。10時、名古屋駅の新幹線口に集合。岐阜のHさんから「着いた」とのケイタイを受けて駐車場に行く。ここの駐車場は20分未満は無料なので、名古屋駅集合の場合は、こうして集まる。Hさんが愛用のマツダデミオに乗ってきていた。互いに久闊を叙して4名が車に乗り込み白川から名古屋高速に乗り、名古屋西ICから東名阪道。伊勢道、紀勢自動車道を経る。途中安農SAで少休憩した。大内山インターを過ぎると、料金所があった。「3530円だ。」
「ここに料金所」があるということは、この後は別の道路会社?」。この後42号線に至るまで。まだできたばかり(2014年3月)で、無料試用中だった。
「紀伊長島IC以南は、高速道路会社によらない国と地方自治体の負担による新たな直轄事業である新直轄方式で計画されているため、通行料金は無料」とのこと。
それにしても大内山から尾鷲北にいたるまで、トンネルまたトンネルで、80%は、トンネルを潜っているようだ。12時半尾鷲に着き、「ぼつぼつ昼飯にしよう」と、レストランを物色。「おとと」という店に入った。珍しい魚料理のカフテリヤ方式だったが、魚類の土産も販売しており、「また、帰りに寄るか!」
トンネルを通り過ぎると、新宮市に入る。今回の旅のメインは、熊野三社の参詣だが、Hさんは、せっかく熊野まで行くのなら「大石誠之助の顕彰碑や邸宅跡を訪れたい」と言う。
大石誠之助は、新宮出身の社会思想家・キリスト者、医師。(大逆事件)で処刑された12名の1人。
が、 新宮に着いたが、どこにその碑があるかわからないので「とりあえず市役所に行き、聞けばわかるだろう」と市役所に入った。
「聞いてきます」と、Jさん、Sさんが車を降りたが、なかなか戻ってこない。
待ちくたびれた頃、Jさんが戻り「そこの駐車場に車を入れましょう」。新宮市内散策図」というイラスト入り地図を貰ってきている。すぐ近くだから歩いていくと言う。顕彰碑は市役所の裏手にあった。「しやくしょの職員は勉強不足だ」とSさんはぼやく。聞いても直ぐはわからなかったみたい。
「大逆事件の犠牲者を顕彰する会」の建立碑で、このえん罪事件で刑死した12名中6名が新宮市の出身、当時の新宮市にあって社会奉仕の功績顕著な人々であったことから、その氏名を記し碑が建てられている。文中「当記念館の主西村伊作は大石誠之助の甥で影響をうけた」とあるが、当記念館がわからない。そこで、Jさんがケイタイで、市役所の広報に電話した。新宮駅の北に西村記念館というのがあるという。行ってみた。休館日だった。「月曜定休だが、月曜が休日の場合良く火曜日が休館」とのこと。昨日は11月3日の休日だった、「明日また来ればいい」。その後市内の熊野速玉神社にお参りした。

境内に梛の古木があった。

平重盛(清盛の嫡男)の手植えと伝えられ、梛としては日本最大です。 ナギは熊野権現の御神木と言う。
参拝の跡、今宵の宿「休暇村 南紀勝浦」を目座す。新宮から南西へ。海岸沿いに20分ほど走らせ4時過ぎ到着しました。
入浴後、部屋で勉強会。Hさんが「大逆事件と大石誠之助」を講義した。
Hさんが大石の関心を持つようになった所以は、大逆事件(天皇暗殺の試み)に連座して受難した人々の中に浄土真宗の坊さんおおかたためらしい。浄土真宗のお寺の住職を務めるHさんとしては、先輩が何故事件に巻き込まれたかは、気になるテーマだったらしい。抗議の跡の討議も活発だった。
「大逆事件は、冤罪事件と言われるが、何故当時の政府当局者は、冤罪事件をでっち上げないといけなかったのか?私見では、明治維新で、薩長政権が生まれたが、彼らは何故日本国民を統治する権限を持つか理論武装が必要であった。そのために天皇制をもちだした。天皇が日本を統治する権限を有し、その天皇の命により薩長の官僚が国民を統治するのだ。しかし、この理屈がでっちあげに過ぎないことは。彼ら自身が良く知っていて、だからこそ、その理論の弱い所を衝く社会主義思想は絶対に容認できなかった。」
「仏教関係者やクリスチャンに、大逆事件で逮捕された人が多かったのは、宗教の教義からして、人間平等主義であることから、社会主義思想に関心をもったのでは?」
大逆事件の話の後、目下の経済事件にも論議が及ぶ。
「日銀総裁の異次元金融緩和はどう思う?」
「あれはやりすぎじゃない」
『円安は輸入品の価格を上げる。日本にはマイナス。輸出が増えて、そのマイナスをカバーできればよいが、輸出はデータを見る限り増えていない。だから、日本全体としては円安はマイナスになっている。一方、トヨタなどの輸出企業は利益を上げている。ということは、輸出企業以外の部門でマイナスがあるということです(全体でマイナスだから)。誰がそのマイナスを引き受けているか。いずれにしても、得する部門と損する部門が生ずるということは、国民の所得分配構図を変えることになる。日銀に、国民の所得分配構図を変える権限があるのか。この点について、日銀総裁は、何の説明もしていない』
喋りくたびれてまた夕食の酒に酔い、8時過ぎに寝てしまいました。年は争えない。
「ここに料金所」があるということは、この後は別の道路会社?」。この後42号線に至るまで。まだできたばかり(2014年3月)で、無料試用中だった。
「紀伊長島IC以南は、高速道路会社によらない国と地方自治体の負担による新たな直轄事業である新直轄方式で計画されているため、通行料金は無料」とのこと。
それにしても大内山から尾鷲北にいたるまで、トンネルまたトンネルで、80%は、トンネルを潜っているようだ。12時半尾鷲に着き、「ぼつぼつ昼飯にしよう」と、レストランを物色。「おとと」という店に入った。珍しい魚料理のカフテリヤ方式だったが、魚類の土産も販売しており、「また、帰りに寄るか!」
トンネルを通り過ぎると、新宮市に入る。今回の旅のメインは、熊野三社の参詣だが、Hさんは、せっかく熊野まで行くのなら「大石誠之助の顕彰碑や邸宅跡を訪れたい」と言う。
大石誠之助は、新宮出身の社会思想家・キリスト者、医師。(大逆事件)で処刑された12名の1人。
が、 新宮に着いたが、どこにその碑があるかわからないので「とりあえず市役所に行き、聞けばわかるだろう」と市役所に入った。
「聞いてきます」と、Jさん、Sさんが車を降りたが、なかなか戻ってこない。
待ちくたびれた頃、Jさんが戻り「そこの駐車場に車を入れましょう」。新宮市内散策図」というイラスト入り地図を貰ってきている。すぐ近くだから歩いていくと言う。顕彰碑は市役所の裏手にあった。「しやくしょの職員は勉強不足だ」とSさんはぼやく。聞いても直ぐはわからなかったみたい。
「大逆事件の犠牲者を顕彰する会」の建立碑で、このえん罪事件で刑死した12名中6名が新宮市の出身、当時の新宮市にあって社会奉仕の功績顕著な人々であったことから、その氏名を記し碑が建てられている。文中「当記念館の主西村伊作は大石誠之助の甥で影響をうけた」とあるが、当記念館がわからない。そこで、Jさんがケイタイで、市役所の広報に電話した。新宮駅の北に西村記念館というのがあるという。行ってみた。休館日だった。「月曜定休だが、月曜が休日の場合良く火曜日が休館」とのこと。昨日は11月3日の休日だった、「明日また来ればいい」。その後市内の熊野速玉神社にお参りした。

境内に梛の古木があった。

平重盛(清盛の嫡男)の手植えと伝えられ、梛としては日本最大です。 ナギは熊野権現の御神木と言う。
参拝の跡、今宵の宿「休暇村 南紀勝浦」を目座す。新宮から南西へ。海岸沿いに20分ほど走らせ4時過ぎ到着しました。
入浴後、部屋で勉強会。Hさんが「大逆事件と大石誠之助」を講義した。
Hさんが大石の関心を持つようになった所以は、大逆事件(天皇暗殺の試み)に連座して受難した人々の中に浄土真宗の坊さんおおかたためらしい。浄土真宗のお寺の住職を務めるHさんとしては、先輩が何故事件に巻き込まれたかは、気になるテーマだったらしい。抗議の跡の討議も活発だった。
「大逆事件は、冤罪事件と言われるが、何故当時の政府当局者は、冤罪事件をでっち上げないといけなかったのか?私見では、明治維新で、薩長政権が生まれたが、彼らは何故日本国民を統治する権限を持つか理論武装が必要であった。そのために天皇制をもちだした。天皇が日本を統治する権限を有し、その天皇の命により薩長の官僚が国民を統治するのだ。しかし、この理屈がでっちあげに過ぎないことは。彼ら自身が良く知っていて、だからこそ、その理論の弱い所を衝く社会主義思想は絶対に容認できなかった。」
「仏教関係者やクリスチャンに、大逆事件で逮捕された人が多かったのは、宗教の教義からして、人間平等主義であることから、社会主義思想に関心をもったのでは?」
大逆事件の話の後、目下の経済事件にも論議が及ぶ。
「日銀総裁の異次元金融緩和はどう思う?」
「あれはやりすぎじゃない」
『円安は輸入品の価格を上げる。日本にはマイナス。輸出が増えて、そのマイナスをカバーできればよいが、輸出はデータを見る限り増えていない。だから、日本全体としては円安はマイナスになっている。一方、トヨタなどの輸出企業は利益を上げている。ということは、輸出企業以外の部門でマイナスがあるということです(全体でマイナスだから)。誰がそのマイナスを引き受けているか。いずれにしても、得する部門と損する部門が生ずるということは、国民の所得分配構図を変えることになる。日銀に、国民の所得分配構図を変える権限があるのか。この点について、日銀総裁は、何の説明もしていない』
喋りくたびれてまた夕食の酒に酔い、8時過ぎに寝てしまいました。年は争えない。