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沖縄の世界自然遺産と軍事基地の違和感

2017-09-09 04:13:17 | 石垣島

沖縄の世界遺産調査で辺野古の米軍基地移設に関して、検討が必要と国際自然保護連合の判断が下された。沖縄は現在自然遺産の申請を行っている。その審査の過程で辺野古基地の新設については、日本側と話し合わないとならないという事になった。アメリカでは自然保護団体が、辺野古周辺のジュゴンの生息地の保全のために、辺野古米軍基地の埋め立て工事の中止を求める裁判が行われていて、現在差し戻しされて審議のやり直しが必要という事になっている。世界屈指の自然環境の沖縄を、これからどのような地域にすべきなのかという事が、世界から注目をされ始めている。その沖縄で軍事基地を増強してゆこうという動きである。米軍基地を自衛隊基地に置き換えて行こうという考えだろう。例の思いやり予算の上乗せである。自衛隊基地を作り、米軍の共用を認めるというやり方だ。表面的には米軍基地の比率が軽減されることになる。抵抗のまだ少ない自衛隊基地を先行させ沖縄を防人の島に定着させる発想である。

沖縄の自然環境の素晴らしさは、世界自然遺産としての価値がある。沖縄の今後の方向を考える上では重要な要素になっている。沖縄が観光を将来の柱にして行こうという事になれば、世界自然遺産の指定を受けることは大きな効果になる。沖縄諸島周辺地域は世界でも有数の美しい海である。海の生物の多様性も世界一と言われるほど豊かな地域という事だ。しかし、自然保護と地域住民の暮らしという事は、密接に関係している。住んでいる人たち自身が考え、その意見が尊重されなければならない。西表島は明治以降開発が進んだ。林業会社進出。炭鉱開発。日本の台湾開発と近いものがある。自然保護という発想が出てきたのは、1970年以降のことと言ってもよい。50年が経過して、現在人が暮らす地域は海岸の一部の地区に限定されてきている。内陸部にあった、開墾地や古い集落、道路やトロッコ道等もほぼ自然に戻りつつある。貴重な自然が甦ってきているのかもしれない。その意味では良い意味での先行事例になる可能性がある。この変化にはイリオモテヤマネコの確認が大きな要素だった。

屋久島が先行したモデルケースではないだろうか。屋久島は1万3千人の島。明治期の人口に戻りつつある。面積が504m²。明治期以来様々な開発が試みられたが、目覚ましいものは成立しなかった。そして、戦後になって皆伐的な林業が起こり、1970年代まで大きな自然破壊が進んだ。そして、自然遺産に1993年に指定されて、屋久島の方向は自然保護に変わる。そして観光産業が活発化する。40万人の観光客が来島している。良い意味でも、悪い意味でも、観光産業が屋久島の将来を方向づけてきた。八重山の西表島は2366人の人口面積で289m²。観光客数は33万人。明治期以来の密林の開発、特に戦後進んだ自然破壊の反動としての自然保護意識が高まる。ある意味絶対的な価値観として自然保護が存在している。住民の暮らしとの折り合いのつけ方が極めて困難になっている。西表の田んぼは完全に囲わない限り、猪にやられてしまう。イリオモテヤマネコの交通事故死は年々増加している。

辺野古の米軍基地建設、石垣島の自衛隊基地建設、共に間違いのない自然破壊である。石垣島の自衛隊ミサイル基地は、石垣でも最高の場所で、何度も絵を描いている場所だ。石垣島の最高峰於茂登岳のふもとに広がる、なだらかな丘陵地域に自衛隊基地が計画されている。周辺の農家の暮らしが変わるという事になる。観光客が来るという事で、住民の暮らしが変わるという事もある。何処で、折り合いをつけ選択するかは、そこに何千年暮らしてきた住民が考え決めることだ。島津が、幕府が、明治政府が、アベ政権が、決めるようなことでない。石垣に石垣を返せ。自然保護の選択も、自衛隊基地の誘致も、石垣の住民が判断することだ。石垣島は西表とは違い、人間が管理し、暮らしの折り合いをつけている島だ。永続できる暮らしがすべての基本にある。石垣島は日本列島の中でも人間の暮らしが最も長く継続された場所である。この島がいつまでも人間の最高の生活の場所であることを祈っている。

 

 

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