津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

木下町

2010-06-03 14:48:35 | 歴史
                        「森からし蓮根」のウエブサイトから
 悪友が「木下町って知ってるか」と訊ねてきた。「日出藩主・木下延俊の三男・三郎左衛門の屋敷が在った所だ」と返事をして取り繕ったが、三郎左衛門自身が住まいしたかどうかはよく判らない。後年のことであろう。路面電車が新町から終点の上熊本に至る丁度中間程の処で大きく蛇行しているが、このあたり(現・新町3丁目)に勢屯があり西側に大きな屋敷があった。戦略的意味合いも在ってのことであろう。現在では熊本名産の「からしれんこん」を製造販売している店があるあたりである。
          【元祖 森からし蓮根】  www.karashirenkon.co.jp

木下延俊は細川幽齋の女婿、義兄に当る忠興や息忠利とも大変懇意にしている。
その三男・三郎左衛門が肥後・木下氏の祖である。

     豊臣秀吉
       ∥
 +--- 高台院
 |
 +---木下家定---+---勝俊(長嘯子)
              |
             +---利房・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→(備中足守藩主)
              |
             | 藤孝女婿
             +---延俊---+---俊治・・・・・・・・・・・→(日出藩主)
             |        |
             |        +---延次・・・・・・・・・・・→(寄合交代衆)
             |        |  
             |        +---三郎左衛門・・・・・・→細川家臣・木下氏
             |
             +---小早川秀秋


長兄勝俊は、長嘯子を名乗る文人大名、幽齋の弟子でもある。
次兄利房は、備中足守藩主代々相続して明治に至った。
延俊は、細川藤孝の女(加賀)の婿である。
次弟小早川秀秋は、関ヶ原での行動が東軍の勝利をもたらした。
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