津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■肥後細川家家臣・嵯峨氏

2018-10-26 08:08:33 | 人物

            笹竜胆



 このお宅、由緒を辿れば家祖は中院道勝である。天正8年、正親町天皇の勅勘を蒙り丹後に配流となった。
十九年に渡り細川幽齋の庇護を受けるとともに、幽齋の養女(実一色左京大夫義次次女)を妻としている。
嵯峨家の祖はその四男だとされる。
    長岡与九郎孝以(四男 初・中院益丸 没年不詳・享年二十一歳) 
       室・細川忠興妹千、一男(実は二人)あり丸山左京進一信(孝方)
         細川内膳家「桂山公系図」より
           少名千 始嫁長岡興九郎孝以 後為小笠原宮内長良妻
           天正七巳卯年誕生 寛永四丁卯年十二月二十二日於豊前病死
           歳四十九 法名恵雲院凉室理清 母同上
           孝以者名中院中納言通勝卿子也 慶長九甲辰年三月二十八日卒

        
参考:中院家系図は孝似を通勝長男としている(同参照)
        参考:丸山左京進 ○○石 御馬廻衆 (肥後御入国宿割帳)
                     三百石 (真源院様御代御侍免撫帳)・・左京
              室・・沼田延元女千代(正受院)
細川家家臣としての初代はその二男宗巴 (孝勝=伏見殿殿上人従五位上 嵯峨縫殿助--中院家系図)

そして上記写真の次八郎は、6代目・競(持座・長岡組 廿五人扶持)である。
その花押も御公家さんの御血筋らしく誠に優雅であるし、家紋はまさしく中院家の笹竜胆紋である。



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