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素描をやっている。

2019-12-29 04:16:14 | 水彩画


1 どの素描も中盤全紙サイズだ。

 石垣に戻ってから、素描だけ描いている。素描が面白いと思いやっている。色彩という要素が無くなるから表現が絞られる。絞られることで、考えていることが何かと言うことが水彩画よりは明確に出てくる。絵を描く上で必要としているものは何か。素描で現われるものは限定されているから面白い。

 素描を絵を描くための下準備としてやっているわけでは無い。まして、絵を描く基礎の訓練としてやっているわけでも無い。自分の見ているものの発見であり、確認である。色がないだけに、分わかりやすいと気づいた。

2
 いつも水彩画を描いている場所で素描をしてみている。少し描きたくなる角度が違うようだ。素描をやれば水彩画が分かるからという事はないようだ。素描で面白いものを描いてみているだけである。素描でこそやれるものがありそうなのだが、まだ分からないので闇雲に描いているにすぎないのだが。

 名古屋で見た木村忠太の素描に何かすごいものを感じた。素描と言うものの魅力に惹きつけられた。要素が限定されることで明確に見えてくるものがある。絵の魅力の原点のようなもの。それがまずなければ始まらないというようなもの。

3
 私の描く素描はきれいないものではない。美しい絵を描きたいという感覚は、素描を描いているときには、かなり少なくなっている。色を使うときよりも、汚くても平気だ。鉛筆の線というものは中々きれいなものなのだが、きれいになるとつい違っていると反応をしてしまう。上手そうな感じはイヤだ。

 きれいでは迫れないから、汚して行きたくなる。同じものを違う意味で描こうとする。影を見て立体として追うかと思えば、輪郭線を追っている。ものの意味の説明をしているのかと思うと、ただその当たりの調子を描いていたりする。

4
  素描をして分かったことがある。以前は絵が終わると、それで何ナノというむなしさが生まれた。絵として、何か上手くいっているのだけれど、それが自分にとってどういうことなのかが分からなくなった。絵が終わりまで行っていればいるほど、それが何ナノ。ということになった。

 ところが素描は終わったと思うと、行き着いた感がある。充実とも違うのだが、自分が描いているという意味に不安がない。いわゆる絵画とはべつに素描は出来上がる。素描をやってみて、こんな自分だと言う納得感がある。これはなかなか良い。

5
 素描には絵としていいとか悪いとか、そういうことは全く関係なく、見ていることは確かにこれなのだという達成感がある。それが人に何かを伝える絵画表現と言うこととは別なのだろうが、それでいいと思っている。

 素描をやってみて、自分の当たり前の所に戻れるような気になっている。絵を見て学んだところから脱すると言うことができるか。当たり前の生活の中で見ているものに戻ること。だから、もうしばらく素描を続けてみたいと思う。

6
 石垣に戻り、今日までに9枚の素描をした。1枚途中で止めたものがあるので、9,5枚か。途中で終わりの素描も写真を撮れたら、とっておく事にする。大量の蚊が車に入り込んできて、到底そこでは描けなくなったのだ。良いも悪いもないのだが、素描をはじめて、だんだんすすんできたもの。この後まだ描いている。

 写真が撮れた段階で又加えるつもりだ。9枚の素描には何故か構図がある。意識しては居ないのだが、こうなった。最初正面の木を描こうとした。そのうち右側にあるヤシの連なりに惹きつけられた。


 その関係を描きだしたら、向こう側の山や茂みも描いた。描こうとしたのは関係としたが、何だったのかと思う。見ている眼の中で生まれる両方の関係によって風景ができていること。

 まだまだやることが出てきた。次の絵を語る会は1月18日なので、それまでは素描を続けてみたい。素描を持って行くことにする。まだ3週間あるから、もう少し先まで行けそうである。


 
 フランスにいたときには毎日人体デッサンをしていた。午後の時間と、夜もダンスデッサンがあればやっていた。人間の研究をする場所がアカデミーで、絵画から人間に迫るのが美術学校という事だった。

 日本に戻ってから、渋谷にあった洋画人体研究所と言うところと、利根山光人さんのところのクロッキー教室に通っていた。どれほど描いても飽きると言うことはなかった。教室の方がなくなってしまい、いつの間にか人体は描かなくなった。



 何10年かぶりに風景デッサンをやってみて、すこしづつ鉛筆の感覚を思い出した。鉛筆は2B中心に4B、6Bと使っている。三菱ハイユニである。春日部洋先生は風景デッサンをやれといつも言われていた。その意味が今になると分かる。描くことでつかめることが確かにある。

 名古屋で木村忠太展を見せて貰ったおかげだ。絵を描くと言うことはやはり、他の人の絵から学ぶことが多いものだ。鉛筆の勢いで、年賀状の宛名も鉛筆で書いた。鉛筆の字も面白いものだ。鉛筆を失礼だと思う人が居るかもしれないが、鉛筆書きの練習なのであしからず。


10,今日描いたもの。

 新しい場所で描いてみた。曇りの静かな陽射しだった。向こうに見えているのが、崎枝の集落当たりである。
 
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