一少斎・石見・稲富此三人たんこう有て、いなとみハおもて
にて敵を防き候へ、其ひまに 御上様御さいこ候様ニ可
仕よしたんこう御座候ゆへ、則稲富ハ西の門へ居申候、左候て
其日の初夜の比敵御門前までよせ申候、稲富ハ其とき心替り
を仕り、敵と一所ニ成申候、其やうすを少斎聞、もはや成ま
しくと思ひ長刀をもち 御上様御座所へ参り、只今か御
さいこにて候由申され候、内々仰合候事にて御座候ゆへ、与一
郎様奥様をよひ、一所にて御はて候ハんとて御へやへ
人を被遣わ候へは、もはやいつかたへやらん御のき被成候ニ付、
御力なく御一人御果被成候、少斎長刀にて御かいしや
くいたし申され候事
一三齋様・与一郎様江御書置被成候、私へ御渡し被成被仰候は
おく加賀と申女房と私と両人ニハおちのき候て御書置を
相届、御さいこのやうす 三齋様へ申上候やうにと御意
被成候ゆへ、此御さいこを見すて候てハ落申ましく候まゝ
御供いたし候ハんと申候へとも、二人ハ是非おち候へ、さなく
候ヘは此やうす御存知なされましく候まゝひらにと被
仰候故、甚是非なく御さいこを見届しまひ候ておち申、内記様
御ち人には内記様への御かたミを被置遣候事
一私共御門へ出候時分ハ、最早御やかたに火かゝり申候、御門の
外にハ人大せい見へ申候、後に承り候へハ、敵にてハ御座な
く候由、火事ゆへあつまりたる人にて御さ候と申候、敵
参り候も一ちやう見候にて候へ共、いなとミを引連御さいこ以前
に引申たるよし、是も後に承申候、則御屋にて腹を
切申候人は少斎・いわミ、石見おい六右衛門、同子壱人、此分をは
覚え申候、其外も二三人もはてられ候由申候へとも是ハしかと
覚不申こま/\しき事ハ書付られす候間あら/\
大かた如此にて候、以上
正保五年二月十九日 志も(御判)
右自筆之書付御花畑御蔵に今に有之由