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「外来生物」を農業はどう考えれば良いか。

2022-12-07 04:24:45 | 環境関連


 のぼたん農園の溜め池には石垣島では貴重になってしまった、ミズオオバコ、ミズワラビ、アカウキクサの3つの植物がある。そのことをとても有り難い、大切なことだと考えている。しかし、本当にそれでいいのだろうかとも思う。

 希少な植物だから守らなければならない意味はどこにあるのだろうか。守られるべきものの第一は、人間の暮らしである。人間が豊かに暮らして行くと言うことが、良い環境の目標である。そのための生物の多様性である。環境の永続性である。

 毒蛇のハブはそれなりに希少なものである。石垣島では近年孔雀の増加に伴い減少している、と私は見ている。孔雀の沢山居た、名蔵シーラ原では先ずハブは見なかったが、崎枝は孔雀が居ない代わりにハブは結構居るようだ。ハブだけでなく、ヘビ全体が多い。

 は虫類を孔雀は食べ尽くしてゆくのだろう。孔雀を害鳥として駆除しているが、減少するどころかだんだん増えている傾向だ。しかし、ハブはその御陰で減っているのかも知れない。それをありがたいことだと思っている。孔雀ぐらい我慢したくなるぐらいだ。

 さすがに石垣島に孔雀が居るのはひどく困ることだが、ハブが減るのは有り難い。それでも生物多様性と言うことで言えば、ハブなぞ居なくなれば良いともいえない。ウミガメが西表では保存が成功している内に限度を超えて、増えている。海藻を食べ尽くしてしまい、今度は魚が住めなくなっている。

 ウミガメは仕方がなく石垣の方にまで来ているようだ。ウミガメウオッチングをダイビングの売りにしているので、観光として考えれば、ウミガメの増加は良いことなのだろうが、漁業者はこれでかなり困っているはずだ。漁業資源の衰退。海藻の林の消滅である。

 先日網に入った亀をもりで突いて流したと言うことで、大量の死んだ亀が岸辺に流れ着いたために、注意を受けた漁師さんが居た。今のところ亀の保護活動は継続しようと言うことのようだ。一方で漁で被害が出ていることで、漁師さんの生活に影響が出ている。

 先日市史編集員の松島さんと言う方が、水生植物のオモダカ、カナダモ、ヒルムシロ がないかとのぼたん農園に調査に見えた。その3つはあまりない方が良いと思っている植物である。最近水生植物は田んぼの除草剤で、壊滅的な影響が出ている。

 稲作ではオモダカは難防除性の水田雑草として扱われる 。たぶんお米が日本に伝わるときに、オモダカも便乗して日本に来た植物かと思う。農の会の親子田んぼでは、オモダカが余りに増えてしまい、一年間休耕して駆除したことがある。

 カナダ藻は名前の通り、北米からきた帰化植物で、小田原の水路では異常繁殖していた困りもんの水生植物であった。日本に現在繁茂している植物のたぶん半分位は日本にそもそもはなかった植物が、日本に侵入して蔓延ったものであると考えても良いのだろう。在りがたいものも在れば、困りものもある。

 アカウキクサは現在日本全体で純粋種はほとんど失われているのではないかと思われる。ほとんどの場所でアメリカ産のアゾラと交雑したと言われている。アゾラは特定外来生物の一つで、見付けたら駆除した方が良い植物とされている。特定外来生物としては、植物では19種が指定されている。

 法律に基づいて、駆除し広げないようにしなければいけない植物とされている。アゾラは合鴨農法では田んぼに有効な植物と言うことで、わざわざ導入されたものである。良いと思って悪かったと言うことが、頻繁にあるのが植物の海外からの導入である。

 特定外来生物の問題は日本にそもそもあった希少になっている植物を守るためには、新しくやってきた旺盛な繁殖力のある植物を抑えなければならないと言うことなのだろう。アメリカハマグルマは石垣島では一番困る植物ではないかと思われる。

 やたら繁殖力が強くて、今や於茂登岳の山頂付近にまであると言う。イノシシが足の爪の間に挟んでどこにでも運んでいるらしい。すぐ根ずくから、石垣島では至る所で黄色い花を咲かせている。土手の植栽で崩壊を防ぐために道路建設に伴い、わざわざ導入した植物だ。確かに崖の保全には有効だ。しかし過ぎたるは及ばざるがごとし。

 黄色い花と言えば、黄ショウブは帰化植物で、その繁殖力で自生していた水辺のショウブを凌駕している。しかし、なかなか美しいショウブである。花だけ見たら駆除しろとはいえない美しさである。舟原溜め池では一部に留まるように管理している。

 黄色い花菖蒲は日本にはなかったから、明治時代以降園芸植物としてとても尊重がされ改良までされた。それが野外に出たら、繁殖力が半端ではなかったのだ。そういう園芸で持ち込んで広がったものも様々在る。牧草の種が、牛の糞を通して、各地で広がっているのもある。

 日本から出て行って外国で暴れているのが、グリンモンスターと呼ばれて怖れられているクズである。くずはアメリカの鉄道の土手を守るためにわざわざ植えて、手に負えなくなったと言われている。葛粉は今でも生産されているが日本では、困るほどの繁殖はしない。

 そういえば同じデンプンの片栗粉のカタクリの方は滅多に見かけることのない植物になってきた。カタクリのように花が素晴らしいものは、群生地が保護されて守られている。一方で見た目が地味な日本の固有種は黙って無数に消えていって居るのだろう。

 そう考えるとき、感傷的な気分では、カタクリには残って欲しいが、葛はいらないと言うことだが、人間の勝手だなということになる。何を残して、何を排除するか、たぶん何千年前に日本に来た植物もある。それはもう許せるもので、江戸時代はどうなのか。明治以降にきたもの、戦後に来たもの、何かそういう線引きが意味があるのだろうか。

 植物の場合、そもそも農業というのは帰化植物を育ている物だ。稲だってやってきた帰化植物だ。サツマイモだって、ジャガイモだって、麦だって、大豆だって、大抵の農作物は外国からもたらされて、日本人の食料となり日本を支えてくれている。

 治まるところに治まっていれば、妥協して良いのではないか。こう言うときに、環境原理主義では困る。あくまで手入れの範囲で収まれば良いのだ。小田原でメダカ池にひめだかが入ったと言うことで、石灰を播いて淘汰した。生き物を殺すことが環境保全というのは正しい判断だったのだろうか。今でも気分が悪い。

 例えば石垣島で目立つ戦後導入された樹木はギンネムとモクマオである。どちらもわざわざ防風林として入れたものだ。それなりに役立つているのだろう。特にマメ科のギンネムは土壌をよくするから、許して良いように思える。牧場の中にギンネムが在れば日陰にも成るし、土壌の改善にも成る。

 まあまあのところで妥協するのが一番である。善悪で決めつけないことだろう。舟原溜め池にカキツバタを購入して植えた。それをとんでもないことだと地球博物館の研究者の方が怒っていた。環境原理主義者なのだろう。溜め池はビオトープのような遊びではないのだ。

 舟原の溜め池はれっきとした江戸時代初期に作られた農業遺構である。どうやって溜め池を残すのかを考えれば、行政にはその力は無い。美しい場所にして、人を引きつける何かがいるのだ。カキツバタが咲き乱れていれば、さすがにゴミためにはしないだろう。と私は考えた。間違っているのだろうか。


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