元治元年京都留守居を勤めていた上田久兵衛が七月二十九日付けにて父親に宛てた手紙の一部である。
十九日に起きた蛤御門の変その他の事を書き送っている。
一、同(元治元年)十九日暁七ツ比か堺町
此御門之名等間違居候歟難計
中立売蛤之三御門ニ
長之勢押寄手痛キ戦諍
有之堺町は九条様之
内ニ長之勢入込居塀ゟ御門内
之勢を撃候故彦根勢
手負死人も多有之たる由
尤彦根勢ゟ烙丸を発し
九条様を焼立候故長勢堪兼
敗走之由何方も長之方敗レ
申たる模様ニて當日四ツ時分
方々焼立候
烟ニ紛レ引取候故其折
之除場一切分り兼候との事
(続く)