地場・旬・自給

ホームページ https://sasamura.sakura.ne.jp/

特定外来生物を考える

2024-08-08 04:17:31 | 環境関連


 特定外来生物が悪いわけではない。人間の暮らし方が悪く成っている。日本人が江戸時代のように鎖国をして、循環型社会で暮らしていれば、特定外来生物が日本に押し寄せてきて、日本の在来生物を絶滅に追いやることは無かった。末端の現象をあげつらっても無意味なのだ。

 特定外来生物を排除したいと考える人は、暮らしを江戸時代に戻す必要がある。循環型の鎖国で暮らす覚悟をして貰いたい。現代の便利で楽な暮らしをしながら、特定外来生物を目の敵にするなど、意味が無い。むしろその恩恵を考えて見たほうがいい。

 そのそも絶対的な正義などあり得ないのだ。環境の豊かさを旗印に掲げたとしても、人間である以上、どうせ環境の敵の側なのだ。小手先で環境保護などと言ったところで、自分の暮らし方を自給的なものに変えられないのであれば、無意味な殺戮になりかねない。

 もちろんそんなことは出来ないのは分っている。出来ないからこの問題は自分の暮らしと、環境保護の理想とが、矛盾したまま議論されることにならざるえない。「アメリカザリガニは在来生物を絶滅させる困った生き物だから、駆除しなければならない。」これは確かに正しいように見える。と同時にこの問題の背景にある日本人の暮らしの変化を考えなければ成らない。

 多分、自動車に乗る人にはアメリカザリガニを殺す正義は存在しないのだ。生物多様性の維持の為に、生命をゾンザイニ扱う権利など人間にはない。最も問題がある生物は人間なのだ。これだけは忘れてはならない。これはどんな立場の人にも否定できないはずだ。人間がいなくなることが、生物多様性を維持するためには最善の方法である。

 だからといって人間の淘汰を進める環境原理主義者がいれば、それはナチス以上に許されない存在になるだろう。アメリカザリガニを殺すことは、ナチスの優生思想の問題に繋がっている。もう少し深く考えてみたいが、環境を大切だと思う人であればこそ、単純に特定外来生物を排除すれば良いと考えて欲しくはないと言うことだ。

 特定外来生物問題は、在来種を交雑したり、希少生物を絶滅したりするので悪い。外来生物が農作物の被害や、生活被害などが発生している。感染症を移動させるなどの、大きな社会問題を生み出している生き物も居る。確かに問題は起きているのだが、それを解決するためには、淘汰したところですまない深く広がっいる問題がある。

 今ある日本の生物多様性というのは、日本人が鎖国をして、里地里山に移動ない暮らしをしていたことに寄る。、百姓として里地里山で、大きく自然を改変しない、自分を自然に織り込んで行く、手入れの範囲での暮らし方で、今の日本の在来種が維持されてきたものだと考えられる。

 人間は本来の厳しい自然そのものの中では生きていけない。しかし、自然環境を守りたいのであれば、自然を手入れして、大きく改変することなく、身の回りの自然と折り合いを付ける暮らしをする必要がある。それは江戸時代の暮らし方である。

 人間の時間軸はせいぜい100年ぐらいで、何十万年単位の自然遷移と較べれば、あまりに短いのだ。何もない状態の土地から森林ができるまでに、その過程に合った植物が、時間の経過とともに入れ替わり立ち替わりながら生息し、安定化している。ここに自然を大きく改変せず、人間の暮らしが関われるかである。
 
 人間が生きると言うことは全体性で見れば、自然の形成している生物・生態系に由来し、そこから得られる人類の利益になる機能によって、生かされているとも言える。しかし、人間の暮らしが、そして人類の数が、本来の自然力を変貌してしまうほど大きくなったことが根本問題なのだ。

 もし、人間に反省する能力があるなら、自らの暮らしを自給的なものに変えて行くことだろう。そこから自然に対する畏怖や敬愛の念というものが生まれてくる。人間がおそれを忘れて、あまりにも無防備に自然に立ち入りすぎたことが問題だったのだ。

 江戸時代の山村の暮らしを考えれば、山の生き物は神様として、尊敬して距離をもち、つつましくも毅然として暮らしてをしてきた。私たち自身が、自然にいる生物を人間社会に招き入れてしまった事が、鳥獣被害に繋がっている。身近な自然との折り合いの付け方に、アメリカザリガニを薬で淘汰するというような、自然に対する畏敬の念を失った方法のはずがない。

 熊、イノシシ、鹿もそうだが、外来種の問題を含め、人間が野生生物の脅威にさらされるようになったのは、里地里山の暮らしを忘れてしまったことにある。山に餌が無いなどとよく言われるのだが、それは末梢的な問題なのだ。里山の管理を怠り、放棄したことによって、人間社会と自然との境界線が曖昧になってしまったことに原因がある。

 日本で問題になっている中山間地の過疎化や高齢化。管理されていた土地から人の手が離れるということは、その地域の生物多様性の劣化に影響し、結果的に、有害獣が山から下りてきたり、外来生物が侵入しやすい環境を作っていることになる。

 地域に循環できる健全な社会の構築である。地方主義を取り戻すこと。一次産業がきちんと成立する経済体制にならなければ、小手先の環境保護など趣味の世界の話に終わる。産業基盤ができあがれば、地域の中で物質が循環することにより経済も豊かになり、地方が消滅しない社会に戻る必要がある。

 第一次産業をしっかりさせるということは、自然を大事にすることにつながる。そして地元の産業が元気になれば、就労人口も増えてくる。地域が活性化すれば人も戻ってくるし、そう下地方社会での暮らしが成り立つことで、自然、そして生物多様性が戻ってくる。

 第一次産業の活性化は、地産地消という形でその地域に暮らす住民の資源や食を補うことになり、外からの輸入に頼ることのないかつての資源循環型の社会へとつながっていく。そういう社会になれば、外来種問題なんて、問題にしなくとも消えてなくなる。た分私の子供の頃ようにザリガニは美味しい食べ物になるのだろう。

 日本国内で資源が回るようにならなければならない。できる限り輸入量が減らして行く。薪炭が燃料であった意味を新しい形で問い直す必要がある。自然が豊かになれば、外来種が入り込む隙間もどんどん減っていく。これは日本だけでなく、海外にも問題解決の方法を提案することになる。

 国内林の管理が出来ない経済になっていることが問題なのだ。日本は外材を輸入して使っている。これは熱帯林の環境破壊に直結している。日本がもし今の資源消費型から資源循環型に社会を転じることができれば、アジア全体において生物多様性を保全する上でも重要なカギを握ることになる。

 アメリカザリガニを淘汰するくらいならば、日本の地方社会の経済が成り立つように努力することだ。これは日本だけの問題ではない。地球全体の環境問題の解決にも繋がってくる。地域主義である。石垣島が石垣島で経済が回ることになれば、環境の循環が手入れによって戻ってくる。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 株価の暴落と暴騰 | トップ | 自給生活に戻ってみよう »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

環境関連」カテゴリの最新記事