■Happy Fun Radio 「Pop Up」
2007年6月19日(火) FM802 10:00-13:00
DJ:中島ヒロト
GUEST: 佐野元春
Playlist
ラジオ・デイズ
君が気高い孤独なら
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■内容の一部を抜粋
・大阪のイメージ
大阪の男の子、女の子と話すのが楽しいという元春。東京生まれなので、物の見方、感じ方の違いが楽しいのだという。関西のボケとツッコミの文化が東京にもあるのかと考えてみたが、それに比類できるものはなかったのだそうだ。だから大阪の男の子、女の子と話す時は戸惑いがある。でもその戸惑いが楽しいのだという。
「関西のみんなのツボにハマッちゃっていいのか、それとも僕がちゃんと東京の男としてしっかりしていなければいけないのかって戸惑いがあるんですよね~」と元春。
・ラジオ
ヒロト「佐野さんにとってラジオとは?」
元春「友達だね。僕は多感な頃から常にそばにラジオがありました。学校でケンカして帰ってきた時もね。夜、ベッド・サイドにトランジスタ・ラジオがあって、そっからながれてくるポップ・ミュージック、ロックンロール音楽を聴いて、気が晴れ晴れとする、まぁ単純なんですけれどもね。だからラジオにはすごく恩恵をもらったなっていうふうに思ってるんですよ」
ヒロト「ミュージシャンになってDJされた時、今度は(ラジオ番組を)作る側、送る側になった時のラジオに対する思い入れというのはどうでした?」
元春「ああ、これはね、僕は二十代の時にサンフランシスコのR&B専門のステーションがあって、そこへ仕事で取材に行ったことがある。DJに会って同じ質問をしたんです。[あなたにとってラジオ・メディアとは何なの?]って。その黒人DJは一言ね、[LOVE]って言いました」
ヒロト「ああー、かっこいいっすねー。オレ、聞かれて[LOVE]」って言えっかなぁー。でも、わかりますけどね、その気持ちはねー」
元春「あははは。そうでしょ。世界共通のものであると思いますよ。ラジオ・メディアはLOVEだというのはね」
ヒロト「佐野さんにとってのラジオが、さっき友達というのがあって、それもLOVEのひとつだし。そうやってアメリカのDJが[LOVE]って一言言えたっていう、言い切れたところは、僕もそれなり長いことDJやってますけども...」
元春「もうFM802では10年以上かな?」
ヒロト「そうですね10年以上やってますねー」
元春「素晴らしいことですよね」
ヒロト「ありがとうございます。その気持ちっていうのは大事にしたいと思いますし、今回の『COYOTE』に入ってるラジオにちなんだ曲といえば[ラジオ・デイズ]というのがありますけれども。その中の歌詞でね、"いつだって君のそばにいた/思い出のレイディオ・ショー/いつだって君の味方だった/思い出のレイディオ・ショー"、[そば]っていうのはさっきの枕もとのトランジスタ・ラジオというのもあるし、[味方]っていうのが、ラジオってやっぱり一対一のメディアじゃないですか。なんか[僕]に話してくれてるという...」
元春「そうなんだよね」
ヒロト「だからそこでね、このフレーズが出てきて、やっぱラジオやってる者として、[やっぱ佐野さん、すごいラジオ好きなんだな、友達なんだな]って感じましたね。これ提供された曲だったわけなんですけれど、セルフ・カヴァーみたいなところもあったりとか。ラジオについての曲っていうか、これから新しい曲ができるのかは別にしても、やっぱ自分にとって思い入れのある曲だったりしますか?」
元春「僕の曲だけではなくてね、欧米の曲を聴いてみても、ラジオについての曲、DJについての曲、ホントに星の数ほどあるんだよね。それだけミュージシャンにとっては、またソングライターにとってはDJという存在がいかに大事かっていうことだと思いますよ」
ヒロト「うれしいですよね。そうやって思ってもらえると、僕らもこれからがんばって行きたいなと思いますし」
元春「お願いします」
元春が帰った後、DJの中島ヒロトは昔話をした。19歳、予備校生の時に阿蘇で行われた野外オールナイト・コンサート(ビート・チャイルドのことだと思う)を見に行って、夜明け近くにどしゃ降りの雨が止んで、朝日が昇ってきた時に、佐野元春 with The Heartlandが登場し、それを見て感動して涙を流したと話した。これまで何度か元春と会ってインタビューしているが会う度にその話をするので、元春には「前にもその話したよね」と呆れられてるそうだ。だから今日はしなかったと。その話のほうが印象に残ってたりして(苦笑)。