津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■江津・斎藤家の茶室

2024-08-19 06:50:56 | 熊本

 一年前に「■中村汀女の鼻」を書いた。熊本に在った時期は、その美女ぶりは誰もが知る處であったらしい。
汀女の「高い鼻」に関するエピソードをご紹介した。

 処でここで私は「汀女は裕福な斎藤家の娘で、江津湖にはその斎藤家の名前を冠した「斎藤橋」がある。」と御紹介している。
ところがこの斎藤橋に関することで異説が飛び出した。先月の史談会に参加いただいた方が仰るには、斎藤家の一族が作ったのは間違い
ないが、「汀女の斎藤家とは違う」という事らしい。
因みにウイキペディアでは「地主で画図村村長だった斉藤清房が私財を投じて建築した。1929年’(昭和4年)6月16日に渡り初めが行わ
れている。当時は木の橋だった。現在は、江津斉藤橋として国道57号の一部となっている。」と紹介されている。

「歴史を勉強しておられる皆様には本当のことを知っていただきたい」と仰って、改めてご出席をいただきお話を伺うことにしている。
かっての市民病院(湖東町)近くに斎藤家の茶室(お茶屋?)があり、そこへ通うために架けられた私用の橋であったらしいが、後に
は一般市民に無料で開放された。

斎藤家一族が豪農であったことを物語っている。私はお茶室がどこに建てられていたのかを知りたくて仕方がない。
そして、その資料が残されていないのかも気になって仕方がない。

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