地場・旬・自給

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あしがら農の会25年の自給祭

2018-12-16 04:39:47 | あしがら農の会

12月15日農の会の自給祭が開催された。朝から総会があり引き続き、あしがら農の会25年の記念の式が行われた。明るい笑顔にあふれた良い集まりになった。100名を超える人が参加した。最後の頃にでん田楽団の三線演奏があるので、なんとなく落ち着かなかった。農の会の活動は安定していて、不安要素は特にない。例年通り、来年も続いてゆきそうである。たぶん、25年こうしてきたものだから、次の25年があって、50年を記念する自給祭もあるのではないだろうか。その頃まで生きているかはわからないが、見てみたいものだ。当初から参加してきた第一世代が、そろそろ交代期に入っている。半分以上の人が入れ替わっているだろう。次の世代の人たちがどんな農の会を作るのか楽しみにしている。過去にこだわることなく、「地場。旬。自給」をそれぞれに考えてもらい、活動してもらいたい。地域の小さな農業は継続が難しくなってきている。足柄平野でも企業的に展開している人は生き残るかもしれないが、昔からの小さな農家の方は継続されない人が増えるだろう。耕作放棄地は増え続けることだろう。農の会の活動の場は広がっている。

農の会に集まり始めている若い人たちが、どのように農の会を展開できるかである。若い人たちの暮らしが厳しい一層増すはずだ。新規就農したとしても、農業で暮らして行ける可能性はむかしよりも低い。それをむりやり切り開こうとすれば、見苦しいことになる。見苦しい農業にならないためにも、農の会の存在があるんではないだろうか。良い方向で頑張ってもらうためにも、若い人たちを支えてゆくのが、私のような年寄りの役割ではないかと思っている。退職した人で余裕のいくらかある人もいる。そういう年寄りは若い人が自給的農業を始められる基盤を支えてあげる。そういう農の会になれば、次の展開が生まれるのではないだろうか。具体的な方向は見えて居るわけでもないし、次の形はそれこそ若い人たちが見つけ出して行かなければならない。今までの25年に縛られることなく。次の25年を歩んでもらいたい。別段一人になってもいいので継続する意味がある。

農の会は仲間を募集したことはない。来る者は拒まず、去る者は追わず。それぞれが自分の為を考えて歩んできたと思う。その歩みに歩調を合わせるものが、少しづつ増えて、こういう規模になっている。別段規模は関係ないと思う。ひとりが志を持って、小さく集まればいいと思う。人の為になるという部分が、少しでもあれば力が出るものだ。そいう人で集まればいい。自給農業と言っても、自分の自給が出来るようになれば、その力を広げて周りの人と集う事ではないだろうか。この先社会は厳しさを増す。社会は分断を深刻化させる。自給農業を大切にするような人間は落ちこぼれとして、排除されるような社会になる。しかし、いつまでもそんな社会が続くはずがない。必ず未来は開ける。それまで、自給農業者として寄り添い、助け合う必要がある。年寄りの自給農業者にはそういう若い人の自立を見守る役割があるのではないだろうか。あくまで見守るだけだ。手を出してもいけない。手助けも良くない。それでも若い自給農業者が生きてゆく、場を作ることは出来るかもしれない。

石垣島に行き、絵を描く生活に入る。それでもあしがら農の会の次の25年を共に歩みたいと思っている。どれだけ、いつまで小田原に来れるかは未知数であるが、動ける間は来ようと思っている。あしがら農の会の家の管理人ぐらいの役割はしたいと思っている。でん田楽団の演奏は楽しかった。私以外の高橋さん、赤松さん、木村さん、美帆さんは音楽のひとだ。そこに仲間に加えてもらえるなどという事は、怖れ多いいことだと思っている。それでもみんなで歌うという事は、素晴らしいだ。一人で歌うという事とは全く違う。ハーモニーである。それそれの違う個性が、寄り添い、一つになる。私のようなへたくそ音痴も、それなりの意味がある。農の会もそうなのだと思う。農業名人もいる。全くの初心者もいる。それぞれの役割を精一杯やる。その思いが寄り合う事で、大きなハーモニーが生まれる。これは独唱では表現できない魅力が溢れている。

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