shiotch7 の 明日なき暴走

ビートルズを中心に、昭和歌謡からジャズヴォーカルまで、大好きな音楽についてあれこれ書き綴った音楽日記です

「スター・トレック: ピカード」

2024-01-07 | TV, 映画, サントラ etc

 私は筋金入りのスター・トレック・ファン、いわゆるトレッキーである。映画がメインのスター・ウォーズとは違い、スタトレはあくまでもTVドラマ・シリーズが主体であり、映画は言ってみればオマケみたいなもの。これまで「宇宙大作戦(The Original Startrek)」、「新スター・トレック(The Next Generation)」、「ディープ・スペース・ナイン(Deep Space 9)」、「ヴォイジャー(Voyager)」、「エンタープライズ(Enterprise)」、「ディスカバリー(Discovery)」そして「ピカード(Picard)」の7つのシリーズが放送されてきており、今現在も「ディスカバリー」のファイナル・シーズンと「Strange New Worlds」という新シリーズがアメリカで放送中だ。
 私が本格的にスタトレにハマったのは1990年代の初め頃に関西テレビの深夜枠でやっていた「新スター・トレック」からなので、今でも私にとってのスタトレと言えば何はさておきパトリック・スチュワート演じるピカード艦長の「新スター・トレック」である。スター・トレックというのはザックリ言えば未来宇宙を舞台に様々な地球外生命体を登場させながらも、その本質はクルーたちの人間関係をリアルに描いたヒューマン・ドラマであり、今回取り上げる「ピカード」もピカード艦長を中心に「新スター・トレック」放送当時のオリジナル・メンバーやQ、ボーグ、可変種といった重要キャラが総登場するという、ある意味スタトレの集大成のような内容になっている。私にとって数あるスタトレ・シリーズの中でも「新スター・トレック」というのは音楽に例えるならまさにビートルズのような絶対的存在であり、今回取り上げる「ピカード」は言ってみれば “約30年ぶりの再結成” みたいなモンだろう。
 最初、「ピカード」のシーズン1を観た時は年老いたピカード艦長(←撮影当時のパトリック・スチュワートは何と79歳!)の姿が結構ショックだったのと、シンス(人工生命体)の自我・独立を扱った脚本の中身が地味でいまいちピンとこなかったが、それらを補って余りあるのが映画「ネメシス」で自らを犠牲にしてピカード艦長を救ったデータ少佐の再登場で、ブレント・スパイナーの名演技が見れるだけでも価値があるのに、ストーリーにジャズのスタンダード・ナンバー「Blue Skies」を絡めて感動的なエンディングにもっていくところが実に粋で、このあたりはさすが本場アメリカやなぁ...と唸ってしまった。
「スター・トレック: ピカード シーズン1」


 データ少佐の存在におんぶにだっこだったシーズン1に比べ、シーズン2ではQやボーグ・クイーン、ガイナンといったピカードにゆかりの深いキャラが続々と登場することもあって面白さが大幅にアップ! Qによって変えられた時間軸を元の正常な形に戻すためにセブン、ラフィ、リオス、アグネスといったピカードの新しい仲間たちがボーグ・クイーンを巻き込んで奮闘するタイムトラベル物のストーリーは手に汗握るものだし、第1話で張られた伏線や謎が最終第10話で見事に回収される様は痛快そのものだ。
 そんな中でも私が一番グッときたのはピカードとQが最後に別れのハグをする場面で、トレッキーならQを演じるジョン・デ・ランシーの名演技に涙腺が決壊すること間違いなし(T_T)  「新スター・トレック」からずーっと続いてきた二人の関係の終わり方としてはこれ以上のものは考えられないだろう。Qが最後に言った “サプライズ”(→エルノアが生き返った!!!)も視聴者がスカッとする後味の良さだ。
 それと、シーズン1で出てきたロミュラン人のラリスが、時間軸が分岐する21世紀の地球におけるピカードのガイド的な役どころのタリンとして一人二役で登場するのだが、演じているオーラ・ブレイディという女優さんが私好みの美人で、このシーズン2でほぼ準レギュラー的な扱いで出てくるのがめちゃくちゃ嬉しい。
「スター・トレック: ピカード シーズン2」


 シーズン3はピカード、ライカ―、ビバリー、データ、ウォーフ、ラフォージ、ディアナという「新スター・トレック」の黄金時代を飾ったエンタープライズ号のクルーたちが再集結して進化した可変種や最大の敵ボーグと戦うという展開に涙ちょちょぎれる。しかもガイナンやロー・ラレン、シェルビー少佐にモリアティ―教授、更にヴォイジャーからトゥヴォックまでも登場させるという大盤振る舞いに喜ばないトレッキーはいないだろう。
 敢えて難を言えば、シーズン2が “新たなる脅威” に対してボーグ・“ジュラティ”・クイーンが暫定的とはいえ連邦と同盟を結んでこの宇宙域の番人になるという衝撃的な終わり方をして今後の展開が楽しみだったのに、シーズン3のフタを開けてみればまるでシーズン2が無かったかのような設定でストーリーが進行することで、シリーズ間の整合性に疑問符が付くことぐらいか。理想を言えばシーズン3ではシーズン1で描いた人工生命体のその後とシーズン2で描いた新たなる脅威とを絡めた展開に持っていき、シーズン3の話は劇場版の映画にでもすれば良かったのかなぁと思う。
 ただ、この「ピカード」というドラマは、シーズン1でピカードの “友” であるデータ少佐との別れを描き、シーズン2で良くも悪くも腐れ縁といってもいい “絆” を感じさせる Q との別れを描き、そしてファイナル・シーズンでは満を持して “家族” とでもいうべきエンタープライズ号のクルーたちと共に去り行くピカード艦長を描く... というのがこのシリーズのコンセプトだったと考えるとすべてにおいて合点がいく。言い換えれば、この「ピカード」というシリーズは一世を風靡した「新スター・トレック」に用意された “実に美しい花道” と言っていいのかもしれない。
「スター・トレック: ピカード ファイナル・シーズン」