慶長20年(1615)発令の武家諸法度13条の「元和令」は、「私に婚姻を締ぶべからざる事」と定めた。将軍から婚姻を許可された女性をして正室と認めた。
寛文三年の「諸士法度条々」に於いては、 「国主・城主・壱万石以上近習并物頭ハ私不可婚姻事」と具体的記述と成り、 幕府の許可無く勝手に結婚してはならないとした。
又公家との婚姻についても附書にて「与公家於結縁辺者、向後達奉行所、可受差図事」とし、奉行所に伺いを立て差図を受ける事としている。
跡目に養子を立てることについても細かな決まりが誕生している。
「跡目之義養子ハ、存生之内可致言上之、及末期雖申之不可用之、雖然其父年五拾已下之輩、雖為末期、依其品可立之、十七歳以下之者、於致養子ハ吟味之上許容すべし、向後ハ同姓之弟・同甥・同従弟・同又甥・同又従弟此内を以、相応之者を可撰、若同姓無之ハ入婿・娘方之孫姉妹之子、種替り之弟、此等之者其父之人柄により可立之、自然右之内ニ而も可致養子者、於無之ハ達奉行所可受差図也、縦雖為実子、筋目違たる遺言立べからざる事」
跡目の養子は藩主の存生中に言上し、末期に及び申出ても取上ないとしている。しかし藩主が五十歳以下の場合は末期でも認める事があるとする。十七歳以下の者が養子を立てる場合の許可は吟味の上でとし、同姓の弟・甥・従弟・又甥・又従弟の中で相応の者を選ぶ事とし、同姓の者がいなければ入婿・娘方の孫姉妹の子、種替りの弟などこれ等の者もその父親の人柄により立てる事、それでもこの中で養子にする者がいない場合は奉行所に届け指示を待つようにとしている。そして例え実子であっても筋目が違う遺言では立ててはならないとする。
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