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葬儀の形の変化

2022-11-15 04:04:23 | 暮らし


 近年、葬式は家族が執り行う物になった。葬式の形は民族や地域や時代で大きく変化をしている。江戸時代と今では葬式はかなり違うものである。それにしても、子供の頃の葬式と今行われている葬式はかなり違う形になっている。

 昔は地域社会で葬儀は行なわれていた。何故葬儀を地域社会が行うかと言えば、死んだ人が生前のことで恨んで化けて出ると大変なことになると考えていたからだ。村八分になっている家でも、火事と葬儀は別とされていた。村八分にされた恨みは重いことだろう。

 死という物は理解しがたい不可思議な物だったはずだ。死後の世界を想像する人間が多かった。昔の人は死んだ人が怖かったのだ。死体を縛り、上から大きな石の重しを載せた。獣に荒らされないようにと言うこともあったが、死人が出てこないようにしたというのが、実際の感覚だった。

 しかし、社会がすべてに明るくLEDになり電球も切れなくなった。社会全体が科学的になり、死んだ人が化けて出るなどと考える人もいなくなった。そうなればもう怖くないから、地域社会は徐々に引いて行くことになる。もう他人のことどころではない社会なのだ。

 その結果、死んでしまいましたので、と一応挨拶のために家族が葬式を取り仕切るが、地域で寄り合って葬儀を行うというようなしきたりは消え去った。これは良くなったことの一つだろう。その結果一切人を呼ばない、家族そうなるものも出来た。

 出来れば葬式はもっと簡易な形になるのが好ましいと考えている。子供の頃の葬式は3日はかかっていた。少なくとも通夜があり、本葬があって、2日普通だったが、最近は本葬の方を簡略化して身内だけで行うことが増えた。忙しいので、よるに通夜に行けると言うことを重視している。

 
 「家族葬」が55.7%で最多、次いで「一般葬」25.9%、「直葬・火葬」1日葬、11.4%で1日葬儀が増えてきている。葬儀に列席してもらうと言うことも余り重視せず、葬儀の形だけを整えるという意味での1日で良いという考えが普通になりつつある。これは葬儀にかける費用の下がってきていると言うことも反映している。

 中国政府でも同じ考えららしい。大げさな葬儀は止して、樹木葬などが奨励されているらしい。死んだらそれが終わりなのだから、死んだ当人にとって、今更葬儀などどうでも良いわけだ。死んじゃったのだから。残された物の踏ん切りさえ付けられる場が葬儀なのだろう。

 地域の共同作業の代わり出てきたのが葬儀会館である。老齢化社会だから、葬儀会館がタケノコのように出てきた。沢山あるのに、小田原ではそれでも満杯なので、葬式の延期などと言われていた。死んでからすぐには葬式が出来ない状態だった。

 昔はどの家でも自分の家で葬儀を行うか、家では行えないような場合は、寺院や地域の寄り合い所のようなとこで行った。そもそも曹洞宗の寺院が葬儀を行うようになったのは、江戸時代の檀家制度以来である。徳川幕府は檀家制度で住民も縛り、宗教も制御したのだ。まだ死んだ人の管理に不安と恐怖があったから可能な制度である。

 しかし、葬儀が形式化して、地域社会から家族で行うようになって以来、葬儀の場所は葬儀場が合理的と言うことになった。家族だけでやる葬儀では、とても家でやるというのは難しい。家でやると言えば家族葬と言うことが本来か。それでも家が手狭だし、家族は疲れているときだ。

 葬儀場で行うと言うことは葬儀社が行うと言うことになり、僧侶さえ葬儀社に所属契約をしている人が多い。寺院も持たない雇われ僧侶が行うことが多くなった。もちろん僧侶の居ない葬式も多い。これも死んだ人への畏れが失われた結果だろう。

 こう言う時代になると当然のことに家族葬という葬儀の在り方が増えてくる。家族葬とはつまり葬儀は改めてしないと言うことでもある。家でお通夜をやる感覚が家族総出人を呼びたくないというのが背景にある。人を呼べば大事になる。核家族時代に相応しくないことになる。

 しかし、今葬儀をやる年代の人達は難しい端境期というところで、案外社会的に生きている人もいる。そういう人の葬儀はやはり家族葬というのでは、死んだ当人の遺志にそぐわないという悩みが生じる。残された遺族が迷うところだ。その迷いももうしばらくという事では無いか。

 葬儀をしないと言えばさすがに聞こえが悪いから、葬儀はやるのだけれども、家族だけでやるので、弔問などはご遠慮させて頂くという形である。この位いの加減の葬儀が、今の社会には適当なのかも知れない。葬儀はどんどん軽くなって行くのだ。

 人間は生きている期間が重要であり、死んでしまえばそれでハイさようなら終わりというのが、共通認識になりつつある、と言うことかも知れない。それは核家族という言葉が表している。孤独死と言うことになれば、当然葬儀は行われないことが一般的なことになる。

 父や母の葬儀は私が行ったが、自宅で葬儀を行った。それが父や母の希望だったからだ。父は明治の生まれ、母は大正の生まれである。その時代の葬儀と今の葬儀はまったくに異なる。父や母は自宅で葬儀ができるような家に住み続けたいと考えて、時々葬儀のやり方まで行っていた。

 父も母もとても覚悟の良い人で、何気なくそういうことを私に告げていた。葬儀場はどうも嫌だよねとか何かの時に言い残していた。葬儀は当人の希望に従いたかったので、家で葬儀を行った。葬儀社というような物もとくにお願いしなかった。私も僧侶なので、一応の所は把握している。

 父の葬儀は三軒茶屋の自宅で行った。ビルの6階であった。そのビルは父が建てたビルでそこで葬儀をしたかったのだと思ったので、そこで行った。父は人の面倒をよほど見た人だったから、それは500人を超える人が訪れた葬儀になった。お墓は品川の海晏寺にある。

 母は小田原の自宅で葬儀をした。母らしい親密感のある葬儀だったと思う。母の弟に当たる叔父が葬式を執り行ってくれた。母はもっと長生きするつもりだったから、私も申し訳ない気持ちで切ない葬儀であった。父や母の亡くなった歳に近づいている。

 私の葬儀はどうなるのかと思うが、どうでも良いと言うほかない。面倒はかけたくないが、面倒をかける人もそのときになって、いるのかさえ分からない。という状態である。野垂れ死で結構とおもっていきているので、迷惑さえかけれないものであればそれでいい。

 石垣島でも葬儀場の葬式が多いようだ。離島の人が亡くなると、石垣島で葬儀をすると言うことがままあるようだ。火葬場も石垣島にあるからではないかと思う。どうせ後で石垣島に運ぶのであれば、石垣島の葬儀場で葬儀をした方が良いと言うことかもしれない。
 
 石垣島で死ぬつもりなので、石垣でお骨になり、簡易な葬式をしてもらうのだろう。お墓については両親も入れてもらった。海晏寺に費用を払えば入れてくれるだろう。生まれた向昌院に戻るというのもありかも知れない。

 
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