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色彩には、3つの見方がある。

2024-09-16 04:08:19 | 水彩画

 私が絵を描く時に、色彩は最も大切なものになる。絵には構成とか、形とか、線だとか、多分無数に重要なものがあるが、色に一番惹かれている。素描とか、水墨画とか、色のないものは絵だとは思えない。色がないと物足りなくて仕方がない。素描とか、書とか言うものも好きではある。しかしそれは絵画とはかなり違うものだと感じている。

 色彩のことは何度も書いているような気がするが、今回水彩人の会場にいて、改めて感じたことなので、また書いてみようと思う。色彩に対する見方は3つに分けられると思う。まず、第一に固有色と言うことになる。もの自体に色が備わっているという、人間の感性に基づく当たり前の考え方だ。人間の感じているそのものなので、絵は固有色で考えられてきたのだろう。

 第2に、光の中に色が含まれていて、反射しない吸収される色と反射して、はね返って来るために見る者の眼に到達する光になり、色になる光がある。それがそのものの色のように見える。ある意味19世紀に始まる科学的な色の考え方である。スラーに代表される点描派の登場。

 そして、第3には主観的な色である。具体的に考えれば、絵の具の色である。色を独立した物と考えて、絵画は再現する物ではなく、画面という独立した世界に、絵の具という色で、画面に世界を構築するという考え方である。私はこの第3の考え方で絵を描いているようだ。

 固有色という考え方は色は、色は反射であるという考え方に対する、反作用から改めて考えられてきた。固有色と存在の意味というような哲学的な色の規定がおこな割れたような気がする。存在するもの自体が、色彩を伴い、色には存在を表現している要素があるという考え方。

 光である色彩は実態がない。固有食という考え方には、実感に始まる哲学的とでも言うような、色に対する考え方が含まれている。「ものがある」と言うことを把握するための、考え方ともいえる。ものが確かにそこにある。ということが固有色の考え方なのだろう。

 ものは分子レベルまで細分化すれば、空間も物も連なる同じ性質の物になる。その切れ目はない連なりに存在はある。それは自己存在も同様に何も空間と変わらないようなものだということになる。それに対して、生活実感として、ものと自分とは連ならない。

 絵で言えばデューラーのような絵ではないだろうか。物がそこにあると言うことを、絵において把握するというような迫り方である。触って物があると言うことが確認できる。確かに物という物を確認することで、それを見ている自分の確認が行えるという考え方なのではないだろうか。

 それに対して、光の反射で物を見るという考えは、自分という物も、世界というものの間には、切れ目がないという考えが根底にある。すべてが特別ではなく、等質であるという哲学。絵で言えばスーラーのような絵だと思う。空も人も等質に描かれる。モネなどもそうだといえるのだろう。水も睡蓮も、空も光も、等質に調和を求める。

 そして、私が考えている絵の具の色である。物と色を連動して考えない。絵の画面の上の色。あくまで自分の世界を、画面上の色の調和によって、画面で作り上げようという考え方である。絵は現実の反映ではなく、あくまで画面の上で、作り上げる世界だ。

 色は自分の世界を表すための材料になる。固有色でも、光の反射でもない、絵の具の色という素材の組み合わせで、画面の上に、自分の世界を再構成している。目で見ている世界というものはその最大の参考であるが、目で見ているものと絵の世界は別物である。

 多分絵で言えば、マチスの考え方なのではないだろうか。マチスはアフリカで影のない世界を見て、そのことに気づく。絵は画面上に新たな世界を作ることだと考える。色は自分の世界を画面に表現する材料である。色の大きさ形の組み合わせにより、新たな絵という世界が構成されると言うことになる。

 絵の具という段階では意味を伴わないものが、その組み合わせで意味を持ち始める。マチスの絵は実はいくつかの思想で作られていて、一筋縄では考えられないのだが、特に切り紙の作品にその色彩に対する考え方が集約されているように見える。どこの誰でも可能な絵画の実現。

 技術の不要な絵画世界。考え方だけが前面に表れるように作られている。特に最後の作品エスカルゴには強くそれを感じさせる。子供でも出来る絵画。特別な技術はなくても、絵画作品が可能というマチスの世界観。しかし、そう言いながらもマチス以外には不可能な絵画。

 私は若いころに、マチスの到達したところから絵を始めようとした。ところがそのことが、ありがたい簡単なことだと思い取り組んだ。ところが、技術を殺した、恐ろしい技術がなければ描けない世界だった。できる限り誰でも出来る方法でということが、どれほど難しいことだったのかというのが、20歳から40歳ぐらいの絵を描く苦しみであった。

 それでも、結局は立ち戻るところは絵の具の色で描きたいということになる。できる限り素朴に、技術を伴わない絵を描きたいという気持ちは変わらず持ち続けている。日々使っている、普通の言葉を連ねることで詩が生まれることのように、単純に色を関連させることで、自分の世界が現れることを願っている。 

 ところが実際の所、自分が感覚的に惹かれているのは、モネであり、ボナールである。色彩の画家である。世界の色の美しさを画面の上に再現してゆく。色の魔術師と言われるが、これほど美しい色の世界は見たことがない。ボナールの絵によって、モネの絵によって世界の美しさを教えられたような物だ。

 私の記憶の中にある色彩の美しさは、絵から学んだものなのかもしれない。その色彩の世界の陶酔のようなものに、酔いたいがために絵を描くのかもしれない。画面の上の色の魔術をまねようとしているのかもしれない。もちろん、その色の魔術は画面の上でしか出来ないことだ。

 画面の上で、絵の具の色の組み合わせによって、自分の色の調和を求めている。その調和が、より深い哲学的な世界観を持つものにしなければ、自分色の魔術にはならないと考えている。私自身が魔術にかかるためには、その色の世界が、観念に裏付けられていなければならない。

 その深い色調があるのは色彩は、水彩画の色彩なのだ。油彩画は汚くてダメだ。日本画の不透明感も私には物足りない。水彩画の保つ、限りない透明感こそが、深い思想哲学を表せる色彩の世界なのではないかと考えている。つまり、色彩のある水墨画のようなものだ。

 まだまだ遠い道だとは思う。しかし、行き先はおぼろげながら見えてきている。方角が定まれば、やることは決まってくる。今度は4月の水彩人春期展が目標になる。大いに頑張ろうと思う。水彩人展を通して、気持ちが統一され、方向が定まってくる。
 

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269 水彩画 日曜展示

2024-09-15 04:26:18 | 水彩画
269 水彩画 日曜展示







559「ゆうまぐれ」
2024、9 15号








560「篠窪のお寺」
2024.9 中判全紙








561「下田夜明け」
202.9 15号






562「青富士山」
2024.9 15号






563「舟だまり」
2024.9 12号








564「篠窪」
2024.9 中判全紙








565「山麓」
2024.9 12号


 水彩人開催中に描いたものである。描こうと気持ちが定まれば、絵はいつでも描くことができる。描きたいものがあれば描けるものだ。描くものの方角が定まっていれば、そこまではすぐ進む。いつもここからなのだ。ここからが難しい。本当はここから描くべきことが始まる。

 時間があれば、たぶんもう少し描くのだろうと思う。石垣に帰り続きを描くかもしれない。終わりを目指して描いて居たような気がする。終わりではなく、自分を目指してもう少しダメにしてゆく必要があるような気がしている。ダメになるまで描くことが、絵を描くことだと考えている。

 慌てて終わりにしたような感じがどの絵にも残った。時間がないということが、こういう結果になるのだろう。気持ちが少し焦っていたかもしれない。枚数がむしろ増えてしまった。そんなつもりではなかったのだが、不思議なことになった。

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失敗学といってみる、

2024-09-14 04:30:42 | 水彩画


 絵を描いて居ると、必ず行き詰まる。当然のことである。いまだかつてない絵を描きたいと思っているのだから、何かを発見しなければ先には進めない。当然失敗ばかりである。失敗をして何故ダメなのかを考える以外に進む方法がない。やってみてダメだということが分かれば一歩前進である。

 それは田んぼで学んだことだ。今までいろいろのところの田んぼで稲の栽培を試みてきた。いつも萬作のイネづくりを目指してきた。萬作のイネというのは、その稲の一番元気な姿である。サトジマンであれば、15枚の葉をつけて、分げつが25本以上。止葉は50センチ以上で葉の幅は2センチ以上で、しっかりとして厚い。その成果は反収10俵以上。ということになる。

 この萬作の姿にならなければ、まだ何かが不十分なイネづくりなのだ。萬作という目標に向かってあれこれ試行錯誤して、イネづくりをする。そして何としても、失敗を重ねてその目標に到達する。それは充実した失敗の連続なのだ。失敗をするからそれではだめだということが分かる。失敗をを繰り返す以外に萬作のイネづくりは不可能なのだ。いま、石垣島で失敗を重ねている。

 イネづくりで失敗することの必要を学んだ。だから、絵を描くことでも、思いつくことは何でもやってみて、それがだめだということを確認する以外に道がない通っている。すべてのダメをつぶせば、これが自分の絵だというところに行けるのではないかと考えている。

 といっても稲作りよりも、絵の難しいところは行く先が見えないことだ。稲ならば満作が素晴らしい。それは私にとって明確な目標だ。ところが絵は何が良いかがないのだ。あるという人もいるが、私にはまだそのことがわからない。目標がわからないながら、わかっていることがある。それは絵を描くという充実である。

 日々生きていて、描くという時間ほど充実した時間はない。生きているのだと思う。見えない絵という目標に向かって、自分のできる限りの努力を向ける。この充実以外に絵を描く意味はどうもないのではないか。だんだんそのように思えてきたのだ。ではその結果描かれた絵は何かと言うことになる。

 私にとって良く生きるということは、充実して絵を描くことだといえるのではないか。生きると言うことの先にあるものは死ぬと言うことだけだ。生と死を明らかにする。そのように道元禅師は言われているわけだが、絵を描くと言うことが今を生きるという味わいなのではないか。その味わいを深める。只管打画しかない。

 座禅をすると言うことは結果を求めることではない。座禅そのものが目標になる。その時間の充実に生きるわけだ。描くと言うことの結果の絵というものは、何かを生み出しているのかもしれない。それは正直わからない。今のところ、わからない結果が私の描いた絵だと言うことになる。

 絵を描くことにはイネづくりのような明確な目標がない。描く方角を自分で決めることになる。方角が正しいのかどうか、常に迷い続けるのが普通だろう。道元禅師のように只管打坐と決めてただ一筋に生きるということはなかなか難しい。私は乞食禅である。何かを得たいえたいとあがく。良い絵を描きたいとあがく。良い絵というものをどのように乗り越えるかがむしろ目標なのだと思う。

 道元禅師も宗派を作り寺院を建立し、正法眼蔵を著作する。一体何が只管打坐なのだろうかと思う。座禅をする時間を割いて、何故曹洞宗を広めなければならないと考えたのかが不思議だ。只管打坐でありたいとは考えていたのは確かだが、なかなかそうできないこともあった人と考えていいのだと思う。

 道元禅師だって失敗を繰り返して、矛盾の中に生きて、正法眼蔵の哲学に至ったと考えた方がいいだろう。天才には天才ならでは苦しみもあるはずだ。まして我々凡人であれば、やることなすこと失敗である。うまくゆくなどほとんどない。しかもたいていの場合失敗の原因が自分の怠慢にある。

 情けないことだが、普通の人間はやると決めてもやりきることができない。ぐうたらなものなのだ。ぐうたらでもいい。ダメでもいい。それが人間が生きるということだと思っている。そのように自分を許しているわけではない。だから絵という矛盾を含み混むようなものに憧れているのだと思っている。

 描かれた絵は只管打画の実態を表している。絵は自分の生きる日々の道標である。冥土までの一里塚である。おまえは前に向かって歩いているのか。この実態の様相を絵が答えてくれている。昨日描いた絵よりも今日描く絵が、前に向かっているかどうか。人と比べるのではなく、自分の昨日と今日を比べて生きる。

 今日描いた絵もダメなのだ。いや、描いたときには十分に描けたと思うこともある。ただ、しばらくたってみると、やっぱりまだまだなと思うばかりである。それでも、1年前、10年前と比べると、良い絵を目指さなくなっているとは思う。少しずつ自分が描いたといえる用になりかかっているかなと思っている。

 これで十分だと言うことはない。でも昨日よりは良いかもしれない。自分なりで良いと思っている。自分という人間の生きる日々である。絵はあくまで自分の一里塚である。人間それぞれに一里塚があると言うことなのだろう。向かう道の先はそれぞれのものなのだ。高い山でなくとも、自分の道を探してゆくしかない。

 後長くて25年である。いつも北斎をまねて、100歳を冥土としているが、実際にはいつ断ち切られても不満は言えない年齢である。75年も生きて、絵を描かせてもらっているのだ。文句を言える筋合いはない。これからの1年一年は感謝して、お礼を言いながら生きる一年だと考えている。

 いつ断ち切られても仕方がない日々である。不思議なことでだんだんにそれを受け入れられそうになってきた。ただ、絵を考えるとここでは終われない。絵はあまりに途上であることがわかる。自分の絵がまだ遠い。私は結論を求めて描いているわけではないので、それも仕方がないのだが、只管打画がいつかどこかに到達するという夢は描いている。

 100歳までやれば、何でも描けるとは思っていない。北斎も出来なかったのだと思う。それでも自分の絵を描くという道の、目的地の方角は見えてきたのだろうとは思っている。ダメの繰り返しではあるが、それを悪いことではないと思い、ひたすら今日を生きてゆきたい。

 これからの一日一日、中川一政氏のように、活力にあふれた生き様でありたい。70代よりも80代。80代よりも90代が素晴らしいという生き方でありたい。その結果の絵が、それなりのものであることが目標ではあるが、それは運命のようなものだから、仕方がないことだ。今日も精一杯やってみよう。

 
 
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268 水彩画 日曜展示

2024-09-08 04:05:59 | 水彩画
268 水彩画 日曜展示






554「篠窪」
2024.9 中判全紙








555「篠窪」
2024.9 中判全紙








556「カキツバタ」
2024.9 中判全紙









557「のぼたん農園」
2024.9 中判全紙








558「箱根駒ヶ岳」
2024.9 中判全紙



 今回は小田原に来て描いたものである。水彩人の展覧会準備の合間に描いたものである。みんなの絵を見せてもらい、いよいよ絵が描きたくなった。準備が終わって、展覧会まで時間があったので、小田原で絵を描いた。多くは前回来た時の続きである。

 小田原では家の部屋の中で描いた。あまりに暑くて車の中で描けなかった。一度は車で始めたのだが、やむ得ず部屋の中で冷房をかけて、描いていた。車でない場所で描くのはたぶん10年ぶりぐらいになるのではないだろうか。描いて居て何かが違っていた。

 今回の制作は水彩人展の審査や互評会で見た絵が頭に残っていたかもしれない。いろいろのものが、記憶の中に渦巻いていて、そういうものが絵に現れたかもしれない。自分というものは、やはり外界とのかかわりの中で出来ているのだから、そうなるのが当たり前のことかもしれない。
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絵を語る会について

2024-09-06 04:07:21 | 水彩画


「絵を語る会」の案内        笹村出
10日、12日午前中「絵を語る会」を水彩人展会場で行います。
出品者は誰でも参加できます。どなたでも見て頂くことができます。
「絵を語る会」は自分の描いた絵と自分の関係を、表明する場です。
それは何故その絵を描いたのかを言葉にして、自覚するためです。
自覚する以外に自分の絵を深める方法がないと考えるからです。
それが「水彩人展」が勉強会である意味だと考えます。
自分の絵を描く気持ちや哲学を言葉で表明する場である。
どこで、何を描いたとか、どんな水彩技法で描いた。
というようなことを語る場ではありません。
「絵を語る会」は自分の絵と自分が対峙する場である。

 絵を語る会はコロナで中断し、なかなか本格的には再開できないでいる。以前は年4回開催してきた。神田の画廊をお借りして、きちっと展示して1日グループ展のような形にして開催していた。最近は水彩人展の会場で行うだけになっている。

 今回の水彩人展では、2回開催する。できるだけ多くの人に参加してもらい、自分が絵を描いて居る心を語ってもらいたいと考えている。水彩人展は良い仲間が増えてきている。今年も初出品の方が10人ぐらいいたと思う。初出品の人の中に今までにない傾向が表れている。

 できればそういう人に是非とも参加してもらいたいと思う。また、遠くから参加している人もいる。そういう人にもぜひ参加してもらいたいので、10日に開催することにした。9日には懇親会がある。それに出席して、翌日絵を語る会に出てもらえばと考えている。

 最初は何を語るのかが分からないと思う。たいていの人は、どこを描いた、何を描いたということを話す。そこがどういうところで、どのように描いた。どんなものであると話す。しかし、そういうことはあまり重要ではない。それはきっかけである。

 そのものに何故惹かれたのかを掘り下げてもらいたいのだ。何故絵にしようと考えたのか、自分の心の中を探り、語ることで深めてもらいたい。そして、その思いは絵で表すことができたのか。どういう部分が実現できていないのか。もしできているとすれば、どのようにできたのか。

 できていないとすれば、なぜできなかったのか、どういうことができないのか。できないことを語っていると、次に向かうべき先がはっきりしてくることがある。たぶん絵にできないくらいなのだから、なかなか語ることも難しいとは思う。

 絵を言葉にすることに慣れていない人ばかりである。うまく語れないで当たり前である。しかし、うまく語れる必要はない。訥々でも、おかしな話になってもかまわないだろう。その人自身が自分の絵について言葉を探し、みんなの前に表明することが意味があると思っている。

 頭の中にある思いや、感情を言葉化する作業によって、人間は自覚を深めることができる。それを他人に対して表明することは、特に重みが加わる。私がブログを書いているのもそういうことである。頭の中で何となく思っているだけでは、自分のものにならないからだ。

 ブログであれば、頭の中の言葉を文章化してみんなに読んでもらう。公表すると思って描いて居ると、人にわかるように整理して書かなければならない。自分の頭の中が徐々に整理されて、なんとなく考えていた時には、思いもされなかったことが、引き出されてくる。

 描くことでわかったことが多い。今書いている絵を語る会のこともそうである。文章化することで、絵を語る会の意味が明確化してくる。つまり自覚できる。そのことで自分が絵を語る会で語ることが、次第にはっきりしてくる。そして今度は口に出して語る。かなり自分の絵が分かりだす。

 絵を深めるということは難しいことだ。どうしても「良い絵。うまい絵。評価される絵」を目指して描くことになる。水彩人はそうした絵を目指しているわけではない。むしろ、下手でいい。とんでもないものでいい。その人の世界観が出ている絵を求めている。

 絵を語る会作者の語った後に、互いに気付いたことを話し合う。しかし、技術的なことや、こうすれば上手な絵になるということはできるだけ避けている。普通の教室のように、先生が指導するような場ではない。あくまで語った思いが、表現されるためには何が必要なのかを話し合うことになる。

 語り切れていない部分に気付くこともある。語りながら、そうか本当はこういうことがしたかったのかと自覚を深めることはよくあることだ。朝焼けの山に感動して、描いた。問題は何故それに感動したのかにある。子供のころの記憶とか、朝焼けのモネの絵に惹かれたとか様々であろう。言葉にしながらそれを探る。

 これは私自身の場合だが「私絵画」を描いている。私の世界を深めてゆくための、探求方法として絵を描いている。私自身が深まらない限り絵が深まるということがないと考えている。問題は絵を描くということが自己探求になっているのかどうかである。

 そこにある絵はあくまで自己探求の経過の図である。自分の世界観が現れているかどうかが問題なだけである。世間的な評価はあまり意味はない。私が描いたと言えるようなものに少しでも近づいているかである。世界の見方が絵に現れているのかどうか。

 石垣島に暮らして、絵に専念する毎日である。毎日目にしているものを、目に慣れてきて、特別なものではなくなったものを、自分の内的な世界観として表明された表現に、なっているかどうかが問題になる。少しでも前進しているかどうかである。

 方角が間違っていないかどうかを、絵を語る会で確認している。その為には絵を語る会は自分には必要なものになっている。特に日ごろ、一人だけで絵を描いている。絵の世界から離れている。独りよがりになっている可能性もある。この貴重な水彩人展の場で、絵を語ることは羅針盤のようなものになる。

 
 

 

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第26回「水彩人展」

2024-09-03 04:17:13 | 水彩画
 第26回 水彩人展のお知らせ

開催期間: 2024年9月9日(月)14時から~ 9月16日(月、祝) ※休館日なし
時    間: 9時30分~17時30分 ※初日は14時から。最終日13時30分まで。
会    場: 東京都美術館1階 第4展示室(上野公園内)
本展会期中事務局: 東京都美術館内 TEL(03)3823-6921
事務局 杉浦カヨ子 TEL 080-5412-0400

 水彩人の本展が上野の東京都美術館である。私としては大切な発表の場である。一年間の制作を水彩人展で総括している。水彩人展は水彩画を学ぼうという仲間が35年ぐらい前に集まった勉強会が始まりである。春日部洋先生が水彩画の勉強会をしようと誘ってくれたことで始まった。

 その後春日部先生は亡くなられて、あたらに水彩画勉強会を水彩人の仲間と継続した。7名であった。そして現在水彩人展に三橋、大原、笹村の3人が残っている。始めた動機は水彩画が正当に認められていないと言うことと、水彩画は本格的な研究がないと言うことにあった。

 あの頃から思うと、水彩画が認められると言うより、絵画というもの自体が芸術としての力を失った。一方水彩画の研究は進んだと言える。材料や道具の充実は格段の進歩だと思う。絵の具、水彩紙、水彩筆、技法書、と随分充実した。

 50年前の水彩画が、劣化が特に退色がひどいことが多いのは、紙も絵の具も質が悪かったとだと思われる。筆に関して言えば、今はコリンスキー系統の良い筆があれこれでているし、日本の筆でも水彩画に向いている物が、多数存在する。隈取り筆や豚毛の筆も水彩画の表現を多用にしている。

 材料が豊富になったこ原因は水彩画を描く人が、格段に増えたためである。趣味で水彩画を描くという人が、多くなった。カルチャーセンターなどの水彩画教室という物も、多数存在する。水彩人口が増えたことで、水彩画材料の商品として品質が向上した。海外からの水彩材料も揃うようになった。

 しかし、増えた水彩画人口が必ずしも水彩画の世界の質を上げたかというとそういう訳でもない。泰西名画とでも言うような、古い時代の描写的な水彩画の復活が中心である。まるで100年以上も前の英国風水彩画の復活である。こうした絵画は、当時も芸術としては評価をされなかったものである。

 一見絵のように見えれば、それでいいという趣味の世界の浅い絵画ばかりが広まってしまった。これは水彩画だけの問題ではなく。芸術としての絵画という物が社会の中から、失われた結果なのだ。映像の世界の出現である。誰しもが手軽に映像を作る時代が来ている。

 無数にユーチューブ画像が存在し、ウエッブでは様々な映像が飛び交っている。絵画はむしろ、そうした映像世界からの影響を受けて、絵画としての芸術表現力を失ったと言える。野見山暁二氏が亡くなり、日本には画家という存在が居なくなったように見える。

 芸術としての絵画はその存在を内的な物に変えているのだと思う。描くという行為それ自体がその主たる物になっている。人間が生きると言うことを、実感させてくれる物としての描写である。描くことで生きていると言うことを確認するような行為である。

 その結果としての絵画を、発表するという意味は、従来の絵画展とは大きく違うはずだ。そこに絵を語ると言うことがあると考えている。自分の絵について、絵の前で絵を語る。自己確認である。何故この絵を描いたのかを、語ることで自分の描くという行為を自覚すると言うことが主目的である。

 水彩人展では絵を語る会も会場で行っている。9月10日と13日の午前中に行う予定で居る。絵画の次の可能性を絵を語るという行為で切り開きたいと考えている。制作者が自分の絵の前で、何故絵を描いているのかを語る場である。

 絵を語るなどおかしい。むしろそういう意見が多くある。発表した絵はそれだけで独立し、作者からは霧離れたものだと言う考えだ。それを説明などするのは、絵が不十分だからだと言われる。従来の藝術としての絵画であれば、その通りだ。ゴッホの絵を語る必要など丸でない。ゴッホは手紙という形で随分絵を語っている。

 ところが、そうした自己表現としての絵画は終わった。絵画は描くという行為の方に藝術行為としての意味が移ったのだ。描くという自分の充実が、すべてなのだ。それは舞踏家が舞踏をすることを表現だとする意味と、古代の人が神の前で踊り続ける事との違いのような物だ。

 踊ることで神と一体化する。描くことで自分という根源的存在に至る。根源的な存在など無い。と言うことも分る。だから根源的存在に居たろうという努力、自分という物が生きると言うことの実感を得るために描く。それが藝術としての絵画の新たな意味なのだと考えている。

 アクションペインティングという物があった。描く行為時代を芸術作品として見せた。舞踏に近い形で描くという行為自体を表現としたのだと思う。しかし、現代の描くという行為を芸樹的行為とするのは、描く行為を見せる物ではない。描くという行為の内面的な世界観を言葉にするというものである。

 だから、絵はそれぞれの人の物なのだ。かつての絵画は描けばそれはもう自分の物ではなくなった。だから制作者は絵を説明などしてはならなかった。しかし、次の時代の絵画は描くという行為こそ、問題になるのだ。だからその行為の結果を見せることになる。

 そこはまだ未開の部分だと考えている。描かれた絵画が、行為の何を残存しているのか。ここを探っている。行為の深まりが、画面に現われるのかどうか。本来であれば、ここは藝術評論の分野の仕事で在る。ところが、絵画の衰退と共にほぼ失われた。

 評論家という人で、現代絵画芸術論を書いている人が居ない。いや、私が評価できるような芸術論に出会っていない。私なりに探しては居るのだが、見つからない。もしご存じの方が居たら教えてほしいものだ。本来新しい藝術は新しい芸術論と共に表れるはずだ。

 ししやまざき氏の動画に感銘を受けた。これほど新鮮な感動を受けたことは久しぶりだった。こうした動画芸術論ならばあるのだろうか。それも分からないが、旧来の平面絵画が芸術の表現力を失っていることは確かだと思う。

 一方で商品絵画は存在する。経済の時代だから、バンクシーの絵画が商品として扱われる。全く陳腐な物だ。そんな陳腐な絵画と同列の商品絵画なら多数存在する。様々な投資家が商品を求めているのだ。結局の所、商品絵画の底の浅さが寂しい時代と言うことになる。

 水彩人展が9日の午後から始まる。私は13日の午後から、14日前日、15日午前中以外は会場に居ます。受付で聞いて貰えばと思います。10日と13日の午前中に絵を語る会をやろうかと思っています。興味のある方はいらして下さい。

 
 
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267 水彩画 日曜展示

2024-09-01 04:24:59 | 水彩画
267 水彩画 日曜展示





549「赤花」
2024.8 中判全紙








550「湿原」
2024.8 中判全紙







551「ヤシのある農地」
2024.8 中判全紙








552「緑の農地」
2024.8 中判全紙







553「田んぼの眺め」
2024.8 中判全紙




 石垣島は7月も8月も過去にない暑さだった。暑いことは大変だったのだが、絵を描くことには良かったかも知れない。暑い強い陽射しの風景と向かい合うことが出来た。暑さも描いていたのだと思う。今見ているものを写しているわけではない。

 暑さとか、空気の匂いとか、良い風がと夫か。そういう物は絵に表れてくる。石垣島の湿った重い空気の感触など、風景の記憶には重なっている。ああ暑かった、すごい湿度だった。ということは、描く世界に影響しているような気がする。

 そういうこともあって、石垣の風景が石垣らしいのはやはり夏なのだ。結局私が描く石垣の絵は、いつ描くにしても夏の絵になるようだ。別段季節を意識しているわけではないが。夏空。夏の海。どうしても表れてくるのはこの季節の物になっている。


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絵を描くと言う意味

2024-08-29 04:24:44 | 水彩画


 自分という物をやり尽くしたい。絵を描くと言うことで、自分の生きると言うことを、やり尽くせるのではないかと考えている。絵を描くと言うことはそれ程手応えがあり、実に楽しい奥深い物なのだ。奥深すぎて、一向に分ったという気持ちには成れないのだが、確かにこの先に何かがあると思える。

 それは画面に自分が描いたものだと言う痕跡を感じるからだ。この絵を自分の何かだと言っても良いのかも知れない気になる。ゴッホの絵を見るとゴッホという、お会いしたこともない人間がそこに居ることを感じる。ボナールの絵を見ると、ボナールという人の、人間を見ているような気になる。

 それなら、私が私の絵を描き尽くすことが出来れば、私という人間が絵を通して、表れてくるのではないかと思えるのだ。もちろんそれ程の才能があるはずもないことぐらい分っている。絵が良いとか、素晴らしいと言うことは別にして、自分を探る方法として絵を描くという意味はあると考えている。

 私という人間がどうであるかを絵を描くことで突き詰めている。例えばゴッホはとんでもない人だ。しかし、絵で人間を救済できると思い込んでいた人でもある。牧師になること以上に、立派な絵を描くことで何か、人のために役立つことが出来ると考えていたのだと思う。

 その立派な絵とは何かと言うことが、ゴッホには難しいことだった。大体実際のゴッホは周りの迷惑のような人で、役立つようなことはどこにも無かった人なのだ。結局絵にとりつかれてしまい、絵を描くこと以外無くなってしまったのだ。評価されないと言うことで破綻して行く。

 ゴッホは圧倒的な絵の力を示したのだが、立派な絵とはほど遠い絵を描き続けた。ゴッホにはそれしか出来ない絵の描き方があった。そのやり方ではとても、立派な絵にはならないのだが、ゴッホという独特の思い込みの強い、いわゆる絵の常識など全くない人には、独特の手法以外にやりようがなかった。

 新しい世界を切り開く特別な人はそういう物かも知れないが、私は普通の人が普通の生き方を、十二分にやり尽くす方法としての絵を描くことになる。どれほど頑張ったところで、私のすべての絵が、消えて行くものだ。物に生きる価値を託すことは意味が無い。

 描くという行為を極めることこそ意味がある。絵は結果であって、後から自分の絵を描く行為を、確認する為のものだ。どういう心境で描いていたかは絵を見れば分る。人に褒められたいような心根があれば、すぐに画面に現われている。画格が卑しい物に下がるわけだ。

 どこまで自分の描くと言う行為に、なりきれているかの、行為の深度を絵は示している。それが只管打画の意味である。道元禅師の坐禅に至る事ができなかった、乞食禅の人間だから、逃げ道として考えたことである。だめだからと言って生きる事を諦める訳にはいかない。

 いわば次善の策のようなものである。自分がだめな人間であるとすれば、だめな人間を極めるほか無い。立派な禅僧を真似たところで意味が無い。目標はあくまで自分という人間である。生きると言うことは、立派な姿を真似ることではなく、だめである自分を生ききると言うことだと思う。

 これは自分を向上させる事を諦めた言い訳のような物なのだろう。諦め言い訳をするのが自分。そうであるとしてもその向上心の足りない自分で死ぬまで生きるほか無い。自分など無いと言いきることも出来ない。曖昧模糊とはしているが、ここにある自分をやり尽くしたい。

 絵は生まれてくる。意図的にこういう絵を描くというようなことはないのだが、描き始めると画面が次の状態を呼び出している。次の状態にまで済むと、また新たな描き進める方角が見えてくる。この繰返しを続けることが、絵を描く実際の状態である。

 何もない画面の前に座る。まだその時には何を描くかは決めていない。決めていないまま、絵の前に居るとすぐに始める。この時にはあまり迷いはない。例えば於茂登岳を描こうとか、富士山を描こうとか、海を描こうとか、湿原を描こうとか。蘭を描こうとか。思いついて始める。

 過去に直接見て、繰返し描いた対象を思いだして描く。見て描いたって良いのだが、観ているからと言ってその見ているものを移す気持ちにはならないようにしている。記憶の中でその対象は出来ている。記憶の世界を描くようにしている。絵を描く眼が作り上げた記憶は、対象を昇華している。

 あまり対象が何であるかは描き出すときには意味が無い。ただ描くことの反応に集中できれば良いと思っている。紙は3,4種類持っているので、たまたまその日これに仕様と決めた紙で、全く絵は変って行く。これでは違う、これでは違うと進んで行く紙もあれば、これだ。これだ。と進んで行く紙もある。

 絵は結局の所行き着くところに行くのであって、どういう紙でも変わることは無い。ただその日の紙が波長が合い、終わりまで進んで行けることもある。大抵はどこかで止まる。何か描いたものを否定し無ければ、先に進めないような状態に陥る。

 この何がだめで、何が良いのか。このところが難しいし、一番興味深いところだ。何故、今描いた物が気に入らないと感じるのか。何故変えなければならないのか。そして変えたものなら何故良いのか。一度は表れた、だめだと思う物にこそ意味があると思っている。

 良く一度描いた画面を洗うという人も居るらしいが、そういうことはしない。描いたと言うことは、何か反応したのだ。それを意味あるものと考えて、画面を進めて行く。今ある画面が下地であると言うような意識で描き続けている。

 それでもほとんどの場合行き詰まる。先行きが見えなくなり、何かが表れるのを画面を見ながら待っている。そのまま寝ているときもある。目が覚めたときに、先が見えると言うこともある。畑の方を見に行く。水牛を見に行く。農作業をする。そしてまた戻り絵を続ける。

 できる限り無念無想で描こうとしている。ああしようとか、こうしようとか、理屈で絵を考えることはしない。いつか自分の絵になるだろうと待っている。以前は一日描けば何とか出来たのだが、最近は一日で終わらない絵が多い。

 絵が完成して終わるというのは、確かに画竜点睛なのだ。それには決まりがない。しかし、何かをしたことで絵が出来上がる。画面の緊張感が急激に高まる。絵が世界観を持つ。画竜点睛は一箇所に手を入れると言うことでは無い。あれこれ描いている内に、どこかで絵が出来上がる場合が多い。

 この状態を今のところ自分の絵になったと考えている。そうなのかどうかは分らない。そして出来た絵として、日曜水彩画展示に出す。これは終わりをはっきりさせると言うことがある。一応発表することで、完成したとような意識になる。

 実際は、もう一度進めたくなることもある。その時は又描く。そして時々前の絵と較べるようにアトリエに展示する。アトリエにはその時の基準になる絵が置いてある。それより良くなれば、進んだと言うことになる。それよりだめならまだやることがあると思って絵を眺めている。

 眺めていると、何がつまらないのかが分ることが多い。描いていて間違うと言うことは良くある。ただ描き継ぐ場合、間違えを直すという意識ではやらない。修整する気持ちは弱い気持ちになる。あらためて糸口を見付けて、最初からやるほか無い。

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266 水彩画 日曜展示

2024-08-25 04:38:14 | 水彩画
226 水彩画 日曜展示







544「於茂登岳」
2024.8 中判全紙







545「崎枝の耕作地」
2024.8 中判全紙







546「牛のいなくなった放牧地」
2024.8 中判全紙







547「耕作地」
2024.8「




548「ギンネム」
2024.8 中判全紙


 時間的には随分長い時間絵を描いていた。描きたいことが沢山出てきて、次へ次へと描いていた。しかし、どこに行くのか行けないのか。やっていることが分っているわけでは無い。完成まで進めない絵も多かった。先に進めず止まってしまう。

 終わりまで一気に行ける絵もある。最初の2点は塗り終わったときが終わりだった。行き詰まる絵があるから、すぐ出来る絵もあるのだと思う。描きたい気持ちがある。このまま描いて行きたいと思う。

 最初の2枚はアルシュの850グラムの紙に描いている。とても良い紙だと思う。良い紙だからすぐに出来たのかも知れない。ギンネムの絵は時間がかかった。出来上がったと言うことでも無い。ギンネムのことが気になるから描いている。この紙はファブリアーノのロール紙を切ったものだ。

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虎と翼のタイトルバック

2024-08-22 04:10:21 | 水彩画


 「虎と翼」のタイトルバックを毎朝見ていて、やっと分ったことがある。それは恥ずかしいことだが、アニメーションというのは、究極のイラストレーションだと言うことだった。当然のことだが、映像で説明をする為には静止画よりも動画の方が優れている。

 絵画の時代ではないのだ。絵画は自己表現であり芸術である。目的があるイラストレーションは主人のある表現で、芸術に主人はあってはならない。「絵画は説明であってはならない」とイラストである事を恥じた時代は終わっている。

 人間の考えや思想を、図解したり、説明する時代なのだ。説明品ければ分からない時代とも言える。芸術が表現しようとしたものは、説明が出来ないようなものであると考えられていたのだ。つまり唯一無二に絵画という表現だから可能な世界観なのだと。

 固有色の考え方と同じで、表現そのものに純化されていることを大切だとしたのが、絵画の考え方であった。事例を挙げれば、樹木の葉の色は固有色では一つである。絵画はこの固有な色を捜すところあった。しかし、実際の木の葉の葉は緑であり、黄色であり、ピンクにも成る。白も黒もある。光の反映で、色に固有性など無い。さらに分りにくいか。

 純粋絵画の自己表現論に支配されていたのだ。絵画には物語性は邪魔だ。絵画には説明的な要素はいらない。絵画は自分の内部世界を画面に絞り出して、表現されるものなのだ。もちろん私はそういう考えに今も支配されているし、そのように考えて、制作している。

 タイトルバックの画像作家はシシヤマザキ氏だが、このタイトルバックには演出家がいるのだ。シシヤマザキ氏の画像を使い、アニメーションに仕上げて、いるのはその演出家なのだろう。もちろん、両者の試行錯誤のある共同制作ということになっているのだろう。

 その目的はこの「虎と翼」と言うドラマの空気に変えて行く力だ。ドラマのどの場面以上に、虎と翼らしい世界観の表現である。実にややこしいドラマなのだが、美しい世界観が貫いている。女性が生きる世界の厳しさと、また素晴らしさである。

 様々な仕掛けがあり、シシヤマザキ氏の表現が共同作業によって、見事に完成していると思う。この形はアニメーションとしては当たり前の事であるのだが、この形に表現を展開している画家としてのシシヤマザキ氏の新しさがあるのだろう。

 芸大のアニメーション科(動画科)の出身と言うから当然かも知れない。つい芸大と言うから、画家のように考えてしまったていた。芸大でもアニメーション科があったのだ。アニメーションが芸術表現として、学科として取り上げられたのだ。その意味でいえば水彩画科はない。

 一画面一画面が優れた絵画である事も確かなのだが、そこに他の人が描いた家があえて挿入されている。多分、その入れられた絵は絵を描くのに慣れていない人の描いたものだ。またそこが良いのだ。そこに思想が込められている。そんな大げさでなく、シシヤマザキ氏としては、当然のやり方なのだろう。

 自分の作品を他人が動かし、しかも他の人の描いたものを自分の作品に入れ込んで行く。この違和感というか、異様さが実に新鮮なのだ。つまり個人と社会の関係なのだ。描くと言うことは誰にも出来る事であり、誰のものにも表現としてのおかしさがある。
 
 「虎と翼」のタイトルバックを見ていて、分ったことがある。それはアニメーションというのは、究極のイラストレーションと言うことだ。つまり、究極の説明法と言うことになる。虎と翼の場合で言えば、このドラマのすべてがこのアニメーションで終わっているのだ。つまり説明が尽くされている。

 そんな馬鹿なと言うことだろうが、このドラマは朝ドラの中では全く異質な作品であった。予定調和がどこにもないのだ。問題の解決ももちろん無い。問題の提起を繰り返している。こんな問題があるということを、繰返し、繰返し叫んでいる。この異端のドラマのすべての空気をこのタイトルバックは説明している。

 ここでは主人公の裁判官は踊っているのだ。バカみたいに、あり得ない踊りを踊っている裁判官。いや踊らされていると言った方が、正確であろう。ドラマのすべては予定調和だと、裏切って叫んでいる。どれほど深刻な問題があろうと、ドラマという枠内のことだと言い切っている。

 良くもこれほどこの朝の連ドラを言い表しているアニメーションはない。シシヤマザキさんは十分朝のドラマの限界を承知しているのだ。どれほど深刻に、告発的に、日本の女性問題を提起したところで、バカのように美しく踊りまくるだけだと言うことを。

 それ程日本の女性問題は、民族性に根ざしたことなのだ。一応国連などの調査では、日本の女性差別は最悪、最低の国と言うことになっている。この最悪最低と言うことがどうも私には理解できない。女性が大切にされているとも思えるからだ。

 何故女性が世界で一番差別されている国で、女性の金メダリストが、世界でトップクラスに来るのであろうか。世界の女性差別のない国と言われている国が、金メダルが多いわけではない。アイスランド、ノルウェー、フィンランド、スウェーデン、ニカラグア、ニュージーランド、アイルランド、スペイン、ルワンダ、ドイツ 。が上位10カ国。

 たしかに、世界基準で言えば、女性の国会議員や知事や市長の数は最低であろう。女性の社長や重役の数。校長や学長の数。こういう所も最低と言えるだろう。選挙で選ぼうが、能力で選ぼうが、日本ではなかなか責任ある立場が、女性に任せられないのだ。

 だから、先進国中最悪の女性差別国と決めつけられているが、私は少し違うと思う。差別がないと言っているのではない。確かに差別の側面から見ればひどい差別がある。日本の女性差別は世界からの視点だけで見られても、分析され切れない独特の民族性に基づくものと考えなくてはならない。そこを考えなければ解消がされない。

 姥捨て伝説があるが、爺捨て伝説はない。訳立たずの年寄はじいさんに決まっている。役立たずの頑固爺ほど困るものはない。本音としては大いに捨てたくなるだろう。所が家督を譲ったとしても、隠居はそれなりに尊敬される一応の立場がある。

 桃太郎伝説ではじいさんは芝刈り、にばあさんは川に洗濯である。洗濯に言ったついでに桃を拾ってくる。実に役立つ。芝刈りはエネルギー確保である。洗濯は身の回りの生活である。生活することが何より重要だったのだ。何故か日本の民話はお爺さんやお婆さんが主役のものが多いのが特徴なのだ。

 社会的な役割を終えたものが、子供や異界のものと関わることになる。何故、お父さんとお母さんと一緒にではないのか。日本の家族制度に関わってくる問題である。お母さんやお父さんは、家督というものがあり、お爺さんが家長なのだ。

 家族制度の問題に虎と翼は触れていない。ここに突っ込んでいかないと日本の女性差別の問題は見えてこない。今ではおじいさんやおばあさんの居る家族は珍しいことだろう。多くが核家族である。私達の年代の多く家庭にはおじいさんやおばあさんが居た。

 いよいよタイトルバックから話がはずれてしまったが。ともかく魅力的なタイトルバックなのだが、一つおかしいなと思うところがある。顎の下の影の色である。これが少し濃い。顔の表情を強調するために影を意識しすぎたのだろう。唇と同じくらいの色にしている。絵としてはもっと弱い方が良い。場合によってはないほうが良いくらいだ。

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225 水彩画 日曜展示

2024-08-18 04:49:20 | 水彩画
225 水彩画 日曜展示







541「崎枝からの於茂登岳」
2024.8 中判全紙








542「しげみ」
2024.8 中判全紙







543「ギンネム」
2024.8 中判全紙


 今週はかなり苦労して制作した。2点が途中までで完成に至らない作品があり、それに手こずり、3枚になった。絵の前で手が出ない時間が長かった。暑すぎてアトリエカーの中に居ることすら難しいと言うこともあった。そんなことも言ってられないのだが。

 ギンネムを描いてみている。なかなか面白い木だと思う。新しい事をやると絵に時間がかかると言うこともあるかもしれない。ギンネムの表現にまだ戸惑っているかも知れない。これからもギンネムは気になるので、しばらく出てくるような気がしている。

 そう紙を変えたと言うこともある。アルシュの850グラムという堅くて厚い紙を使っている。これがなかなか面白い紙だ。滑って描きづらいと言うこともある。はっきりした表現になるようだ。フランスの水彩紙と言うよりアメリカの水彩紙のようだ。


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色彩には3つある。

2024-08-15 04:54:15 | 水彩画


   キャロットタワーに展示して貰っている作品を新しいものに変えた。季節毎に変えようかと考えている。

 絵を描く上で、色彩には3つの考え方がある。一つは固有色と言われる、そのもの自体が持つ色を求めるという考え方である。本来色は反射しているものだから、そのものが反射する色彩と言うことなのだが、そもものの本質をあらわすような 色彩という考え方。

 ものそのものが発するような色という意味で固有色という考え方がある。印象派が色というものは光で在ると、分析的に色を考えた事への反動のような光の見方なのかも知れない。ものには宿る色彩があると考えた方が、ものの実在に迫ることが出来る。

 そして2つめが自然の色である。自然界にある普通の色である。写真で撮影するような、日常的に見ている色彩である。特別に絵を描くという眼で見ない色彩と言っても良いのかも知れない。ありのままの自然の色ということが、科学的にあり得るかは別のことである。

 最後の3つめが絵の具の色である。絵の具毎に顔料から作られた素材にある色である。現代では塗料の開発が進み、大半の顔料は顔料会社が生産する。見ている対象の色ではなく、画面の上に置かれる、絵の具という材料としての、意味を伴わない色見本のような色のことである。

 絵画を考える上で、色彩をこの3つの内でどのように考えて使っているかは重要なことになると考えてきた。赤い薔薇を描くとしたときに、赤い薔薇の花びらとして描くのか、赤い色をその場所に置くのか。赤い色に伴う自分の思いを託すのか。絵を描くという場合そうした違いが重要になる。

 多くの画家は固有色と言うことを意識した。薔薇の赤には薔薇の赤ならではの色彩があり、その薔薇の赤の本質を表わす色に迫ろうとした。しかし、マチスに至ると、赤は絵の具の赤であり、服の赤も、薔薇の花びらの赤も赤い絵の具の色としてしか見ない絵が出てくる。

 花びららしい質感を伴う赤と言うような固有色の意味はない。あくまで画面の上で他の色との関係で、その絵の具の赤が適切に置かれるだけである。赤に意味は無く、赤い色面の形と位置と大きさが、他の色との関係の中で決まってくる。と言うのが私がマチスを評価している、側面である。

 というのはマチスは実は多様な画家で、様々な絵を描いているから、割り切れない絵も多いのだ。多くの人が評価するのはおしゃれなデザイナーとしてのマチス出ないかと思う。しかし、このマチスの色彩を科学的な客観性の中で見ようという試みが、絵の結論のようであったのだ。固有色の時代は個別性の問題である。

 近代絵画が自己表現である以上、色彩はあくまで主観的なもので、客観性などいらなかったのだ。私が見ていて、何かを感じる薔薇の赤が重要で、その赤に自己を投影し、薔薇の赤に自分の世界観の表現に繋げようとしたのだ。梅原の薔薇もそういう赤である。

 誰もが見る自然色である薔薇の赤から、抜け出ようとしたのだ。所がマチスが、その自己表現としての薔薇の赤から、客観性のある、いわば科学的に割り出せるような、言葉に置き換えられるような、数値で示せるような、素材の赤こそ絵画の基本要素だと当たり前の主張をした。

 このことで、絵画は様相が変り、自己表現から絵画は離れ、自分の思想哲学を、色彩の組み合わせで説明のようなものに変った。この意味の説明の仕方が、いわばデザイン的になり、絵が人間によって描かれるものから、コンピュターが描くものに変化をしたとも言える。

 確かにそうなのだと思うのだが、そういう断面からだけマチスは考えられない複雑性を持っている。いくつもの思想を持った人間が、様々な角度から絵画を分析し、絵画というものを探ろうとしていたのだろう。そうして絵画を分解したことから、20歳の私はそこから始めることが出来ると考えたのだが甘かった。

 この絵の見方は単純に整理しすぎていて、こういう方角が主流である事は間違いが無いと思うが、こんな考えに収まらない多様な絵画を存在させようとする努力がある。しかし、マチスの登場はここから次の画家は出発できる幸運に居ると思われたのだが、実はマチスの絵画は結論で、ある意味発展性がなかった。

 マチスの影響は世界中に及んでいるが、マチスを超えるような絵画はついに現われることなく、むしろ絵画が失われる時代に入り込んでいった。そして絵画は見るものという意味を失い、制作をするという意味に特化してきたと言って良い。それが、私絵画の時代である。

 描く人には大きな影響を与え続けている。絵画を見る人は実に多くなったわけだが、その見る対象は過去の絵画である。現代の絵画はいわば、バンクシーに代表されるように絵画として、鑑賞する価値は失われている。ゴッホの絵画に感銘する人であれば、失望する絵画ばかりである。

 それはIT時代と言うことなのだ。絵画はいくらでも再現されるし、希少性というものは失われた。モナリザと同じとしか見えない複製を作れる時代に入った。音楽がレコードが出来て、演奏家全盛になり、クラシックの作曲家がほとんどいなくなったのと同じことが、絵画でも起きているのだ。

 私はマチスの考えてくれた色彩の考え方で絵を描いている。例えば海を青で描く時に、海だと思わない。青い色面だと思う。緑で草原を書いているのに、草原だとは考えない。見て移していることはない。ただ、画面上に自分の考える世界を構成している。

 構成するに際して、ものの意味よりも、色と調子に依存している。海であるということよりも、こんな調子の青がここに在ることはどのようなことになるのか。自分らしいのではないかということが、制作の判断の羅針盤になる。

 それが「私絵画」と名付けた絵の描き方である。自分の中にある自分らしきものは、色の組み合わせと色の置き方調子にによって出来上がると言うことになる。人間は見ていると言うことで、世界を形成している。観ている世界は万人似ているようで、まるで異なるものだ。

 この自分らしきものが観ている世界に特化して行くことが自分の絵を描くと言うことになる。自分が見ている。と言うことは複雑で、見たいものを見て世界を形成している。この蓄積された記憶を、色彩によって再現することが、自るンの世界観の表現になるのではないかと考えている。
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224 水彩画 日曜展示

2024-08-11 04:26:40 | 水彩画
224 水彩画 日曜展示





536「のぼたん農園」
2024.8 中判全紙








537「アメリカハマグルマとギンネム」
2024.8 中判全紙








538「海へ続く草地」
2024.8 中判全紙







539「8月の草」
2024.8  中判全紙








540「空と海」
2024.8 中判全紙





525「のぼたん農園」進めたので再掲
2024.7 中判全紙

 
 石垣島の真夏である。過去にない暑さが続いている。初めて暑いと思いながら絵を描いている。それでも風が時々通り抜けるので、絵を描いていられる。夏の強い色が素晴らしい。どこに進んで行くのか、皆目分らないが、出てくる絵に従っている。

 絵の前に座ったまま2時間ほど何も出来ないことが出てきた。前はこういうことは無かった。絵が始まらないことがある。それでも始まってしまえば、絵に従うことになる。一日で終わらないこともある。大抵は一日で描けていたのだが、最近は少し時間がかかっている。それは描き始めるまでの時間かも知れない。

 最後の絵は少し前に描いた絵なのだが、アトリエに並んでいて、気になりだして続きを描くことにした。何か先が見えたような気がしたので、続きを描いてみた。絵は気づくことがあれば、いつでも続きを描くことにしている。絵はやれるなら、やるほど自分に近づくと思っている。

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223 水彩画 日曜展示

2024-08-04 04:30:56 | 水彩画
223 水彩画 日曜展示







532「しげみ」
2024.8 中判全紙







533「アメリカハマグルマ」
2024.8 中判全紙 






534「ブーゲンビリヤ」
2024.7 中判全紙







535「アメリカハマグルマ」
2024.7 中判全紙


 強烈な陽射しの夏である。眼が開けていられないほどまばゆい。石垣島の夏の空間は、素晴らしい世界を見せてくれている。この世界に自分がどのように反応しているのだろうか。だだそのことだけに向かって絵を描いている。この1週間の結果がこの4枚の絵だ。

 絵を描くことはおもしろい。これだけは確かだ。新しい絵が出てくる。新しい自分がまだまだ現われる。それが自分の内なるものに向かう正しい道かも分らない。ただ、ひたすら描いている。日々の一枚をと思い、描くのだがどうしても2日で一枚ぐらいになってしまう。

 仕方がないとは思わない。残念だと思っている。もう少し頑張りたいとは思うのだが、何としても1日で絵が終わらない。絵が終わると言う感じがあって、実は最後の535番の絵は終わりまで行っていないかも知れない。そう思いながら、写真を写した。

 



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絵を描くことで探している自分とは

2024-07-31 04:32:46 | 水彩画
 

 絵を描くことが好きで、描きたいときに描きたいだけ描いてきた。それがだんだんに日々の一枚という具合に、描く時間が捻出できれば、ほぼすべての時間絵を描くことになっている。それでもまだ描きたい、という気持ちは尽きない。尽きないどころか以前よりもさらに描きたくなっている。

 年をとり残り少ない時間と言うこともある。何かもう少し行けば、見えてきそうな自分の絵がある気がする。絵は自分の内部にある、感じたり考えたりしている、自分の中の世界観や哲学らしきものを、画面として表そうとしているものだ。考え方が、外界に反応している。その様相を画面に描くものなのだろう。

 見るということが自分の大半を形成しているのだろう。特別な景色を見て、人生が変わるほどの感動をするという人もいることだろう。何かを見るということが面白いのだ。稲を見ていてどれほど見ていても飽きない。見ているということは稲の面白さなのだろうが、見ている側の見え方の深まりで、変化が起こる。ある時実態が見えるということが起こる。この体験が見ることのおもしろさだ。

 よく聞く事例はゴッホの絵を見て、自殺を思いとどまったという人の話である。自殺をしようと考えた人が、最後にゴッホの絵を見ようとひまわりの絵を見に行ったそうだ。ゴッホの絵を見て、突然涙があふれ出て、涙が止まらなくなった。何故だかわからないまま、泣き続けることになった

 それで死ぬことをやめたそうだ。泣くことで取りつかれた死から、解放されたのだろう。ゴッホの絵にある何物かが見えたのだろう。見ることの深度は常に異なる。この話は渋谷にあった洋画人体研究所で一緒にクロッキーをやっていた、絵を描く友人から、体験を聞かせてもらった話だ。

 ゴッホの絵の力ということが実際に人を変えた事例である。ゴッホの絵には深い世界観にもとずく、真実が描かれている。絵画に表された世界観ほど、直接的に見る人に何かを与え得るものはない、と考えている。ただ、ある絵が特定の誰かに、しかもその誰かのある特別の心境の時に、出会うことで、絵とみる人の間に、共鳴関係が奇跡的に起こる。

 それは人間の見るという能力は、読んで理解するとか、触って理解する。食べてわかる。それよりも見る世界は多様で深い上に、直接的なものだからだろう。見えているかのように感じるものも、実は何も見えていないことが普通なのだ。見る側が深まることで初めて見えるということが多いものだ。偉そうに言うが、絵は見る能力がなければ見れないものなのだ。

 見る喜びというものがあるが。その見る喜びに勝るものはないと言えるほどのものだ。本を読むとか、回峰行をするとか、座禅をするとか、様々な努力方法があるが、ただものを見るという能力を研ぎ澄ますためには、普段の見る努力以外にない。ランチュウの幼魚の頭の煙は、その道の専門家にならなければ見えない。

 人間は生きている以上何かを見続けている。寝ているときも夢を見ている時間さえある。道元の禅は半眼である。目に映るが見ていない状態。見るという意識のない状況でも視覚には見えている世界がある。心眼というようなものもある。記憶の世界を思い起こして、記憶の映像を見るということもある。見ることの能力を深めることが、絵を描く努力なのだ。

 私自身の場合、見ることは考えること以上に、自分というものを作り上げているものである。その自分が見た世界を表そうというのが、絵画だと思っている。だから写真のような絵を描く人の見るは写真のような見るなのだろうと思う。なんと機械的でつまらない世界しか見ていないものかと思う。

 見ている世界は広大である。そして深淵である。それを切り取り小さな画面に切り取るのだ。写真のようであるなら、実際にそのものを見た方がいいに決まっている。宇宙が画面という小さなものに収まることができるのが絵画なのだ。

 モナリザを見て、すごい絵だと思うことと、実際のモナリザにお会いするのとはまるで違う。ダビンチはモナリザを見て、その人間から感じられるすべてを描こうとしたのだろう。しかし、どれほど正確に描こうとも、モナリザその人を見る方が面白いだろう。永遠には見ることができないから、まるで見ているかの如く表したかったのだろう。

 しかし、AIで3次元映像を使えば、いつでも肉眼以上に明瞭にみることが可能になる。ダビンチが今いるとすれば、そうしてモナリザを仮想空間に存在させたかもしれない。そういうことをどこまでしたところで、モナリザという絵画の本質を明確にすることはできない。

 そこに自分というものがモナリザに同化して、見ている存在になるということがある。自分が見たいモナリザというか、千変変化するモナリザのすべてを一枚の絵に凝縮で来るのが絵なのだ。絵はリアル世界を映しているものではなく、自分が見て、自分の内なるモナリザに総合されたものを表す。絵画に描くことで総合しているものだ。

 内なるモナリザは記憶されたモナ・リザでもない。理想化されたモナ・リザでもない。ダビンチのモナリザなのだ。つまり、モナリザを借りて、ダビンチという人間がその背後に存在している。私がモナリザを見て驚くのはモナリザではなく、描いたダビンチの眼が見る私を凝視しているかのようなのだ。

 モナリザを描いたはずが、いつの間にかダビンチという人間の本質を表す画像に変わっているのだ。ここが驚くべきことだし、絵画がここまで可能なのかと教えられたことなのだ。モナリザという絵を見ることは、このように人間を見る特別なダビンチに出会うことができる。

 モナリザを直接見ることや、映像を見ることや、AIで3次元再現をしたとしても、全く再現できない、絵画という表現方法の世界観があるのだ。ダビンチほどの知性の人だから、実は精神的自画像をモナリザを借りて、描いている可能性は高い。少なくともモナリザとダビンチは一体化している姿なのだ。
 
 ダビンチから自分の絵の話に飛躍することは、あまりに不遜なことではある。それでもつながってはいる。子供のころから見続けてきた、目に写り惹きつけられてきた風景の中に、自分の世界観を感じる。間違っている自然などない。特別な自然もない。あるのは自然というものの総合なのだ。

 無垢の自然のことではない。自然に対して人間が生きるために手入れをしてきた姿に、感銘を受ける。自然は常に自然の側に戻そうとしている。人間は自然と折り合いをつけて、自分の生きる食料は生活空間を作る。この里地里山に残された、自然に対する人間の痕跡に惹かれるのだ。

 モナリザの姿に託したものと同じように、私の中には風景にしか託せない何かがある。何故、風景の中に自分の世界観が見えるのか。空間の在り方に、空間の色彩の総合の中に、自分という感じが見えてくる。その風景に感動している自分は、実は空間の広がってゆく感触に、吸い込まれて行っている。色彩の調和と躍動に心躍らせている。

 この風景からあふれてくる、絶対的な世界の感じは、絵に表現する以外に表現の方法がない。残念なことに、私が見ている世界を絵にはまだできない。目は見ているのだから、もう少しである。自然に少しでも近づけることができればと思うのだが、絵を描いて居る時にはそういうことも考えたこともない。

 絵に出てくるものはあふれ出てくるのであって、意図があってそう見えるように描いたものではない。それはゴッホでもダビンチでも同じだ。そうなってしまっただけのことなのだ。私は凡人であるから、あふれ出てくるように描けるわけではないのだが、少なくともそういう姿勢で描きたいと考えている。

 

 
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