津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川伊也

2006-02-03 09:20:46 | 歴史
 藤孝の長女である。永禄十一年五月生まれだと云うから、忠興にとっては八つ年下の妹と云う事になる。天正九年五月伊也は、弓野木城主一色五郎義有に嫁す、十五歳。両家和睦の絆として、幽齋が持ちかけた話である。その年の暮れ男子を出生している。

 司馬遼太郎の著作「余話として」所収の短文「謀殺」は、藤孝・忠興親子が壻である義有を殺害する事件を主題としている。義有と伊也の婚儀の三日後、幽斎の居城宮津城に「婿入り」した義有を謀殺したとしている。事実とは随分かけ離れていて、司馬氏の取材の甘さを指摘せざるを得ない。

 事件が起きたのは天正十年九月である。義有の謀叛を察知しての事だと云うが・・・。綿考輯録には詳しい処であるが、細川護貞氏はその著「細川幽齋」に於ては記述を避けておられる。余り気持ちのいい事件ではないからだろう。

 伊也はのち吉田兼治に再嫁し女子をもうけた(徳雲院、長束大蔵大輔正家の子、田中半右衛門に嫁した)戦国時代を生きた女の悲しい話である。
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