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動禅千日行

2022-12-06 04:02:22 | 暮らし


 どんなことでも千日くらいは繰り返してみなければ分からない。と思っている。絵も日々の1枚と考えて続けているが、千枚くらい続けてみなければ、何をやっているのかさえ分からない。と思ってやってきた。確かに1000枚を描いてみて、いくらか分かったことがある。次の千日をやれば、もう少し分かりそうだ。これからも続けてゆくつもりだ。

  絵も動禅もほぼ同じ頃に日々の行いとして開始したので、動禅行も千日が来たと言うことになる。動禅で何かが分かったかと言えば、1000日やったところで何にも分からないということが、分かったぐらいのことだ。動禅は絵よりもよほど難解である。

 動禅の場合はっきりしていることは、身体が衰えていないと言うことが分かる。むしろ、始めた頃よりは身体の動きは安定してきている。頭の方も何とかまだぼけが進んだと言うことでは無いようだ。一応ブログは書ける状態である。太極拳は卓球に次いで惚け防止になるとされている。

 動禅のなんたるかがよく分からない。やってみてそう思えたことは悪くない。次に進める。絵の方は1000枚前の水彩画日曜展示を始めた頃より、いくらか進んだと見える。絵は競べられるからなんとなく分かる。この歳の偏屈な人間が、いくらかでも前に進めることが出来れば、それは相当にすごいことだ。良い努力を重ねたと言うことになる。

 動禅との向かい合い方では、「気」という物を考えないと言うことにした。気ですべてを都合良く考えてしまうことが、私の科学性からすると耐えかねない。科学的にあるかないか不明な物を在るとすることは出来ない。気が無いとして禅と向かい合う行だ。

 動禅は、形を考え覚える所からだったわけだ。そこから、自分なりの動禅の一通りが定まったのだから、形だけを身につけることが出来たという事で、かなりの進歩といえる。1000日の間には良いという体操を取り入れたり、止めたりで今のかたちになったてきた。

 止めた体操にも惜しい物はいくつかある。特に蹴り上げ体操はかなり良かったが、しばらく止めていた。蹴り上げ体操までやると50分で収まらない。過ぎたるは及ばざるがごとしだ。継続のためには50分ぐらいが良いところではないかと思っている。

 しかし、そう思いながら、爪先立ち立禅を半分にして、蹴り上げ体操に戻してみた。どうもその方が全体としては良いようだ。何が良いのかも分からないが、また新しい順序で続けてみるほかない。おかしければその時に変えれば良いだけのことだ。

 自分の求めている動禅の方向に少し進んでいるのだと思う。一番の自己流は爪先立ち背伸び禅である。こんなものは聞いたこともない。歴史上始めてかも知れない。まあそれは大げさだが。私には合っていると思っている。乞食禅らしい背伸び禅だ。

 立禅は太極拳の站樁功からきている。これは柔らかい受け入れる禅である。背伸び禅は剛の堅い自己に固執する禅ではないかと思う。その意味では坐禅はその中間的なものに成るのかも知れない。背伸びをするという形で身体をまっすぐな直線にして安定させ維持する。

 乞食禅とは悟りたい悟りたいと物欲しげにやる禅のことだ。私にはそういうことしか出来ない。お前の乞食禅がだめだと言われて禅から離れた。今は乞食禅だってかまわないじゃないか。あと20年のことだ。他人の為は関係が無い、自分流で許してもらおうと思っている。

 絵を描くことも禅を行うことも、結果があるわけではない。只管打坐である。悟りというような結論を目指しているのではなく、目指す方角への行為として、それにひたすら向かうことが意味があるのだと思う。どんな意味かとするならば、生きると言うことを実感して、死を楽観して受け入れる。

 動禅を考える上でも只管打坐のわずかづつ正法眼蔵を読んでいる。最近正法眼蔵を読解している若い禅宗の僧侶が現われた。昔なら、余りそういう理屈が先行する坊主は尊重されなかった。学問として正法眼蔵にとりかかるのは、なかなか良い傾向だと思っている。

 只管打坐の道元が何故こんな難解な大著を書いたのだろうか。本当に道元が書いたのだろうか。いつもその矛盾を考える。只管打坐であるなら、本など書いている時間があろう訳がない。道元は自分のことと、弟子に対してと別に考えているように見える。

 道元の弟子のつもりである私が絵を描いて何が悪いのだろうかと思う。絵を描いていればきっと破門されたのだろう。破門するのは道元であるが、弟子の私が弟子で居ることを止める必要は無いと勝手に考えている。正法眼蔵を書くように絵を描いているのだと言いたい。屁理屈かもしれないが、居直ってそう思っている。

 禅は形から入るものだ。訳など考えないで、ともかくこの形で続けてみる。それ以外に方法は無いと言うことだ。様々な動禅よりも只管打坐を中国から学んできた道元。新しい修行方法の提案。それが鎌倉末期の混迷した時代に受け入れられてゆく。

 現代は鎌倉幕府が滅びていった時代のような末世だろう。世界が崩壊に向かっているように見える。コロナの蔓延。ロシアのウクライナ侵攻。競争主義の能力主義の蔓延。資本主義経済の限界。すさまじい気候変動。豊かな世界の裏に、飢餓が増加している。

 果たして人類に未来があるのだろうか。そう思わざる得ないような混沌の世界に生きている。切り抜ける道はあるのだろうかというほどの行き詰まりである。のぼたん農園は楽観農園である。絶望の時代の中で、生きる希望を感じられる場所の構築である。

 道元禅師であればそんなくだらないことはするなと言うことだろう。くだらなくてもかまわない。私の生命がやるべき事をやろうと思っている。それが私の動禅の行である。山を走り回る千日回峰行よりも、只管打坐よりも、のぼたん農園の構築の方が、私の行としては向いている。

 修行は何か形の在るものに頼ってはならないと言うことなのだろう。修行にならないと言うことだろう。このことで中学生の頃から、くよくよしながら生きてきたわけだ。結局、まともな僧侶になることは出来なかったことになる。それでも何も意味の無いことを大切にすると言うことは理解できる。

 形のある物を求める無意味さは理解できないわけではない。ある意味末世の無常観である。修学院離宮を残した後水尾上皇の思いから学んだものがある。徳川家に権威を剥奪されてゆく中で天皇が、天皇家に伝わる日本のあるべき思想を形に残そうとした。修学院離宮の意味は形として伝わってくる。

 のぼたん農園を形作ることは私が自給自足に生きてきた学んだことを、農園と言う形として残しているつもりだ。私が死ねば消えて行くのかもしれない。それはそれで仕方がないことだ。ただ人間の生きるための形にはこういうものもあると言うことは形にしてみたい。

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