私の祖母の実家は「狩野源内家」である。これとは別に、侍帳には狩野氏として「俊太家」「庄馬家」の二家があり、これはルーツを一にしている。
「肥後先哲偉蹟」を読むと、狩野崇山なる人物が紹介されている。俊太家の俊太その人である。詳しく読んでいる内に、狩野家記録なるものがあり、この中にに元祖・狩野上総介とありその長男が是齋狩野源太郎祖と二男平左衛門は同時に細川家に召し出されたとあり、三家が同根であることが判り驚いてしまった。
毛利輝元・元就仕五十貫 日向城主・高橋右近臣
狩野上総介---+--- 太郎右衛門(是齋)===太郎右衛門・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→源内家
| 是齋外孫
| 田中筑後守臣
+---平左衛門---+---仁右衛門・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→俊太家
|
+---四兵衛・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→庄馬家
仁右衛門はどういう訳か平左衛門の跡式を相続されず当人の別禄十人扶持が家禄となって相続されたらしい。崇山(俊太)が時習館居寮生となり、阿蘇郡高森や下益城郡砥用に於いて子弟の教育に当たりその功により御中小姓となった。
平左衛門の跡式は四兵衛が相続したのではないか(未確認)
別流だと思っていた三家が一族であることが判り、史料の読み込みがたらなかったことを多いに感じている。
そして狩野氏の事をもう少し深く調べてみたいと、思いが深まっている。