津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

佳代子夫人と栄昌院さま

2011-02-18 09:50:37 | 歴史

 宇土細川家家臣・佐方信規の「栄昌大夫人遺事」という文書が残されている。
この文章により私達は夫人の人間的すばらしさを思い知るのである。
栄昌大夫人すなわち宇土細川家八代藩主立之夫人冨姫(福姫とも 栄昌院)は、時の老中土井利厚(下総古河藩第3代藩主。土井家宗家10代)の三女であり、細川宗家を継いだ齊護の生母である。細川齊樹が疱瘡でなくなったあと、齊樹夫人が一橋大納言家の出身であることから、一橋家より養子を迎えることが取りざたされた。血脈の途絶えることを憂慮した細川家では、急きょ齊樹の甥(兄立之の子)宇土藩九代当主立政(齊護)を急養子として迎えるのである。思いがけず細川宗家を相続した立政(齊護)にたいして、栄昌院は教訓文を与えている。
 柴桂子氏の「女性たちの書いた江戸後期の教訓書」にも取り上げられているが、細川佳代子夫人は、この栄昌院の教訓文を取り上げて講演をもたれたことがあった。
栄昌院のDNAは現在の細川家にも脈々と流れており、佳代子夫人も敬愛されるところであろう。

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 このたび存じがけなく龍之口ご相続の儀、まことに御身においてこの上もなき御誉、この身迄も面目これにまさり候こと無く候 ついては御心得の端にもと及ばずながら書き付け候 第一御身もち正しく人々に情深く公の御勤め怠りなく、御家ご大切にご家風みだれざるよう御政道能々お心かけられ、大小のこと共御家来中衆議をお聞置き得中、ご勘弁の上にて取り行われ万事ご一存にて無きようお心がけらるべく候 ご家来中多く候えば万事御心くばりのこと共に候わんか、いかようにお心を労され候でも御落度なきよう能々お心得ありたく候 御大国の御あるじとなり候ことは容易なきことにてはなく候あいだ、よくよくご思慮ありたく候
まさに日々のおこないには毎朝ご神拝の後、ご先祖様のご拝礼一日も怠りなくご養父様は御存生の如く何ごとも置かせあそばされ候ことは当分そのままに御改めなく随分ご大切にあそばされ候と人々も存じ候様になされ、何ぞのかど目にはまづご吹聴仰せあげられ候ようにありたく候 自然ござ候はぬお方はついつい御礼儀も疎かになり候ようのこともありがちなるものゆえ、能々ご失念無くお仏参りなどは尚更御怠りなきようにと存じ候 御暇々にはご学問お心にかけられ弓馬諸芸ともにご出精なされ、ご家中の励みにもあいなり候ようにと思召しにてご自身ご出精第一に候 御前様へは能々朝夕になにくれとこまやかにお心をつけられますよう、このところはこれまでも私へ御仕え候もこまやかに候へば安心に候 お上にはことのほかご孝心に居られそうろうだん承り及び候へば、尚さらその心にて万事ご孝行を尽くさるべく候 奥方様おいでの後はことさらに奥向最初よりよく取締り、乱りがわしきことども随分御慎みなされ、自然召遣いの人などでき候とも常々も申し候とおり我ままにならぬよう姑より能くお仕置き候よう、家風など乱れ候は兎角寵愛の過ぎ候より起り候 唐土にも大和にも昔より様々のためし有り候ことに候ゆえ、このところ能々わきまえ召遣われ候よう専一に存じ候 若きうちは随分と慎み深き人も年積りて却つて心緩み我儘募り身持悪しくなり候も間々あり候 なにごとも自然と御心にまかせ候節にいたり、御慎み肝要に候 無益の御驕りなど無く候ようなに事もこの方にて是まで種々心苦致され質素に暮しおり候を、かつてお忘れなく身に不足なときには昔のことはついつい忘れ候ままくれぐれも元を忘れぬよう朝暮お心にかけられ、だいたいお家のためご大切にたることをしばしば思召し忘れず候よう、第一にお心かけらるべく候 このたび加様に御めかねにて御譲りなされ候御家ご大切たることは幾度も申し候如く起臥にもお忘れあるまじくと存じ候 泰崇院様遠行ののちは別して此方家来共々入に心を砕き、丹精をこらし勤めまいらせ候人々のことをも思召しだされてしかるべく候 これ迄も孝心深くかねがね家居をさへ一つに住居候ようにとまで思召され候お心差し恭くとも嬉くとも言葉なく、さばかりのお志を頼みにてかかることとも書記しるし候 必ず別れ候てもその志空しからず候は、このしるし候こととも能々御守りたまわり、万事御身を慎み永く人々の尊敬したてまつり候ように御取治め下され候は、いかばかりの喜び、且は此方御先祖様・泰崇院様・寛敬院様までも御誉たるべく候 まことにかい無き心にてただただ心りに候へば、存じ候方端をだにとしるしつけ候まま、対面と思召しこの書折々ご覧賜り候べく候 御身養生専一に候へばこれ迄のとおり灸治等をも役目にて御すえなさるべく候 すすめ候人無きちきは怠り申すべく候 何くれを案しられ候あまりに、かかる事迄書き付け候も心のやみにて候 お許し賜るべく候 あなかしこ

        中務少輔殿                         栄昌院

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 立政は文政九年三月二十九日本家相続を命ぜらる。同四月十八日越中守と改む(23歳)
尚、栄昌院は立之の嫡男・雅之進(のち慶前)が、天保五年正月本家に入るまで(当時10歳)、その養育に尽力した。宇土細川家は栄昌院の二男・行芬が襲封した。

栄昌院 天保十二年正月廿五日卒 五十五歳 墓所・江戸清光院

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