農の会の総会があった。代表が千田さんから、相原海さんに変わった。千田さんの途中交代が起きた。千田さんが責任を全うしない事には、驚きもあったし、怒りもあった。途中で代表を降りる事が、どの位問題があり、会にとって迷惑なことか。千田さんが言われるには、代表は名誉職だと思ったそうだ。こんなに沢山の仕事があるとは思いもよらなかったそうだ。
確かに農の会でのあれこれを、やらなければいけない仕事としての負担と思えば、それは大変な事になる。例えば農地の紹介と言えば、その土地が、どんな条件で、どんな地主さんか。周辺はどんな方か。そうした事まで調べなければ成らない。それでなければ紹介など出来ない。今は、各人が貸借を行うと言う事になっているのはいいが、ここ1年新しい人は加わっていない。新しい人を受け入れる動きを止めたことによる。多分この辺は余り理解されていないところだろう。
相原海さんが新しい代表になり、農の会の枠組みの大きな変更が提案された。千田さんがギブアップしたような事が、繰り返されないように、農の会の行う仕事を大幅に減らそうと言う事が基本の考えのようだ。農の会の事業を1、田んぼの会 2、大豆の会 3、お茶の会 4、就農宅配の事業の4つにする。その他行われてきた、活動をサークル活動とする。多分サークルと言う言葉を選んだところに、眼目があるのだろう。
ここで言う、収穫祭や、料理の会や、最小限の家の活動が、サークル活動であると言われても、違和感がある。やりたい人が提案して自主的に行う活動と言う事らしい。しかし、立教大学の長島選手は大学がどこにあるかしらなかったとか。横綱輪島氏は日大の教室にいるつもりで、法政大学にいた、とか。面白く語られる。サークル活動の方が主と言う学生もいるから、何ともいえないが。農の会でのサークル活動はやめようと思う。何かつまら無いことになりそうだからだ。
農の会は先例の無い活動だ。似たようなことは試みられたが、失敗ばかり見聞きしている。新規就農しようという人が、仲間と共にやれるかと言う。大変難しい課題に挑戦している。農業をやりたいと言う思いを持つ、極めて特殊な、個性的人間の集団だ。そう一筋縄ではいかない。経済的にも条件が違う。年齢も幅が広い。技術的、能力的にも大きな違いがある。個々でやるしかないのが普通だ。細い道を探りながら進めてきた。農の会が探っている道は、唯一新しい日本農業の可能性だと思ってきたからだ。
今までの農の会を立ち上げの段階と考えられる。新規就農者にはその自覚がなかったが。助けてくれる周辺の人をどれだけ集められるかが、今までの流れだった。それが、田んぼの会という形であったり、お茶の会であったり、料理の会であった。これからは、夫々が農家として自立してゆく、第2段階なのだろう。簡単に言えばそうした手助けが、余分になり、うっとおしく、負担を感じるようになってきたのだろう。
お茶の会、田んぼの会、大豆の会が、どのよう動き出すか見えてこないが、むしろこの3事業の方に、重点が移って行くのかもしれない。千田さんがこの三事業には関わりが全く無かったと言う事が、このような結果に成った原因だろう。自分の農業だけを考えたいと言う人が、これからも増えてゆくだろうから、三事業と、農業者の関係はさらに難しくなってゆく事だろう。しかし、この4事業が有機的に関連する事がなければ、普通の人が農業者になれる環境は生まれないだろう。
確かに農の会でのあれこれを、やらなければいけない仕事としての負担と思えば、それは大変な事になる。例えば農地の紹介と言えば、その土地が、どんな条件で、どんな地主さんか。周辺はどんな方か。そうした事まで調べなければ成らない。それでなければ紹介など出来ない。今は、各人が貸借を行うと言う事になっているのはいいが、ここ1年新しい人は加わっていない。新しい人を受け入れる動きを止めたことによる。多分この辺は余り理解されていないところだろう。
相原海さんが新しい代表になり、農の会の枠組みの大きな変更が提案された。千田さんがギブアップしたような事が、繰り返されないように、農の会の行う仕事を大幅に減らそうと言う事が基本の考えのようだ。農の会の事業を1、田んぼの会 2、大豆の会 3、お茶の会 4、就農宅配の事業の4つにする。その他行われてきた、活動をサークル活動とする。多分サークルと言う言葉を選んだところに、眼目があるのだろう。
ここで言う、収穫祭や、料理の会や、最小限の家の活動が、サークル活動であると言われても、違和感がある。やりたい人が提案して自主的に行う活動と言う事らしい。しかし、立教大学の長島選手は大学がどこにあるかしらなかったとか。横綱輪島氏は日大の教室にいるつもりで、法政大学にいた、とか。面白く語られる。サークル活動の方が主と言う学生もいるから、何ともいえないが。農の会でのサークル活動はやめようと思う。何かつまら無いことになりそうだからだ。
農の会は先例の無い活動だ。似たようなことは試みられたが、失敗ばかり見聞きしている。新規就農しようという人が、仲間と共にやれるかと言う。大変難しい課題に挑戦している。農業をやりたいと言う思いを持つ、極めて特殊な、個性的人間の集団だ。そう一筋縄ではいかない。経済的にも条件が違う。年齢も幅が広い。技術的、能力的にも大きな違いがある。個々でやるしかないのが普通だ。細い道を探りながら進めてきた。農の会が探っている道は、唯一新しい日本農業の可能性だと思ってきたからだ。
今までの農の会を立ち上げの段階と考えられる。新規就農者にはその自覚がなかったが。助けてくれる周辺の人をどれだけ集められるかが、今までの流れだった。それが、田んぼの会という形であったり、お茶の会であったり、料理の会であった。これからは、夫々が農家として自立してゆく、第2段階なのだろう。簡単に言えばそうした手助けが、余分になり、うっとおしく、負担を感じるようになってきたのだろう。
お茶の会、田んぼの会、大豆の会が、どのよう動き出すか見えてこないが、むしろこの3事業の方に、重点が移って行くのかもしれない。千田さんがこの三事業には関わりが全く無かったと言う事が、このような結果に成った原因だろう。自分の農業だけを考えたいと言う人が、これからも増えてゆくだろうから、三事業と、農業者の関係はさらに難しくなってゆく事だろう。しかし、この4事業が有機的に関連する事がなければ、普通の人が農業者になれる環境は生まれないだろう。