津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

免許更新

2011-02-02 17:30:52 | 徒然

 誕生日前後一ヶ月が車の免許更新の期間である。誕生日後二週間以上経過したので、そろそろ行かずばなるまいと午前中出かける。シートベルトの違反を何度かやっているので、違反者講習2時間と相なった。おまけに有効期間が3年となった。つい先日「もみじマーク」に変って「クローバーマーク」が登場したが、まだ私は対象者ではないが来年はこれを付けなければ成らない。(義務ではないが・・)そして次の更新時は高齢者講習を受けなければ成らない。 
「交通の教則」をみると、交通法規が随分変っていることに驚かされた。「普通免許」だったのが「中型(限定)免許」となったし、免許証の裏面にはいわゆる「臓器提供」に関する意思表示欄などが設けられている。
あと三年後「免許証返還も有かなー」とか、「臓器提供はどうかなー」とか、いろいろ考えさせられる講習だった。

 皆様も被害者・加害者のいずれの当事者にも成られません様、とにもかくにも「安全第一」でお過ごし下さい。

 

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私事で恐縮ですが・・・

2011-02-02 16:04:02 | 徒然

 先ごろ先輩から、熊本近代史研究会創立50周年記念号の「近代熊本」を御恵贈いただいた。「韓国併合100年、大逆事件100年特集」とある。佐々友房の弟・正之が、「九州日日新聞」に明治43年8月13日~26日まで連載した、「韓国と熊本県人」という記事に我が祖父の名前が登場していた。日韓併合条約調印の直前の記事である。祖父は「朝鮮語学校」の校長をしていた関係で、若干触れられている。
日韓併合に対し祖父がどう考えていたのか、今では知る由もないが、九州大学の稲葉継雄氏は論考「旧韓末『日語学校』の日本人学校」(昭和63年国立教育研究所紀要)で祖父を取り上げ、「国士」だと評されている。
併合の積極論者であったのだろうかと、いささか呆然とする。

 何か情報はないかとググってみると、これとはまったく関係ない事柄に遭遇してこちらにも驚いてしまった。「遊行七恵の日々是遊行」というサイトに、永青文庫の展覧会【鴎外・漱石と肥後熊本の先哲たち 平成20年1月5日(土)~3月16日(日)】 についての記事があった。ここに狩野直記が祖父に宛てた手紙が出典されていたという。それも文庫設立に対して「永青文庫」ではどうかと相談をしたらしく、その事に対しての返事であるらしい。祖父は当時細川侯爵家の家職を務めていたが、狩野直記は妻の叔父という関係である。ともあれ、永青文庫命名に関してこのような文書が残されていたことに驚いている。

        yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-1062.html

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有吉家文書「年中行事抜粋」(廿一)御発駕ニ付而為御見立大津御一宿江罷出候式(ニ)

2011-02-02 15:03:36 | 有吉家文書

一翌朝御供揃之前ニ御用人間へ罷出
  居候事
      但罷出宜時分ハ御用人より知らせ有
      之候得共見計前廣ニ罷出居候事
一御発駕前ニ被召出候間御用人より案内
  有之御帰國之節之通御居間へ罷出
  御手熨斗長のし頂戴例之面々江
  御意之趣被為在候間奉伺直ニ下り候
  事
      但御人拂之御用も有之候ハヽ前条
      之通候事
一夫より御用人間へ控居候ヘハ御意之趣之
  稜付御用人より差出候事
      但右稜付者手廻之ため堂免ニ
      取置候儀も有之候事
一御供廻り之時御居間御次之椽より
  下り御路地内御向側中門際ニ罷出居
  御居間より被遊御出候を奉見上
  下坐御駕之戸明候所ニ而御辞儀仕夫
  より御駕御通ニ相成御路地外迄
  罷出御跡ニ而元之如上御用人間江
  罷越候事
      但手傘草履御路地江下り様家
      来心得等諸事御迎之通候事
一供者御次小姓より致世話廻候得者
  御発駕後ハ早速御玄関江供相揃
  候之様急而可申付置事
一右之通ニ而相済旅宿江直ニ致着替
  罷帰候事
一帰宅之上只今罷帰
  御意之趣有之候間明日於御殿
  可相達段御用番江以紙面申達
  候之事
一翌日寄合平服ニて例刻出仕御一門衆
  同席中三家嫡子於詰間例之通
  御意申達夫より於口之間例之面々
  右同断之事

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