津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

ハーマン号沈没事件

2006-02-04 13:40:34 | 歴史
 「肥後藩國事史料」にある「ハーマン号沈没」に関する記事を、わがサイトにアップしようと思い立ってから、随分の時間が流れた。今般ようやくアップすることができて、心底嬉しい。細川藩政の終焉期に起きた悲しい事故は、130数年を経過した今日に於ては忘却の彼方にある。五稜郭にこもる榎本武揚軍を鎮圧すべく、函館に出兵した津軽藩(藩主津軽承昭は細川斎護の四男)の事態を憂慮して派遣された350名の肥後藩士は、明治二年正月二日乗艦したお雇米艦ハーマン号が座礁破艦して多数の死傷者をだした。地元勝浦の漁民の献身的な救助の様子は、地元では今でも語り継がれ顕彰されている。(官軍塚)
我が家に於てもT家に養子に入った某の二男が死去した。母方の伯父の家だが、このような事実も今回始めて知ることとなった。よくよく検証すると、父子や兄弟が共に死亡といったことが処々見られる。古里のご家族の悲しみは如何ばかりであったろうか。時代は大転換し、すがるべき藩さえもが消滅してしまい、これらの補償などはどう成されたのだろうか。胸が痛む。

  官軍塚に有る俳人中村汀女の句碑から 「香焚けば 情こまやかや 春の海」
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