goo blog サービス終了のお知らせ 

アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「ハンセン病週間」の皇室利用と「虹波」

2025年06月27日 | 天皇制と差別・人権・民主主義
   

 今月22日から28日まで「ハンセン病を正しく知る週間」なのをご存知でしょうか。
「ハンセン病に対する正しい知識の普及に努め、ハンセン病療養所入所者等の福祉の増進を図ることを目的に、6月25日を含めた週の日曜日から土曜日までを「ハンセン病を正しく知る週間」とする」(厚労省HP)

 その6月25日付の京都新聞に、<旧陸軍 人体実験薬剤 虹波投与 戦後静岡でも ハンセン病療養所、全国6カ所目>という見出しの記事が掲載されました。

「戦時中、国立ハンセン病療養所・菊池恵楓園(熊本県合志市)で旧陸軍が「虹波」と名付けた薬剤の投与実験を行い、試験中に9人が死亡するなどした問題で、静岡県御殿場市の国立駿河療養所でも戦後の昭和20年代に、複数の入所者に虹波が投与されていたことが分かった」(25日付京都新聞)

 これで「虹波」の人体実験が行われたことが明らかになったのは、全国13 の国立ハンセン病療養所のうち、菊池恵楓園、駿河療養所を含め、多磨全生園(東京都東村山市)、長島愛生園(岡山県瀬戸内市)、大島青松園(高松市)、星塚敬愛園(鹿児島県鹿屋市)の6カ所となりました。(「虹波」については23年6月24日、24年12月19日のブログ参照)

 他の7療養所では投与されていなかった、いうわけではありません。療養所によって過去のカルテ調査などに取り組む姿勢に違いがあり、現在投与の事実が判明しているのが6カ所だということです。

 ハンセン病患者は国家によって強制的に隔離・収容されたうえ、家族もふくめたいへんな差別を受けてきました。そのうえ、人体実験が強要され死者や後遺症の多くの被害者を出した事実は、病者に対する国家権力の差別・人権蹂躙としてきわめて重大です。

 しかも、この人体実験に貞明皇后(天皇裕仁の母、写真中)が関係していたことは、軍隊と皇室とハンセン病療養所の関係、国家による皇族利用を示す歴史の断面として見過ごすことができません。

 今回明らかになった駿河療養所での「虹波」投与(人体実験)が「戦後」であることは、国家権力によるハンセン患者の強制隔離、人権蹂躙が「戦後」も続いていたことを示すものです。

 ところで、冒頭の「ハンセン病を正しく知る週間」が「6月25日を含めた週」と決められているのはなぜかご存知でしょうか?
 6月25日が貞明皇后の誕生日だったからです。政府は1932年にこの日を「癩予防デー」と決めました。それが「知る週間」の始まりです。

 「貞明皇后は「救らい」の象徴となっていく。…ハンセン病療養所は限りなく「皇恩」がもたらされる場、というイメージが作られ…絶対隔離政策を正当化する思想的支えとなると同時に、病者にも隔離を受容させ、療養所に入ることが国家的使命と意識づける役割を果たした」(吉川由紀・沖縄国際大非常勤講師「皇室とつれづれの碑」、『入門沖縄のハンセン病問題 つくられた壁を越えて』2009年所収)

 名前は変わっても「6月25日」を継承していることは、ハンセン病に対する「皇恩」を印象付ける国家政策は変わっていないということです。全国の国立療養所には貞明皇后の歌碑が建てられ(写真右、23年1月30日のブログ参照)、明仁天皇・美智子皇后(当時)が再三全国の療養所を訪れたのも、国家権力による強制隔離・収容に皇族を利用した延長です。

 ハンセン病患者に対する差別の歴史、新たに判明した「虹波」の人体実験、それと貞明皇后はじめ皇室との関係をいっさい棚上げし、逆に貞明皇后の誕生日を「ハンセン病を正しく知る週間」にする。国家権力による狡猾な歴史の改ざんです。

 全国の療養所における「虹波」人体実験の全容、貞明皇后はじめ皇室・天皇制の政治利用の実態は、徹底的に究明されなければなりません。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 急伸長・参政党(神谷代表)... | トップ | 「共闘」で「安保法制廃止」... »