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アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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第32軍壕の説明板から「慰安婦」を削除した沖縄県

2025年06月30日 | 沖縄と戦争
  


 「沖縄慰霊の日」の23日、沖縄タイムスの連載「戦後ですか戦前ですか」が「慰安婦」をテーマに、「歴史否認 県も連なる」の見出しで記事を掲載しました。

「日本軍の中枢である首里城地下の第32軍司令部壕にも、「慰安婦」はいた。…ところが県は、そこに「慰安婦」がいたことを認めない。32軍壕についての説明板を設置した2012年、専門家の文案から「慰安婦」と「住民虐殺」の文字を削り、今もそのままになっている」(6月23日付沖縄タイムス)

 2012年に説明板(写真左)から「慰安婦」と「住民虐殺」の文字を削除したのは仲井真弘多県政(自民)です。経過はこうです。

<2011年秋…県からの招集を受けて5名の委員が指名され、「第32軍司令部壕説明板設置検討委員会」が設けられた。開催された委員会で説明板の文案は全会一致で決定したが、問題は2012年2月23日に起きた。
 文案には「1000人余の将兵や県出身の軍属・学徒、女性軍属・慰安婦などが雑居していました」「司令部壕周辺では、日本軍に『スパイ視』された沖縄住民の虐殺などもおこりました」と明記されていたが、県がその説明文から「慰安婦」「日本軍による住民虐殺」の文言を削除していたことが発覚したのである。
 検討委員会は同日、削除された文言の復活を求める意見書を県に送付したものの、県は復活させる考えはないとし、削除したままの説明板を一方的に設置した。>(仲村清司著『本音の沖縄問題』講談社現代新書2012年)

 そして2016年9月、元「ジュリ(遊女)」の正子・ロビンス・サマーズさんの手記で、司令部壕内で20人余の女性が兵隊らと「共同生活」していたことが明らかになりました。これを受け、関係者が同月、県に文言の復活を要請しました。

 「説明板設置検討委員会の元委員長・池田榮史琉大教授ら元委員3人は(16年9月)26日、担当する子ども生活福祉部を訪ね、文言の復活と検討委員会を改めて開催し再検証することを求めた。…元委員らは…原案の「全面的な復活を要望」し、1カ月以内の回答を求めた」(2016年9月27日付沖縄タイムス)

 しかし、県はそれを無視しました。

 「昨年(16年)、正子さんの証言に触れ…当然修正されると思い県に申し入れをしてきたが、なぜか放置されたままである。…沖縄県行政も本書(正子さんの手記)を読まれ、首里司令部壕の文言復活をするべきである」(村上有慶氏=元説明板設置検討委員、2017年11月14日付沖縄タイムス)

 元設置検討委員らの再三の要求を無視し、あくまで説明板に「慰安婦」の文言を復活させなかった沖縄県。この時の知事は「オール沖縄」の翁長雄志氏だったことは銘記される必要があります。(2017年11月21日のブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20171121)(写真右の左が翁長雄志氏、右が仲井真弘多氏)

 なお、仲村清司氏の前掲書によれば、「説明板には英語、韓国語、中国語の翻訳文が掲載されている。県はその翻訳文案から「慰安婦」や「住民虐殺」に加えて、「沖縄を『捨て石』にした」の記述も削除している」といいます。

 昨年来、32軍壕の調査・整備が進み、「県は一般公開を目指し、近くに展示施設の建設も決めている」(23日付沖縄タイムス)といいます。そして、「「慰安婦」については「今後伝え方を検討する」という」(同)と報じられています。

 一般公開を機に、説明板に「慰安婦」「住民虐殺」「沖縄を『捨て石』にした」の文言が復活するのか。展示施設にはこれらの史実はどう説明されるのか―沖縄県の対応が問われます。
 それは沖縄戦の史実を学び継承しなければならない「本土」の日本人にとってもきわめて重要な問題です。
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