津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■明治五年熊本縣医学校の「湯治心得」

2017-07-01 07:52:46 | 史料

                                  湯治心得・明治五年、熊本医学校、右は山鹿の温泉小限ら0各地の硫黄湯ハ其浴法‥‥

 28日のヤフオクで落札したものである。「設(セ)氏寒暖計の三十二度を適宜とす」という言葉が見えて、面白そうだと思っての事だ。
今日手元に届き読んでみると、医学校が大仰に言うことでもなかろうと思う内容なのだが、明治五年の医学校の程度が伺えてなかなか興味深い。

               湯治心得
           昔より温泉の疾ひを治すること諸人の晋祢く知る所なり 就中山鹿の温泉ハ硫
           水素を含ミレーマケス風疾・イークト梅毒及ひ其他の皮膚病久く治せすして疼痛強 
           直麻疹等を胎し内外の医薬効なき者を治す 凡そ湯治ハ定規なく浴しても効あること
           なれとも能く規則を定免て湯治すれハ其効殊に神速なり 但し疾の症状と各人の体
           質とに従て些く加減ある者なれハ今其大約を記して諸人の便にす
             一湯治ハ短くとも四週間ハ浴すべし長きも三ヶ月を越ゆべからず 三ヶ月を経て治 
              せさふものハ一と先ツ湯治を休ミ一二ヶ月の後再ひ始むへし 難症ハ三回も四回
              も斯く反復る事あり
             一暖気の時候を撰ふへし但し格別差掛りたるものハ冬日にても湯治するもあり
             一湯治の間ハ程よく温保して「フラ子ル」を着し食物を節にし酒類油膩の品を
              すべし
             一入湯の外温泉を内服すへし其温度ハ設氏寒暖計の三十二度を適宜とす 浴場
              の温度ハ先つ二十八度より漸々卅度に至るべし 且ツ内服の量も少量より進て本
              量に至毎朝六ツ時に起き湯口に行き温泉十二「オンス」オンスハ八匁を飲ミ半時の間樹陰を散
              歩し其後八分時の間湯に入り始めて食事に就くべし 些しく疲れたらハ四半時或ハ
              半時計り眠るもよし 第二日同前 第三日初め湯を飲むの後散歩すること半時
              にして後々同量の湯を飲ミ前のことく散歩して湯に入り食事すべし 第四日同前
              第五日同量の湯を飲こと三度総て前の如く半時宛の間を置くべし 此の日より四半時
              の間湯に入るべし 第六日同前 第七日湯を飲こと四度入湯前に同し但し此の日より痛なる
              場所に水鉄砲にて湯を注射すへし 第八日同前 第九日湯を飲こと五度 第十日同前 第十
              一日湯を飲むこと六度此後ハ始終同量にて三週四週の間持久すへし 但し毎朝定規の如く
              湯治を終へさる内ハ食事すへからす 湯を飲むも半時宛の間を置き其間ハ散歩すべ
              し一時に多服すへからす 湯の量ハ景況に應して減することあり 入湯ハ一日一度にて足れり
              数回するハ効なくして害なり

              湯治場に蒸風呂の仕掛あらは三日或ハ五日毎に一時の間入りて発汗するハ大に効なり

              湯治効ありて病気恢復せハ海水に浴し是まて弛ミたる皮膚を締免時候天気の変
              換に慣らし再發を防くべし
               右ハ山鹿の温泉に限らず各地の硫黄湯ハ其浴法に同し但し人々病性
               体質の差ひもあれば先つ医の定を受け養生の方をも聴き法のことく
               湯治すへし 症に従ひてハの内薬もなるるへし 古来の悪弊にて湯治場ハ 
               遊通欝散の地と心得酒食に耽きり健全の人も却て生を傷ふ者多し
               之れ天賦の良薬を変して代生の躭毒となすの道理にて在ましきこと
               なれハ者自ら能く慎むべし

                 明治五年二月           熊本縣医学校

              
              (三文字は書写作業の中で判読不明であったと見え、欠字となっている)

 

コメント (2)
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