津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

藤原道長「御堂関白記」を読む

2013-12-11 20:24:34 | 書籍・読書

 

藤原道長「御堂関白記」を読む
講談社選書メチエ
 
フジワラノミチナガミドウカンパクキヲヨム
藤原道長「御堂関白記」を読む
 
 
著者: 倉本一宏

発行年月日:2013/12/10
サイズ:四六判
ページ数:269
シリーズ通巻番号: 564
ISBN:978-4-06-258567-5

定価(税込):1,785円

内容紹介
豊富な原文写真に翻刻・現代語訳・解説を付して、平安の最高権力者の日記がこの一冊でわかる!

世界記憶遺産に選ばれた、世界最古の自筆本日記は、摂関期の政務、儀式、外交から当時の家庭生活、精神世界までを描いた藤原道長自身の記録である。
抹消された箇所、豪放磊落な筆致、破格の文体……。
「披露すべきに非ず。早く破却すべき者なり」と道長が記したのはなぜか。
摂関期に栄華を誇った権力者の揺れ動く心中と宮廷社会の実像を読み解く。


目次
序章 『御堂関白記』とは何か
第一章 権力への道
第二章 栄華の初花
第三章 望月と浄土
終章 再び『御堂関白記』とは何か


 
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Who is the man?

2013-12-11 07:27:46 | 徒然

 或る時少将様(齊茲公)の許へ伊達遠江守様がお出でに成り、酒宴となった。遠江守は大変な酒豪で少将様は酩酊され、遠江守の要望で誰かお相手をという事になった。御取次役の井上平八がお相手を勤めたがこれも打伏し、今一人の御取次役・境野嘉十郎にお声が掛ったが、頑としてこれを受けず、相手役として出たからには少々でも飲めとの御意であったがこれも断った。その仔細を聞きたいという遠江守は、総体気荒い御方と噂される御方であるが、嘉十郎は臆せず、主人警固の為に詰めて居るので御酒を給わる訳には参らずと申上げ、遠江守は「面白き二才め」とお笑いになって御立ちになったという。玄関まで嘉十郎がお手を取りお送りしたという。

さてこの遠江守様とは何方の事であろうか。伊達家で遠江守を称せられるのは、伊予宇和島藩である。
初代藩主の秀宗は仙台藩(62万石)伊達正宗の長男であるが、大坂冬の陣に於いて政宗と共に出陣しその功により、伊予宇和島10万石を与えられて別家を興した。
政宗の跡式は異母弟・忠宗(正室・愛姫の子)が継いだ。寛永十三年のことである。 

  1. 秀宗(ひでむね)〔従四位下・遠江守、侍従〕 10万石→分知により7万石(五男・宗純 伊予吉田藩)
  2. 宗利(むねとし)〔従四位下・大膳大夫、侍従〕
  3. 宗贇(むねよし)〔従四位下・遠江守、侍従〕7万石→新田分を高直しして10万石格
  4. 村年(むらとし)〔従四位下・遠江守〕
  5. 村候(むらとき)〔従四位下・遠江守、左近衛権少将〕
  6. 村寿(むらなが)〔従四位下・遠江守、右近衛権少将〕
  7. 宗紀(むねただ)〔従四位下・遠江守、左近衛権少将〕
  8. 宗城(むねなり)〔従四位下・遠江守、侍従〕
  9. 宗徳(むねえ)〔従四位下・遠江守〕                         (ウイキペディアより)

5代村候公は、享保10年5月生で、享保20年に封襲されたというから、齊茲公(天明三年襲封)の代の宇和島藩主であり間違いないと思われる。
本家筋の仙台伊達家に対しても、対等であるとして行動されるような気概の人であったとされる。
宇和島では村候公のお酒にまつわる話はないのだろうか。

因みに公の側室に細川氏とあるが、これは肥後細川家とは関係ないことだろう。
 

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