shiotch7 の 明日なき暴走

ビートルズを中心に、昭和歌謡からジャズヴォーカルまで、大好きな音楽についてあれこれ書き綴った音楽日記です

SPARK / The Yellow Monkey

2012-01-14 | J-Rock/Pop
 イエロー・モンキーは1991年にインディーズ・レーベルから自主制作 CD を出し、翌1992年にメジャー・デビュー、2001年に活動を停止するまでの10年間で9枚のオリジナル・アルバムを出している。ライヴを見れば分かるように、バンドのコアな部分での主義主張や価値観といったものはそれほど変わっていないが(←スケベなロック...笑)、楽曲や演奏のスタイルといった表面的な要素は大きく変化しており、初期・中期・後期のアルバムを聴き比べると、コレがホンマに同じバンドかと耳を疑いたくなってくる。
 時系列に沿って整理すると、
 1991 インディーズ 「バンチド・バース」
 1992 コロムビア ①「夜行性のかたつむり達とプラスチックのブギー」
 1993  〃    ②「未公開のエクスペリエンス・ムービー」
 1994  〃    ③「ジャガー・ハード・ペイン 1944-1994」
 1995       ④「スマイル」
 1995  〃    ⑤「フォー・シーズンズ」
 1997 ファンハウス⑥「シックス」
 1998  〃    ⑦「パンチ・ドランカード」
 2000  〃    ⑧「8」
となり、グラム・ロック色全開でアングラ臭をプンプンさせていた初期(インディーズ~③)、ポップにハジけて王道ロックに方向転換した中期(④~⑥)、ヘヴィーなロック色を強めながらバンド・サウンドの方向性を模索していた後期(⑦~⑧)という感じ。彼らがそこそこ売れ始めたのは95年の④⑤あたりからだが、爆発的にブレイクしたのは日本コロムビアのトライアド・レーベルからビクターのファンハウスへとレコード会社を移籍した96年頃からで、その起爆剤になったのが移籍直前にコロムビアからリリースした置き土産的な2枚のシングル、「JAM」と「SPARK」だった。
 それまで15万枚前後だったシングルの売り上げが一気に4倍増(!)の60万枚にまで達したこれら2枚のシングルはオリジナル・アルバムには未収録で、日本コロムビア時代のベスト盤である「シングル・コレクション」か「トライアド・イヤーズ・アクトⅠ」、あるいはオールタイム・ベスト「マザー・オブ・オール・ザ・ベスト」でしか聴けない。イエロー・モンキーの “静” と “動” を象徴するようなこの2曲は共に彼らの歴史を語る上で欠かすことのできない重要なナンバーなので、今日は「JAM」に続いてリリースされて連続ヒットとなった「SPARK」でいこう。
 この曲は聴けば分かるように “コレがロックだ。文句あるか!!!” と啖呵の一つも切りたくなるようなカッコイイ疾走系ロック・チューンで、吉井さんが担当ディレクターに “「JAM」の次はちゃんとまたアッパーな曲出すから...” と約束して、きっちりと “ヒットソングを作るんだ” という思いで作った曲。この時期の吉井さんが “売れる曲を作ろうと思えばすぐに作れる” ほどコンポーザーとして充実していたことを如実に示すエピソードだ。
 いきなりテンションの上がるイントロ、スポーツカーのターボ・ブーストのように曲のスピード感を増幅させるバック・コーラス、思わず口ずさみたくなるサビのメロディー、ロック魂溢れるエマのギター・ソロ、ライヴ感一杯のサウンドと、すべてが完璧にキマッており、聴く者の心にロックな衝動を呼び起こす。まるでスパのオー・ルージュを全開で駆け上がっていくかのようなワクワクドキドキ感に溢れ、正攻法の直球勝負!といった感じが実に痛快だ。
 それと、演奏があまりにもカッコイイのでついついそちらに耳を奪われてしまいがちだが、相変わらず吉井さんの書く詞は切れ味が鋭い。基本的には “目を閉じて” “抱き合って” “獣のように” “君とスパーク” するという、彼お得意のスケベ・ソングなのだが(←“夜はスネーク” と韻を踏ませたセンスは最高!)、“真実を欲しがる俺は 本当の愛で眠りたいのさ 恥ずかしいけどそれが全てさ~♪” というラインに “失われた愛を求めて” 彷徨う吉井和哉という男の本音がチラリとのぞく。
 高橋栄樹氏が監督を務めた PV のカッコ良さもハンパない。動体視力を試されてるような(?)映像処理もめちゃくちゃスリリングで、グングン加速しながら疾走する曲想と見事にシンクロしているのだ。 YouTube にあったのは残念ながら消されてしまったので、目がチカチカする PV を見たい方(笑)は ココ をクリックしてご覧下さい。

TYM Spark ('96 “野生の証明”ツアーより)