世界的に見ても、豊かな出版文化が花開いたのが江戸時代でした。なかには1冊あたりの出版部数の累計が1万を超えるベストセラーも誕生しましたが、それは次の本のうち、どれでしょう?
ア 井原西鶴の『好色一代男』
イ 本居宣長の『古事記伝』
ウ 十返舎一九の『東海道中膝栗毛』
エ 滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』
「江戸文化歴史検定」が十一月三日に実施される。受検者を募集したところ、一万人を超える応募があった。100問中正解が70問で合格だそうだ。「大江戸見聞録」に試験問題のお試し版がある。
江戸時代にはちょっと興味があるので、挑戦した。5問中4問正解。火消しの名前が外れた。テレビのクイズ番組は、嫌いだ。つい本気で挑戦してしまうからだ。
しかし、江戸に関心があるというのはうれしい。しかし、これが江戸という都市にまつわる事が、多い。出来れば、殆どの人達が暮していた、農村の百姓のことに興味を持ってもらいたいものだ。「特に江戸時代の百姓は本当に貧しかったのか。」これを読んでみるとよくわかる。江戸時代の貧しさを、演出したのは明治政府だ。富国強兵で、本当の意味で国民を苦しめたのは、明治天皇制だ。
明治時代を文明開化などと、江戸時代と比較していい時代が来たような、錯覚をさせようとしたのだ。これは、自給自足で暮してみて分かった事だ。「1人の人間は100坪の土地と、2時間の労働で食べる物は確保できる。」百姓は基本的に飢えることは無い。江戸時代を飢餓の時代などと錯覚させ、士農工商の封建制を強調し。本当に国民を苦しめたのは、明治時代以降の富国強兵にある。以下参照。佐藤常雄+大石慎三郎『貧農史観を見直す』(講談社現代新書、1995年)、田中圭一『百姓の江戸時代』(ちくま新書、2000年)、同『村からみた日本史』(同、2002年)
江戸より、徳川時代といったほうが良い。その農業の中心は稲作である。収量をふやすため堰をつくり、水路を掘削し、深耕と肥料。稲作の安定によって、農地に余裕が出てくる。幕府や藩は各種の外来作物を導入した。さつまいもの普及。綿花栽培がはじまり、木綿が普及。染めるための藍が大量につくられた。さらにイグサの栽培が奨励されて、畳を家に用いる。ナタネが栽培され、油が家庭でも活用できるようになった。日本流の自給体制が整う。この経過が極めて重要だ。背景に銀輸出があるらしい。
この自給体制には地縁型の農業共同体が連動した。水路を共有し、取水と配水を互いに協力しあう必要から、綿密な連携と協議と決済がいる。治水と潅漑と祭祀が何年何十年と試され、役割が申し送りされ、組み立てられているうちに、日本の農業共同体のしくみはアジアで有数の農村社会をつくりあげることになる。
歴史を今日やる作業、竹林の片づけをやるのだが、歴史の中で考えてみる事の大切さを思う。 (こたえは、ウ)
ア 井原西鶴の『好色一代男』
イ 本居宣長の『古事記伝』
ウ 十返舎一九の『東海道中膝栗毛』
エ 滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』
「江戸文化歴史検定」が十一月三日に実施される。受検者を募集したところ、一万人を超える応募があった。100問中正解が70問で合格だそうだ。「大江戸見聞録」に試験問題のお試し版がある。
江戸時代にはちょっと興味があるので、挑戦した。5問中4問正解。火消しの名前が外れた。テレビのクイズ番組は、嫌いだ。つい本気で挑戦してしまうからだ。
しかし、江戸に関心があるというのはうれしい。しかし、これが江戸という都市にまつわる事が、多い。出来れば、殆どの人達が暮していた、農村の百姓のことに興味を持ってもらいたいものだ。「特に江戸時代の百姓は本当に貧しかったのか。」これを読んでみるとよくわかる。江戸時代の貧しさを、演出したのは明治政府だ。富国強兵で、本当の意味で国民を苦しめたのは、明治天皇制だ。
明治時代を文明開化などと、江戸時代と比較していい時代が来たような、錯覚をさせようとしたのだ。これは、自給自足で暮してみて分かった事だ。「1人の人間は100坪の土地と、2時間の労働で食べる物は確保できる。」百姓は基本的に飢えることは無い。江戸時代を飢餓の時代などと錯覚させ、士農工商の封建制を強調し。本当に国民を苦しめたのは、明治時代以降の富国強兵にある。以下参照。佐藤常雄+大石慎三郎『貧農史観を見直す』(講談社現代新書、1995年)、田中圭一『百姓の江戸時代』(ちくま新書、2000年)、同『村からみた日本史』(同、2002年)
江戸より、徳川時代といったほうが良い。その農業の中心は稲作である。収量をふやすため堰をつくり、水路を掘削し、深耕と肥料。稲作の安定によって、農地に余裕が出てくる。幕府や藩は各種の外来作物を導入した。さつまいもの普及。綿花栽培がはじまり、木綿が普及。染めるための藍が大量につくられた。さらにイグサの栽培が奨励されて、畳を家に用いる。ナタネが栽培され、油が家庭でも活用できるようになった。日本流の自給体制が整う。この経過が極めて重要だ。背景に銀輸出があるらしい。
この自給体制には地縁型の農業共同体が連動した。水路を共有し、取水と配水を互いに協力しあう必要から、綿密な連携と協議と決済がいる。治水と潅漑と祭祀が何年何十年と試され、役割が申し送りされ、組み立てられているうちに、日本の農業共同体のしくみはアジアで有数の農村社会をつくりあげることになる。
歴史を今日やる作業、竹林の片づけをやるのだが、歴史の中で考えてみる事の大切さを思う。 (こたえは、ウ)
この年齢になると、つくづく ↑ を思います。江戸時代の暮らしについては、明治維新という革命を成し遂げた為政者側の色付けがなされていたのでしょうね。でも、「女は三界に家なし」とか、「……老いては子に従え」の訓が、いきわたっていたかと思うと、今の時代に感謝です。多分、私が江戸の時代に生きていたとしたら、笹村さんの当初の問題についても、文字を読めないから、本は関係ない、だったと思うのです。
こんな考え方をしてしまうものだから、日本国憲法、好きなのです。
出版は盛んで、貸し本屋が沢山あったようだ。
儒教思想は、女性蔑視。老人差別。と決め付けない方がいいと思います。そうした、イメージが普及していますが。本質は、違う。
韓国が儒教思想は一番残っています。ムシロそれが、韓国の良さにもなっています。
徳川時代は実に平和な社会です。犯罪の発生率。役人の数の少なさ。
もちろん問題も沢山あります。しかし、農村社会を再生するには、大いにそこから、学ばなければなりません。昨日も、荒れかけた竹林を整理しました。到底終わりません。地域全体を見れば、私達の努力など、何の意味も無いように見えます。行政には、手の出しようも無い。
実に自然の循環が上手く管理されていました。暮らし方の方を、自然に適合させていた、と思います。
でも、でもね、と思う部分はあるのです。
かつて、学校の歴史の科目で「1925年普通選挙実施」と教えられたけれど、その「普通」は、男性だけのものだったのですから。
これを因習や封建制の観点から切り捨てる発想は、得る所が無い。
アメリカの利益、あるいは帝国主義の流れ、が唱える。普遍性、グローバリズム、は地域に残る、様々な価値を、旧態依然の物として、駆逐してきた。
こうした流れを現代的とか、科学的とか、言いながら、物の実態を見ていないことが多々ある。
イスラム社会をヨーロッパ的人文主義で、断罪し、イスラム社会そのものを、崩壊しようとする。のが一例。
農村の崩壊現象を、どのように再構築するかを考える時、やはり重要になるのが、徳川時代に作られた、農村社会だ。
(以上は高谷好一氏の本に学ぶところが大きい。)