津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■蒸し返すようですが・・前田千世姫のこと

2021-10-01 09:53:52 | 歴史

 「細川小倉藩年表稿」を作ろうと思い、関係する本を本棚から引っ張り出したので足元に小山が出来た。
そんな中まずは「永源師壇紀年録」の慶長五年あたりの記事から精読を始めた。
この中に、後に廃嫡された忠興の嫡男・忠隆の四人の娘の生年が記されている。
  ・慶長十年(中略)茲年忠隆主息女ヲ生ム、徳媛ト名ク。
  ・同十三年忠隆主息女ヲ生ム、吉媛ト名ク。
  ・同十四年(中略)茲年忠隆主息女ヲ生ム、福媛ト名ク。

この記事を再確認したうえで、未だに結論をうやむやにされている感じの忠隆の三人の姫の生母についての疑義を感じている。
忠隆のご子孫・内膳家に於かれては過ぎる年、御一族の菅芳生氏が「細川右京家資料集」を発刊された。
詳細で見事な系図が紹介されていて大変な研究調査の結果であろうと驚嘆している。
当サイトでは以前、徳・吉・福姫は細川忠隆と正室・前田千世姫との間に生まれた子なのかということを議論したことがある。
内膳家の J 様の熱い挑戦があったが、その結果は当サイトに J 様ご自身がまとめられた「細川忠隆公と前田千世(ちよ)姫」をご紹介している。
前田千世姫は忠隆離縁後、前田家の有力家臣・村井長次に再嫁している。内膳家に於かれては徳・吉・福姫は千世姫の生んだ子であるという姿勢を取られており、それは先の「細川右京家資料集」の系図で明らかである。
ウィキペディアで「春香院(前田千世)」を眺めると、内膳家史料をもとにして内膳家の三人の姫は千世姫の子としている。ところが一方、千世姫は慶長10年に村井長次に再嫁したという指摘も紹介しており、矛盾が生じている。
この指摘が本当であれば、内膳家の主張は否定されることになるが、これは J様の上記まとめの中にもあるように、ぴえーる様の報告にある『前田氏戦記集』収録「村井家伝」より 「一、慶長十年に利家様御息女ちよ様、後は春香院殿、利長様より出雲に嫁娶被仰付候。」に準拠しているものと思われる。強力な一級資料である。

このような結果からすると、三人の姫の生母を「千世姫」とされる主張については、万人を納得させるような説明がしかるべきだと考えているが如何だろうか。



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