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画家根津壮一先生

2024-10-29 04:45:50 | 水彩画


 三軒茶屋小学校の美術の先生が、根津壮一先生である。根津先生が小学校の時に私の絵を評価してくれたことも、絵を描くことが好きになった理由の一つだったことは間違いがない。この先生は教師としては問題があったとは思うが、画家としては、なかなか筋の通った良い絵描きだったと思っている。

 光風会展や日展で絵は何度も見せて頂いた。とても柔らかい家庭風景を描いた絵が印象に残っている。控えめな見えを切らない絵だと思った。なぜこんなに穏やかな絵を描く人が、あれほど厳しく、激しい小学校教師をしていたのかと想像もできなかった。

 小学校卒業以来特に交流はなかったのだが、渋谷洋画人体研究所で久しぶりに顔を合わせた。先生から声をかけて頂いた。小学生の私をよく覚えておられたかと驚いた。それからは毎週お会いして、画家としての先生の姿を見せてもらえることになった。

 帰りに喫茶店によって、先生の素晴らしいデッサンを見せて頂くのが楽しみだった。私のデッサンも見てもらった。デッサンは好きだったし、ずいぶん描いて居たので、それとなく自信はあったのだが、根津先生の方が正直なところ上だった。いいデッサンを描かれる画家だった。

 先生の描く絵は実に穏やかなものだった。優しいまなざしのデッサンである。しかし、人間根津壮一は激しい、苦渋に満ちた人だったと思っていた。先生が小学生の私の絵を評価してくれた一つの理由は、私の叔父が芸大の教師であることを知っていたからだと思う。大した絵を私が描いて居たとも思えない。

 それで展覧会に出品してくれて、賞をいただいたことが何回かあった。全く絵に自信もないし、何を描いているのかという自覚はなかったので、何故賞なのという感じであったので、得意にはならなかった。それでもなにかと絵を描くようになっていった。

 好きなことを探せという口癖の父だったから、それなりに評価されている絵が、好きなことのだと思い込むようになったのだろう。好きというのであればベーゴマとか、鶏の方が好きだったと思う。しかし、それでは親が喜ばないということは分かっていた。

 根津先生の最初の授業は、今でもよく覚えている。5年生の一学期である。日展で受賞されたすごい先生であるということと、すぐお怒りだす恐ろしい先生だということは、学校中で評判だった。何が始まるのかと、がちがちに緊張していた。

 まず紙に筆で、水をかけて濡らした。びしょびしょに濡らした。その紙を机に置くとくるくると丸まった。この通り紙というものは濡れれば、丸々ものだというのだ。だからどうとは説明がない。ただこれから紙にみんなは絵を描くのだが、濡れれば丸々ものであるということを覚えておきなさい。

 こういう始まりだったのだ。丸まるから、画鋲で止めて描けというような意味ではないらしかった。どうも紙という物に絵を描くのであるということの意味を、分からなければならない。絵は絵空事だというような意味だったかもしれない。

 小学生にはかなり難しい話だが、子供向きの話はしないという覚悟のようなものを感じた。画家として生徒に語ろうとしていた。眼光が鋭く。常に怒りが感じられた。ピリピリしているのだ。よほど苦悩を抱えているということは心心に感じられた。

 それから様々な絵を描く授業が始まった。そのころルオー展があり見に行った。ルオーを見て以来厚く塗りたくて仕方がなかったのだが、水彩絵の具ではそれほどの厚塗りはできなかった。しかし、ずーと厚塗りを続けていたのだが、水彩画を習っていたという人が転校してきた。これで厚塗り派は一気に人気がなくなった。

 次の週の授業は校外での写生だったのだが、家の屋根と庭を描いた。さっそく薄い水彩画風の風景を描いてみた。ところが、確かにそれなりにきれいな絵にはなったのだが、なんとも面白くなく自分向きではないと思い一回でやめた。

 その絵の上手だった人は新宿で画廊をされていると同窓会で教えてもらったので、いろいろのつてで、探したのだが見つからなかった。今は名前も忘れた。あったところでどうしようもなかったのだが、それほどその薄塗りの水彩画が忘れ難かったのでそことを伝えたかったのだ。

 根津壮一先生とは渋谷人体洋画研究所がなくなるまで、お付き合いが続いたが、研究所がなくなり、それっきりになってしまった。しかし、そのころ光風会に絵があるということは知っていたので、絵は見せて頂いていた。優しい家庭風景だった。

 なぜあれほど、荒々しい人からこんなにやさしい絵が出てくるのかが、いつも不思議に思えた。荒々しさは晩年も変わらなかった。ある時、山梨県立美術館の収蔵作品を調べていた。大叔父に当たる桑原福保さんが境川村の出身で小学校に絵があった。今でもあるのだろうか。

 山梨の出身の絵かきで、日展作家でもあった桑原福保さんの絵が山梨県立博物館にあると聞いたのだ。県立博物館にピカソの絵があれば、おじさんがピカソからもらったものだ。この母のおじさんは母のことをとてもかわいがってくれた人だった。

 桑原おじさんのところを子供のころ訪ねた。甲府城址のそばで画塾をされていて、子供たちに絵を教えていた。たくさんの子供がいた。と言っても私はもっと小さかったのだが。母がたぶん私のことをおじさんに見せに行ったのだと思う。とても暖かく接してもらえたことが忘れられない。

 人柄がともかく素晴らしい人で、私にも優しくしてくれたのだが、軍に徴兵されていた時に、広島の原爆後の片付けなどの処理をして、二次被ばくをして55歳の時がんでに亡くなった。戦後すぐに生まれた子供は、死産だったのだが、それは真っ黒な赤ちゃんだったという話を聞いている。

 その桑原おじさんのことを調べていたのだ。すると根津壮一という名前が偶然あった。根津荘一韓国1916ー1993とあった。どういう意味化もすぐには分からなかったが。韓国人と考えていいのだろう。そいう話は聞いたこともなかったのだが。そうだったのかという思いはある。

 在日韓国人としての日本の戦後の生活に、苦しんでいたのではないかと思う。少額教師時代の厳しい様子の意味が分かった。その暮らしのいらだちのようなものが、教師としての荒々しい態度になっていたのではないか。まだ戦後10年。根津先生も教師をしながら教室も開かれていた。

 まだあの優しい絵の意味は私には今も理解できていない。ごく普通の家庭風景なのだが良い絵だった。光風会の絵も日展の絵も全体にあまり好きではないのだが、根津壮一先生の絵はいいと思った。先生の手がごつごつで、どれほど絵を描いて居るのかと思うほど油絵の具がしみていた。それだけは印象に残っている。

  
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275 水彩画 日曜展示

2024-10-27 04:51:16 | 水彩画
275 水彩画 日曜展示








587「三津富士」
2024.10 12号 








588「篠窪秋」
2024.10 中判全紙








589「諏訪の原公園秋」
2024.10 中判全紙









590「山岳」
2024.10 15号 和紙









591「マゴの森」
2024.10 15号







592「朝焼け」
2024.10 15号 和紙


 小田原で描いた絵である。今回は稲刈りが終わって、あまり農作業はなく、割合絵を描く時間があった。小田原で絵を描くと色おとなしくなるようだ。色の感覚が反応しているのだと思う。それだけでなく、風景を見る気持ちも変っている。

 今思えば時間はあったのだから、思い切って山梨に行けば良かったのだが、何故か行かなかった。家で描いたり、久野の周辺で描いていた。その結果が今回の絵だ。三津浜がこのように見える場所は実際にあった。魚がくるのを見張るような場所ではなかったかと思う。今は木が茂って見えなくなってしまった。

 和紙の二枚の絵は長野に行ったとき描き始めて途中になっていた絵だ。前から気になっていて、今回進めてみた。和紙は確かに良い調子がでるが、その調子に依存して描くことになりがちだ。自分の意志が出てくるまで描くのがなかなか難しい。和紙に水彩も良いものだと思う。

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ロスコ 触覚の絵画藝術

2024-10-21 04:19:52 | 水彩画


 ロスコの作品は視覚的なものを触覚的なものに変換して表現した藝術である。佐倉市郊外にあるDIC川村美術館にロスコを見に行った。朝一番に行ってすいている時間にゆっくり見ようと出かけた。京成佐倉の駅から8時50分発で、美術館行きの無料バスがあり、30分くらいかかった。美術館は9時半からである。

 驚いたことにバスは満員であった。京成佐倉から、JRの佐倉駅によって行く。と言ってもすでにほとんど座っているのだから、乗れたのは補助席の人だけである。かなりの人を残しての出発である。その理由は閉店セール中だからだ。12月末日で閉館と言われていた。

 それが3月末日に延期された。よくある閉店商法のの繰り返し手法である。次は美術館は閉館しませんになってほしいものだ。入場料は1800円、相当の入館者数だ。これなら、香港の物言う株主も、閉店セールを時々やれと今度は言うかもしれない。私がロスコを見ていた間も、人の波は途絶えることなく続いていた。

 帰りのバスで一緒になった人も、現代美術はなんも分からんが、なくなると言われたら、一度は見ておこうと思った。しかし、やっぱりなんだかわからなかったということである。そう簡単にロスコが分かるはずはない。私は何しろ、50年も分からないが続いているのだ。

 今回はどうしてもわかるつもりで佐倉まで足を運んだのだ。その覚悟が良かったのか少しわかった。それがまず、ロスコの絵は感触の視覚化ということだった。実はこの美術館には、ロスコが分かるための仕掛けがあったのだ。部屋に入ると暗闇なのだ。

 外の明るい空間を通り向けて、突然真っ暗の部屋に入る。足元を気を付けてくださいという、案内係の注意がまずあるのだ。足元真っ暗で見えない。転ぶ人もいるはずだ。転んでロスコの絵に、どんぐりころころでは困るわけだ。目の弱い私にはともかく暗い。

 この暗さではどうやって書いたかが分からないではないか。怒りが込み上げてきた。しかし、怒ってみたところで見えないものは見えない。この美術館の学芸員に文句を言おうかと思ったくらいだ。ロスコがこんな暗さを指定したはずがないだろうと。

 しかし、ともかく足元が危ういので、中央に椅子があるのでそこにたどり着いた。椅子に座って気を取り直そう。石垣島から飛行機で来たのだ。まあついでがあったのだが。ため息をつきながら、座っていると暗闇の中にボーとロスコの絵が浮かんでき始めた。

 この調子ならば、30分ぐらい座っていれば、もう少し見えるかもしれないと思い直して、じーっとわずかづつ浮かび上がるロスコの絵を見ている。いつの間にか座禅をしているような気分になっている。そうだこれは半眼だと気づく。見ていないで見る。見ていて見ない。肉眼以外のもので見る内的世界。

 視覚的にみているロスコの絵が、自分の心の中の画面になり始める。一種の禅がなのか。いや違う、そうだこれは瞑想絵画と呼べばいい。ロスコの精神の絵画世界を、絵画哲学を表している。ロスコの世界観が見えてくるぞ。徐々に見えてくる仕組みが、ロスコの世界観に誘うのだ。

 ここの学芸員は凄いぞ。これはお礼を言わなければ。早まらないで良かった。瞑想室「ロスコ」だ。ここに来て絵の前でロスコの絵を見えない見えないと凝視することだ。だんだんロスコの静かだが、苦渋に満ちた世界が広がる。何だろうかこの悲しみの深さは。苦しいだろうな。いつの間にか、ロスコに引き込まれ、共感の気持ちが湧いてくる。

 この美術館は最低1柱(おおよそ1時間線香が消える間)は座らなければだめだ。目が慣れて見えるようになるにはそれくらいの時間がかかる。そのころには静かな心になって、ロスコに向かい合う。大半の人は絵が見えないのだからすぐに出てゆく。現代美術は分からんもんだ。絵を飾って電気を節約か。閉店セール中だから仕方がないか。ぐらいのものだ。

 次第に浮かび上がった絵は巧みで微妙な色調で出来ていることが分かる。深く暗いほぼ黒である。青や茶色。色であることをやめて明度だけに変わるような下地がある。その上に赤、や茶が複雑な色で置かれるのだが、その色が置かれた、下地のほぼ黒の上で、浮かび上がる。

 浮かび上がりながら、色であるはずの赤や茶が、モノトーンの明暗になり、色の意味を失う。色が消えるに従い、色が触覚に変わる。色が触り心地を、心に直接の肌触りになる。色という間接的な意味を失い、触覚という感性としてじかに伝わるものがある。

 黒の背景と思った空間は色を伴う矩形を見ているうちに、矩形が下地となって、黒い矩形が意識され、画面が行きつ戻りつし始める。揺らぐのだ。意識がどちらか寄りにいることがなく、行きつ戻りつ、揺らぐ、ゆすぶられる、動かされる。

 明るい部分は、目を閉じるとある種の黄色の残像になって、眼の底にボーっと不思議な姿を現す。目を見開いて居るのに、残像と背景と色のある矩形が、見ようとしても定まらない。なるほどこれをロスコが描こうとしたものかという合点がいく。

 しかし、合点は行ったのだがいったいこれをどう分かればいいのだろうか。この絵の声は不安だ。いたたまれない内部世界の深い闇だ。自分の解明できない心の中の闇を描こうとしている。その為に以前の絵に比べて、絵は荒くなり、雑な仕上げになる。たぶん仕上がりを重視しすぎて、絵が作り物になることを畏れたのだろう。

 絵はロスコという人間が描いた作品である、ということがわかるものでありたかったのだ。この仕上げの粗さは梅原や中川一政の粗さに通ずるところがある。こんな時点でやめたことのなかったロスコにとって、極めて危険な変容だったに違いない。ロスコはこれまでのロスコは工芸品のようにな仕上がりをしている。

 「照度の低さ」は、ロスコが<シーグラム壁画>を描くために借りたスタジオに由来します。スタジオの照明は、主に天井付近の小さな窓から入る外光のみ。ロスコは照明器具で天井を照らすことはあっても、画面に直接当てることはなかった。描いたアトリエに合わせて設計して展示した。

 とうえっぶに説明があった。しかし、描く場所がこれほど暗いわけがない。アトリエに差し込む天窓の光は天上の光が差し込むようだったはずだ。その光で描いて翌日来ると、雨の日で絵が暗闇の中で浮き上がって見えたのだろう。

 ここまで暗くすることは、確かに制作意図に従うことかもしれないが、果たして絵画としてはどうなのだろうか。問題点を隠すように暗いともいえる。私が美術館を設計するならば、天窓だけにする。私のアトリエはそうだ。この絵の以前のロスコの絵画は確かに繊細で工芸品的な仕上がり。

 どれほど明るい場所でも、そう見えるように描かれている。ある意味暗くないと意図があらわせなくなった可能性も高い。大きすぎる点。アクリル絵の具を使った点。油彩のような調子の美しさが失われ、即物的な表現に変わっていると思われる。素材としての美しさがかけている可能性が高い。そのことで現れてくるものがあるのだ。

 ロスコの絵画は視覚的なものを内的な世界として表すために、触覚を重視して、表現をしたと思われる。そのことに気付いたのは、八重山の織物を見て居てのことだ。織物は感触が需要になる。肌触りが良い。良いと感じさせる感触がなければならない。

 そのために苧麻や芭蕉の繊維はより細い糸が必要になったのだ。新垣幸子さんや平敏子さんの作品の色彩が糸が繊細に織られてゆく過程で、独特な深い肌触りの感触を作り出す。その感触に製作者の意識が現れる。世界観が表現される。織物は感触で世界観を表現するものだと思う。

 その時にロスコの絵画が浮かんだのだ。ロスコを見に行かなければと思い立ったのもそのことに由来する。視覚はものに触れたような味わいも含んでいる。その触れたような感触の中に、自分の内的な世界に通ずるものがあるのではないかというのが、ロスコの探求だったのではないか。
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274 水彩画 日曜展示

2024-10-20 04:46:48 | 水彩画
274 水彩画 日曜展示







582「ヤエヤマヤシ」
2024.10 中判全紙








583「ヤエヤマヤシ」
2024.10 中判全紙








584「ヤエヤマヤシ」
2024.10 中判全紙








585「とうまた田んぼ」





586「牧草地」
2024.10 中判全紙



 ロスコの絵を川村美術館でゆっくり見せてもらった。30分以上見ていないとわからないように出来ている。真っ暗なのだ。目が慣れるまで何があるかがわからない。あれほど暗い展示は初めてだ。ロスコの絵のことは改めて書くことにして、自分の絵の方角を考えさせられた。

 自分の絵は結局自分の内なる世界が画面に現れる。そこにある空気感が自分なのだ。いい加減な自分であれば、いい加減な世界になっていなければおかしい。では今の自分がどうかと言えば、のぼたん農園を作ることに熱中している。絶望的なのだが、面白くて仕方がない。

 具体的にはのぼたん農園の説明図を書いているわけではない。のぼたん農園に広が来る空気感が、絵に反映しているのだとは思う。当然そう言うことにならざる得ない。意識しようがしまいが、夢中になっていることが絵に反映しないわけがない。絵を見てそうなんだなと改めて思う。
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自給生活の楽しさとAI革命の希望

2024-10-18 03:54:11 | 水彩画


 これからの人類の生き方で重要になるのは、自給自足生活である。それが出来るだけの条件がコンピュターAI革命によって整いつつある。蒸気機関の登場に始まる産業革命によって、人類は肉体労働に支配される世界を抜け出た。コンピュターAI革命によって人間は知能労働に支配される世界を抜け出ることになる。

 頭が良い人間が、頭の良くない人間の上位に居て支配する。現代社会の差別状況はおわる。人間はAIによって能力差別の世界を抜け出ることになる。能力差別は、人間の最後の差別である。末期的な資本主義の競争が世界を戦争の時代へと進めている。世界戦争が回避されるとすれば、AIの急激な成長にある。

 競争をしなくとも人間は生きて行ける世界が、AIによって来る。人間が生まれてきて死ぬと言うことには何時の時代も変わりは無い。その生きている時間を一人一人が充実させて生きる事ができる時代が来ると言うことだ。肉体労働に縛られる時代を機械が克服してくれた。一人の人間が考える限界をAIが突破してくれる。

 能力競争の時代が終わる可能性が出てきたのだ。能力競争がなくなるのであれば、人間は自分が十二分に生きると言うことに、すべてを費やすことが出来る。自給自足に生きる事が誰にでも可能になる世界が、そこまで来ている。人を押しのけて、蹴落として生きる必要がなくなるのだ。

 絵を描いて生きて行くという純粋な喜びに、邁進できることになる。過去の時代は絵など描いていては生活が出来ない。と言うのが普通のことだった。仕方がないので、絵画を商品として考えて、売れる絵を描くことで、絵を商品として、販売して生きて行くことになる。

 もう少し前の時代であれば、支配階級に取り入って、お抱え画家になる。しかし、当然のことだがそれは競争に勝ち抜いた一部の人にだけ許されたことだ。絵が藝術とは言いがたい時代の話になる。絵が藝術として自立したのは、印象派以降である。

 それでも、純粋な画家ほど生活は出来ない。絵を描くと言うことを純粋に追求するつもりだった人が、いつの間にか商品としての絵画を描くことに翻弄されることになる。そして、商品としてのランクで、社会的な評価や地位が決まり、栄誉欲までが絵を描くと言うことに伴うことになる。

 絵を描くという、人間が生きると言うことに直結した純粋で素朴な喜びが、資本主義の価値観に巻き込まれ、醜悪な形でゆがめられて行くことになる。これが資本主義末期の商品絵画となり、異様で、即物的で、大衆的な絵画が持てはやされ、藝術の終焉になる。

 それは、歴代の日本の文化勲章受賞の絵画作家を比較すれば、分かる人には明瞭に分ることだ。藝術とは呼べないようなものが、芸術と称せられる時代が来てしまった。そして一時代が終わる。この次の時代はAIコンピュター革命時代である。人間が出来る事ややるべき事の意味が、明らかになる時代に転換する。

 音楽にレコードが出来たことで、大きな変化があったように、絵画もAIの登場で描かれた結果としての絵画よりも描くことの方に重点が移る。いわば絵画のスポーツ化と言えば分りやすいのかも知れない。確かに世界新記録を、最高水準のものを目指すのもあるのだが、そうで無いからと言ってスポーツをする喜びを味わっていないとは言えない。

 自己新記録を目指してスポーツをする。同じように絵を描くと言うことにも自己探求としての私絵画がある、人間の根源に触れるような喜びの行為は必ずこれからも続いていく。絵画が商品経済から切り離される時代が来る。どれほどの名画も、簡単に再現できる時代が来るからだ。

 装飾品としての絵画は、精密な複製によって充足されることになる。我欲の強い人間はその時も相変わらず版権がとか、制作者の権利はとか言いつのるだろうが、AI革命はそうした、人間の個別の欲求を無為なものとする時代を生むはずである。

 良いものは人類の誰もが共有すれば良い時代が来る。個別性とか所有欲などと言うものはどんどん薄まって行くはずである。となると重要なことは一人一人の十分に生きると言うことに集約されて行く。絵は描くという行為の深さがその人の充足に繋がるかどうかが問われる。

 それは人と較べるようなものではないだろう。あくまで自分自身が内に向かって深めて行くことになる。その新しい時代に描かれた絵画は、まだどういうものかは分らないが、それぞれ描いた人のものであり、自分の中から湧き出た描きたいという欲求で絵いた絵である。

 多分そうして描かれた絵が並べられる時代が来ると、それが競争を越えた時代の自己探求の絵画がどういうものなのかが見え出すことだろう。今の時代はまだ、商品絵画時代の末期と言うことなので、すでに動き出している、私絵画の時代が見えにくいことになっている。

 人間が行為する重要な藝術活動がある。そしてもう一つが自分が食べるものを作るという自給活動になる。人間にとって自分を作り出している、食料を作ると言うことは、生きる原点の確認になる。AIコンピュター革命で人間の働くという意味が、洗い直されることになる。

 洗い直しの原点に、自分の食べるもののことがある。食べるものがおかしければ人間もおかしくなる。食べるものが腸内細菌を作る。腸がおかしくなれば、精神もおかしくなる。良いものを食べるためには身土不二である。自給自足がその原点になる。

 食べることで生命を維持できる。食べるもので自分が作られている。それを自分の活動で生産してみる。その食料の生産によって、生きると言うことの意味を自覚する事が来るはずだ。どうすれば自分の食料を自分に相応しく生産できるか。

 これが次の時代の人間の生き方の重要なことになると考えている。それそれが自分の食料を作るためには、一日一時間の労働と100坪の土地があれば可能である。化石燃料を使わず、自分の肉体だけで働く。農薬も化学肥料も使うことがない。AI革命で、さらに簡単にできるようになるはずだ。

 食べるものを作ることに一度は戻るのだと思う。1日一時間健康体操のつもりで農作業をする。そしてこの簡単なことで、これで生きていけるという安心立命に至る。次の時代は自分の好きなことをして、生きる時代になる。AIコンピュター革命は人間が正しく受け止めることが出来れば、そうした時代をもたらすはずだ。

 自給生活には人間の根源に触れるような、深い感動がある。これでいいのだ。ニャロメ!と言うような何をやっても許されるような安心がある。そのためには自給技術の確立である。今のところひこばえ農法と行っても、期待するような答えがない。もう一息自分で頑張るほか無い。

 以上のように楽観で書いたわけだが、産業革命が原子力を生み出し、原爆を作り出し人類を危機に追いやっている。AI革命も同様なことになる。人間を滅ぼすさらなる危機を作り出す可能性も高い。これを良い方向に持って行けるのかどうかは、人間自身にかかっている。
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マークロスコーと川村美術館の閉館か縮小

2024-10-16 04:10:58 | 水彩画


 千葉県の佐倉にある川村美術館が閉館するという話を聞いた。功成ってしまった理由は川村美術館が財団法人化していなかったためだ。何故ずさんな経営方針だったのかと思うが、今更仕方がないことだ。企業美術館は上手く企業経営と切り離すのは必要なことだ。

 この美術館は株式会社DICと言う企業が所有している。問題はこの会社の物言う株主だ。美術館が赤字だから、作品を売り払い終わりにしろというのだ。何という目先しか見えない株主なのかと思う。安く買った絵が数十倍になった価値をどう見ているのだろうか。中国人の株をやっている人間の文化の浅さが浮かび上がる。
 
 DICの取締役会は同館について「保有資産という観点から見た場合、資本効率という側面では必ずしも有効活用されていない」との認識を示した。美術館だ当たり前ではないか。速やかに計画を実行に移すため、25年1月下旬からの休館を決めた。休館は3月末まで延期された。

 DICコーポレートコミュニケーション部長の小峰浩毅氏は、美術館の経営は「近年はずっと赤字だった」と話す。DICは23年12月期に399億円の純損失を計上するなど業績も厳しく、同12月には物言う株主として知られる香港のヘッジファンド、オアシス・マネジメントが大株主となっていたことが明らかになった。

 美術館は場所が不便で「見学している人よりも警備員の方が多い日が目立つ」と述べた。アシンメトリック・アドバイザーズのアナリスト、ティム・モース氏は、創業以来の取引先である印刷業界が縮小を続ける中で、DICが事業と無関係の美術品を所有している理由はほとんどないと断じる。 

 たしかに、川村美術館がDICの所有物であったとは、認識も意識もなかった。私はそうだった。その意味ではブリジストン美術館とは、大きな違いである。そもそもDICが美術愛好家の間で、評価が高くなったところで経営とは関係が無いことは事実だ。

 問題はこの美術館の所蔵作品があまりにも評価が高い点にある。多分川村美術館が作品を35年前に、購入したときにもロスコーなど高いものであったのは確かだろう。購入したのはもう少し後だった気もするが。それでもロスコーは近年評価がうなぎ登りだ。

 現在は購入時の数十倍に値上がりしていると思う。特にロスコーの評価はアメリカで制作した人という意味で、アメリカの投資家が着目しているのだろう。アメリカはお金はあるが伝統文化が浅い国だから、アメリカの作家に対して惜しみない投資をする。

 マークロスコーはラトビア出身の作家である。ユダヤ系の人で、父が反ユダヤの襲撃を受けることを恐れて、アメリカに移住した人だ。イェール大学へ進学した。大学では心理学を学び、ゆくゆくは法律家かエンジニアを目指していた。頭脳明晰なユダヤ系の人なのだ。

 2年の終わり1923年に彼は中退し、46年後に名誉学位を授与されるまでイエール大学に戻ることはなかった。 アメリカにはこうしたユダヤ系の人が沢山居て、米国の最高の知性となっている。人口の2%であるが、メタのザッカーバーグCEOや、スピルバーグ監督、アインシュタイン博士などがいる。

 ロスコーの作品を購入したという点に、河村氏の美術作品に対する見識があったのだ。私はロスコーの作品の本当のすごさを知ったのは、学生の頃ロスコーを模写したからだ。多分自殺したというニュースで知ったのだと思う。あの一見単純な色面が模写できないのだ。あの絶妙な調和状態は模写出来ないものだと心底驚いた。

 ロスコーの絵はマチスの絵と対極にある。話はどんどんそれるが、マチスは誰にでも出来る芸術を実現しようとした。特別な技術的な方法を作品から取り除こうとした。マチスは単純にみえるし、意識しての単純な作りなのだが、結果的に特別が芸術空間になる。これが絵画の結論なのだと思う。

 絵画を専門的な技術から解き放ち、誰にでも可能な線と面と色に分解する。その組み合わせだけで日を構築できると言うことを示して見せたのだ。マチスはこうして、芸術の崇高な理想を分解して、解き放った。万人はマチスの成果を利用して自分の芸術が出来ると考えたのだ。

 所がそうではなかった。むしろマチスが結論を出したことで、自己表現の絵画は行き詰まり混沌とした。絵画はむしろ不毛なハイパーリアリズムのような、即物的な価値に依存しようとした。それは確かに自己表現ではなかったが、芸術とは到底言えないようなつまらないものになった。

 ロスコーは37歳の時に絵画を描くことに行き詰まり、芸術論を考えることになる。第2次世界大戦中のことだ。美術史をたどり美術の意味を考える。マーク・ロスコ著「芸術家のリアリティ」(みすず書房 09年2月)この本はロスコーが発表したものではなく、死後ご子息が文章を発見して、出版したものだ。

 ロスコーは単純に見えて、極めて複雑なのだ。これ以上の複雑さがないような微妙さが、いかにも単純な出来上がりになる。その微妙さと素朴さが統一されている所が、究極のものに見える。似たような抽象画はいくらでもあるが、その違いは決定的なのだ。これを再現できるのはAIだけかも知れない。

 ロスコーは極めつけのユダヤ人のインテリで、いわばアインシュタインが絵を描いたようなものなのだ。芸術を知性で把握し、その上であの哲学的な絵画を創造した。ロスコは1903年に生まれ1970年に自殺した。 ロスコーが恐れていたことは自分の絵画が誤解される恐怖だったらしい。

 マルセルジュシャン、ジャスーパージョンーズ、ラウシェンバーグ、などのアメリカ的前衛芸術家の中で、異質の存在だったのだと思う。1970年当時そうした作家は意識していたが、ロスコーについては気付いても居なかった。ロスコーは1950年に今ロスコーだと我々が考えている作品に至る。

 そして1969年にはユネスコで、ジャコメッティーと同時に展示されるき企画がされる。世界的な評価を受ける。最後のシリーズはアクリル絵の具で作られる。アクリル絵の具リキテックスが登場した時代だ。すぐに取り入れようと試みている。知性的な人らしい。そして、何故か制作を突然断ち切る。

 ロスコーの自死の理由の一つに、自分の作品だけで出来ているチャペルを作ると言うことがあったらしい。それが進められると思っていたのがシーグラム計画である。訪れてみてそれがレストランだったと言うことが分り、絶望したと言うことが言われている。

 「シーグラム壁画シリーズ」は、マンハッタンに新しくできるシーグラム・ビル内の高級レストラン「フォー・シーズンズ」から依頼を受け、制作したもの。ロスコーは自分の作品とそうではないものが並ぶことを嫌い、自分の作品だけでひとつの空間を作り上げたいと思っていた。

 1年半もの期間を費やし完成した作品群だったが、レストランと知りロスコが一方的に契約を破棄し、レストランに作品が飾られることはなかった。そして66歳のロスコーは自殺をした。その「シーグラム壁画」シリーズのうち、7点のロスコ作品が川村美術館の7角系の1部屋にロスコーの願いを実現して飾られている。
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ダメを通らなければ、良くなれない。

2024-10-15 04:05:32 | 水彩画


 今より良くなるためには、一度はダメにならなければならない。今の状態を、増しなものだと思っている自分を否定し無ければ、次に進むことは出来ない。だめである事は苦しい。その苦しさを通り抜けなければ、次には進めない。自分を良しとしたときが自分が、そこで終わるときだと肝に銘じなければならない。

  この文章は自分に向けて書いている。時々書かないと自己否定の矛が鈍るからだ。人間ついこれで良しと考えてしまいがちだ。今のままではダメだと、時々活を入れないと甘くなる。甘くなれば、自分というものには至れない。自己存在はその先にしか居ない。

 絵を描いていると言うことは、その点、目の前に絵を置いて考えられる。ここが指針になる。今描いている物が良いと思えば、つまりそれが最終地点である。その先はないということだ。その先がないような藝術があるわけがない。藝術は常に新しい世界に進むものだ。

 今のほどほどの良さではないか。という、まやかしを越えるために、描き終われば過去のものだと考える必要がある。目の前にある絵は次に進むための材料だ。どこが自分ではないかを見つめ直すためのもの。自分を評価する絵などいらない。

 自分を捜して描くという行為が私絵画なのだ。終わった行為は過去と考えなければ成らない。これが私絵画の苦しさである。完成を求めて、絵が一度完成すれば、その絵を否定しなければならない。そしてまた新たな気持ちで描き始める。その繰返しだ。

 そ絵が絵がデタラメになったとしても自分の絵の模写をしているよりはましなのだ。自分のそこそこの良さを後生大事に抱えてる姿が一番醜いのだ。自分などらっきょの皮むきで、どこまで行っても無いのかも知れない。あるかないかはどうでも良いことだ。探し続けると言うことが生きると言うこと。

 何を目指しているのか、多分目指していないのだ。描くという行為をどこまで純粋化できるかなのだ。だめならそれも出来るが、何か良いのかも知れないという声も聞こえるのだ。こんなことではだめである事を通り抜けられない可能性が高い。

 絵を描くと言うことは甘く考えれば、だめのまま終わる可能性が高い。生きると言うことも甘く考えたときが終わるときだ。この自己否定の苦しい道を通らなければ、わずかでも次の段階には進めない。人間が先に進むと言うことは、今を否定すると言うことになる。

 その一時の小さな成功を守ると言うことが、一番情けないことなのだ。修行を妨げることになる。過去のわずかな成功に、人間はしがみついてしがちなものだ。その小さな自分という物を否定しない限り、次には進めない。そこが難しいのが人間なのだと思う。

 自分でその小さな自分を守ってしまうのは論外だが、問題は良かったというまわりの評価の声なのだ。だから若いときに受賞などして、絵が売れるようになった人というのは、概ねその時から後は下り坂になる。傍から見れば昔は良かったという人なのだ。

 評価を鵜呑みにしてうぬぼれてしまった人は、自分の絵の模写を続ける哀れなことになるのだから、自分の贋作作家で終わる。評価されないと言うことこそ、素晴らしい絵に居たる道だったという人の絵画こそ、私には魅力的なものに見える。

 まわりの人が好意で評価をしてくれる。これが前に進むためには一番励みになることだ。修行の継続がそのために可能になる。ところがその褒められることが障害になる。甘える自分が居てはならないのだ。自分だってそこそこであると、そう言う卑しい思いを断ち切る必要がある。

 それをまわりから今で良いなどと言われれば、ついその気になってしまうのが、人間である。そんなはずはないのだ。まあその点私は大丈夫だ。私絵画だという自覚があるからだ。人間はやり尽くすことで初めて次に行ける。中途半端に納得してしまえばそこで成長は終わりである。

 自給農をやっていれば、収穫と言うことで、日々至らなさを痛感する。農では成功の法が少ない。必ず不十分である。それを受け入れて次への努力が出来る。これが大切なのだ。自分の力不足はしみじみとわかる。しかし、分るから考える、そして努力することになる。

 いつもダメだと確認することこそ、未来の可能性である。これで良しと思えばそこまでである。絵を描くと言うことはやり尽くすことなのだ。やり尽くさなければ、ダメなことがはっきりとしない。曖昧に残せば、なんとなく可能性があるように思えてしまうのだ。

 絵はやり尽くす姿だけなのかも知れない。良くここまでやったという感動かも知れない。良いところで終わると言うことは一番良くない。水彩画が危ういのは、誰が書いても最初の調子が一番美しいのだ。いわば墨絵を何度でも塗り直すようなものなのだ。

 そうしなければやり尽くしたことにならない。墨絵を何十回も塗り直して、初めて白い紙に墨が浸みて行く、あの美しさを越え無ければ成らない。油彩画と同じように何度も重ねて塗り固めて行く必要がある。ルオーのようにもうこれ以上は塗り込めないというように、水彩画もやり尽くしたものでなければ成らない。

 水彩画の本当の美しさは、一度塗りにはない。一度塗りの美しさは、私の美しさではなく、誰がやってもそうなるという、塗り絵のような素材としての美しさなのだ。この最初の状況に魅せられてしまい、離れられない水彩画は多いのだが、それは人間が描かなくても、誰にでもそれなりに出来る絵のようなものに過ぎないのだ。

 その最初の美しさを、無視できなければ私絵画にはならない。自分に至る道が芸術としての絵画なのだから、当然のことだ。人間はどこから来てどこに行くのか。これが芸術の核心である。自分を探求し画面に表現する。これが私絵画の核心である。

 自己探求の姿勢で、絵を描くという行為に大切なものがある。それはごく普通の絵を描く日常なのだが、その描くという行為を、真剣な真実なものにするためには、自己探求をやり遂げるという覚悟がなければ、何にもならない無駄な人生の費やし方になってしまうのだ。
 
 確かに結果としての絵が立派なものになればとか、世間で評価されるもになればとか、高く売れるものになればとか、外部に評価を委ねる生き方もあるのだろう。しかし、それは外部が絶対神であれば可能なことだが、そんな物はどこにもない。坐禅はただの只管打坐に過ぎないからこそ価値があるのだ。

 

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273 水彩画 日曜展示

2024-10-13 04:38:06 | 水彩画
273 水彩画 日曜展示






578「とぅまた田んぼ」
2024.10 中判全紙






579「とぅまたたんぼ」
2024.10 中判全紙





580「樹木」
2024.10 中判全紙





581「花咲く庭」
2024.10 中判全紙



 このところ4枚続きだ。かなり描いているのだが、日々の一枚には残念ながら成らない。一つには中判全紙ばかり描いていると言うことがある。10号ぐらいまでだと、日々の一枚になるが、中判全紙の大きさになると、ほぼ2日はかかるようだ。

 英太郎さんのやられている田んぼはとぅまた田んぼと言うことが分った。今の崎枝地域はその昔は3つに分かれていた。一番西側の半島の先の方が「やらぶ」まんなかが「さきえだ」そして一番東側の半島の付け根が「とぅまた」と呼ばれたそうだ。

 とぅまた節という八重山民謡があり、そこにある松からうたが始まる。今も田んぼのまわりには琉球松がある。その松が素晴らしいものなのだが、とぅまたの意味が分らず、色々間違えて絵を描いていた。歌が出来たのは1871年頃ではないかとされている。

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農の風景を描く

2024-10-11 04:17:07 | 水彩画


 季刊地域59号ーー農文協では農業の作り出す風景が特集されている。送られて来て驚いた。「農の風景を描く」、と読んでしまったのだ。まさか、そうではなかった。農業は風景を作り出しているという特集である。私は風景というものは人間の営みの表れだと思っている。

  農は人間の営みの原点。農に関わることで、人間が作られて行く。誰かのために農は行うものではなく自分自身のために行うものである。だから、禅宗の僧侶も畑作業は行う。自分の食べるものを自分の手で作ってみる。それが自分という人間の成り立ちを知ることだと、祖父はそのように教えた。

 ただ風景は農によぅって作られるだけでなく、耕作放棄地は人間の痕跡というものが風景になる。太古の自然というような、人跡未踏の地などは私にとっては風景としての興味は無い。人間が自然の中でどう折り合いを付けて、生きようとしているかによって、風景が生まれるものだと思っている。

 その意味では、山の自然よりも庭の情景に惹きつけられることが多い。ただ出来上がった庭よりも、放棄されて形を失いかけている庭の情景は、何か耐えがたいような、目が離せなくなるものを感じる。人間の営みが壊されて行くことでより強く表れるときがある。

 そもそも風景という言葉は「風の景色」である。風は何を意味しているかと言えば、その場の空間であり場である。空気の動きであり、立ち位置の動きである。人間の営みが場という空間を風のようにそよがせている姿である。風土と言えば、風景の時間的な重なりになる。

 風という、眼には見えないが確かに動いているものの中で、日々を生きているのが人間なのだ。だから人間の営みが現われた風景を描いている。人間の痕跡のない自然など、私には描く価値がない。それが最近やっと分ってきたことなのだ。

 日本では1950年代までの里地里山の風景が、日本人の団塊の世代、我々世代までが思い出す故郷の風景である。うさぎ追いしかのやまである。夕焼け小焼けの赤とんぼである。もうすでに無い景色である。ただ我々世代の記憶の中にはまだわずかに残っている風景と呼べるもの。

 トラックターもない、軽トラックもない農村の風景である。牛馬が生活の中に居て、炭焼きが当たり前に行われていた。里山が日本の中東だった時代だ。まだプロパンガスもなく、里山から薪炭林が切り出され、村の中の自給的生活が回っていた時代。

 それはまだ、江戸時代の面影が残っていた里地里山の暮らしだったのだと思う。山梨県の藤垈の一番奥の山寺で育った。藤垈の暮らしは大きくは江戸時代と違わなかったのだと思う。それが、青年団が出来て、生活改善の婦人会が動き出して、急激に変わり始めた時代。

 変っていってしまう。失われて行く風景。だからこそ懐かしく、貴重なものに感じるのだろう。そして、新しい我々の風景を作る時代が来た。後水尾天皇が作った修学院離宮のように、我々が次の時代を生きる風景を作り出さなければならない。風景を作るとは里地里山の復元活動ではないのだ。未来を生きるイーハトブなのだ。

 村の道普請は部落総出で人力で行われていた。用水普請もあって、部落の人は総出で参加して行われた。当時はまだ食糧不足であり、坊ヶ峯の開拓事業があり、これも総出で行われた。自分の開墾場所が決められていたようで、開墾が終わった後自分の畑と言うことになった。

 沖縄で言えば結いまーるである。誰か監督がいて、働いて対価が生じて行われるというものではない。自分等の暮らしに必要なことを部落で決めて行う共同作業である。この共同作業の空気はある意味、お祭りに近いものがあった。各家の生活まで見ていている中での協働である。

 水争い、畦道の小競り合いは、常にあった。誰もが仲が良くやっていたわけでもない。それでも全体では何とか治まるところに治まっていたのだと思う。祖父は役所にも勤めていたし、向昌院の住職でもあったので、話をまとめる役割を担う側に居たのだと思う。

 村には江戸時代から続く序列がまだあった。それが徐々に崩れてゆく時代であった。一番は農地解放である。みんなが自分の所有の農地を持つ時代になった。これが一番大きく変ったところではあったが、旧来の序列が新しい秩序に移行する時代であった。どちらかと言えば、昔の「良いし」は大変だ、とよく言われていた。

 良いしに相応しい出費をしなければならないが、外に働きに行きにくい良いしは、生活的には苦しくなっていった。「下とりのしいは、どこにでも働きにでれるから良いじゃん。」などとひがんだ言い方の声が聞こえた。民主主議への移行期間。

 そういうモヤモヤした声があったことを記憶している人も少なくなっていると思うので、少し思い出したことを書いておいた。あれから70年も経っているのだから、何もかもが良い方向に変らなければ成らない。所が良いことばかりではなかったのだ。

 部落に人影がまばらになった。新しい人も来ているのだが、崩壊している家も無いわけではない。そうした中で、新しい農の風景を作り出すと言う、新しい動きを農文協の季刊地域では特集している。とても重要なことだと思う。この動きを評価していることは分るが、それゆえに少し現実を空想的に見ている。

 ユートピアはいつも空想なのだが、宮沢賢治のイーハトーブの理想郷も理想であるから美しいものである。しかし、それを現実化してゆこうというのが、私たちが行っていることになる。宮沢賢治が100歳まで生きたとして、何が出来たかである。

 岩手の樹木葬を始めた住職の方が取り上げられている。樹木葬をしながら、その費用で自然の豊かさを作り出してゆく、理想郷の姿である。死んでしまえば寒さはないから、岩手でも良いかと思う。30年で完結するお墓である。永代供養が50万円だそうだ。

 私の場合、のぼたん農園で田んぼの肥料にして貰えれば一番良いのだが、そうは行かない現行法である。お墓まで含めた農地の方が良いと思うのだ。田んぼ葬である。「肥料になり、お米になり、食べられる。」樹木になるより、何か循環しているようでイメージが私向きである。

 風景を作るとは実はそういう人間の生活すべてのことだと思うのだ。人間が生きて死んでゆく。その全貌が風景である。少なくとも私が描く風景はそのつもりである。だから、耕作放棄地も美しい風景だと思う。人間が必死自然にしがみついて、暮らしを立てる。それが風景だ。

 だから風景は寂しいものだ。悲しいものだ。しかし、とびきり希望に満ちたものでもある。その風景の中で、一日一時間働けば、人間は生きていけるのだ。それが風景の全貌だと思っている。風景は生活を秘めている。だから、村普請で作った野良道は美しい風景になる。

 都会の風景がいらだつようなものなのは、お金だけの世界だからなのだ。金儲けのために出来た高速道路は、美しいどころか自然を破壊しているとしか見えない。都会の風景は絶望の風景である。人間の暮らしから遠ざかるばかりで、暮らしの実感がない。

 農が作り出す風景は、人間が生きていると言うことが見えるから、希望を感じるのだ。より希望に満ちた風景はどこにあるのか。それを探り続けるのが、風景を描くことであり、のぼたん農園を作ることなのだと思う。どれだけやれるかは分らないが、生きている間は風景を作り続けたいと思う。

 そして描き続けたいと思う。私の絵を見れば希望の農の暮らしの空気がある。と言うような所まで行きたいと思っている。農の世界の希望と言うことを目的に描くわけではないのだが、自然にそういう空気感が生まれれば良いとは思っている。

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272 水彩画 日曜展示

2024-10-06 04:00:31 | 水彩画
272 水彩画 日曜展示








574「崎枝村入植75年」
2024.10 中判全紙






575「ヤラブ」
2024.10 中判全紙








576「ヤラブ」
2024.10 中判全紙








577「稲刈り後」
2024.10 中判全紙



 台風が来る予報の1週間だった。結局来なかったのだが、来るための準備はせざる得なかった。結構時間が潰れてしまった。もう一枚多く絵を描ければ良かったのだが、そういう訳にもいかない。窓には必ず吹き破れられな為の板の覆いを付けなければならない。

 今週は崎枝入植75年祭があった。大変な歴史である。50家族くらいが入植したらしい。そして今崎枝に残る人は10家族が居るそうだ。開拓生活はどれほど大変だったかは、少しだがやったことのある私には分る。石垣島の開拓生活はさらに厳しいものだったはずだ。

 一番の難題はマラリヤの存在である。これで開墾生活で弱った身体が感染した。多くの人が死んだのだ。元々はのぼたん農園のある辺りに入植当初は住んでいたのだが、風の良く通る上の方へ住む場所を移したらしい。絵のことを描こうと思ったのだが、つい入植の話になってしまった。



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「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」

2024-10-01 04:10:34 | 水彩画


 東京都美術館で田中一村展が行われている。「世俗的な栄光から離れ、己の道を貫いた画家・田中一村、清く、貧しく、美しく…奄美で到達した魂の絵画が東京に集結」だそうだ。何とも白々しい、見当違いの宣伝文句が並んでいる。どうも映画の一村以来、変な一村像が造られている。

 私の絵を見る眼では一村の絵は評価されたくて仕方がないと、営利を求めてあがいている絵に見える。人の眼ばかり意識した絵だ。世俗的な栄光は求めたのだが、社会に受け入れられなかった人だ。この絵を見ると評価しなかった社会の方が正しいと思う。




一村の絵は奄美の光と言うが、そんな気は全くしない。田中一村の画面はデザインであり、装飾画である。どこが魂の絵画なのだろうか。魂のことなど考えたことも無い人が、作ったアピール文なのだろう。嘘もいい加減にしたら。と言いたいが、そもそも絵画芸術を理解など出来ない人が人集めのための文章だろう。

 一村はしかし近年人気がある。その理由は、今の時代はこういう、アニメーション的装飾画を、商品絵画として求めているのだ。一村の絵画には精神性はない。見たものをデザイン化するだけの絵だ。それがこの精神性の希薄なこの時代に適合するのではないかと思う。



 今の時代は商品絵画の時代である。高く売れる絵が良い絵という時代である。すべての物を商品にしなければ気が済まないのが、末期資本主義の時代なのだ。それに迎合するのは勝手で構わないが、それは藝術としての絵画とは違うと言うことは忘れてはならない。

 何も気に入らない絵画を問題にする必要も無いのだが、沖縄で絵を描いていると、何かと一村の話が出ることがある。沖縄の風景を一村の絵画から想像して貰ったら、沖縄に迷惑だ。絵を描いているからと言って一村を持ち出されるのことには、かなりの違和感がある。

 

 一村が奄美大島に来たのは、沖縄の復帰前である。沖縄まで来るのは少し面倒くさい時代だった。何しろパスポートがなければ、沖縄には来れなかったのだ。渡航証明書という物が必要だった。普通の旅行でも南の島と言えば奄美大島までだったのだ。それで、一村は奄美まで来たのだろう。

 しかし私の石垣生活で見ている南の風景は、この絵とは空気も色も違う。これは南国風とは言えるが、あくまで風俗画風の南国だ。そもそも画面に空間という物がない。画面の空気を吸うことが出来ない。一村の絵はそこそこ上手な絵空事に留まっている。


 田中一村の絵は嫌いな絵なのだ。嫌いな絵を嫌いだとあえて書くと言うことなので、できるだけ沢山の絵をここに掲載させて貰った。一村の描く物は藝術としての絵画ではないと言うことの意味を知ってもらいたい。自分の絵画を描いたものでは無い。と言うことははっきりとしている。

 この絵をどう見ても田中一村という人間はいないのだ。つまり人間表現になっていない。藝術としての絵画はその絵を描いた人間の、世界観が表れていなければならない。こんな人間が居たのだと言えるもののでなければ絵ではない。その一番大切な部分が欠落している。


 本当にこの絵を見て魂を感じるというのだろうか。もしそうであるなら、私の絵画と言うものすべてを否定するほか無い。南国の風物を写実的に構成した物を、どうしても魂の絵だとは認められない。南国風景でなければ、まだ無視できるのだが、奄美大島という所がどうもいただけない。

 奄美の光がこの絵にあるというのか。全く私には光が感じられない。この展覧会を企画した、都美術館の学芸員のレベルの低さには驚く。一村という、奄美で非業に死んだ風俗画家の絵画展で良いではないか。もがいた絵描きと言うものの哀れさの展覧会で良いではないか。


 一村を評価しなかった日本画の当時の公募展もまともだったのだと思う。今の公募展では大喜びで持ち上げただろう。当然、画商も群がったと思う。今の時代に評価されている絵は、一村風の絵なのだ。魂のない、光のない、精神のない、世界観のない、商品絵画なのだ。

 そもそも日本画は藝術としての絵画ではない。装飾画なのだ。屋敷を飾る屏風絵であり、ふすま絵であり、掛け軸である。魂などあったら困るのだ。建具の一つで上手く収まればそれでいいのだ。その日本画の歴史の中にも宗達のようなすごい人が居たことは居た。

 所が江戸時代には完全に日本画は御殿画家に成り下がり、装飾品作りに没頭した。だから江戸時代にはむしろ北斎のような庶民の中に、すごい絵画が表れたのだ。所がそうした傑出した絵画を見つけ出したのは、日本人自身ではなかったのだ。



 西欧の絵画が近代化する中で印象派が生まれる。その人達が、日本の浮世絵を見て、評価をしたのだ。日本では江戸時代の日本画も庶民の浮世絵など、卑しい物という意識があり、見向きもされていなかったのだ。何でも西欧かぶれになった明治時代に逆輸入された浮世絵文化。

 日本人の中にあった魂の絵画が掘り起こされたのだ。それが近代日本の中に生まれた、明治の西欧絵画である。その到達点が中川一政の絵画だと思う。まさに魂の芸術である。しかし、どうだろうか、梅原龍三郎や、中川一政の絵画を本当に理解している人は年々減少しているような気がする。

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271 水彩画 日曜展示

2024-09-29 04:55:12 | 水彩画
271 水彩画 日曜展示







570「ギンネムともクマオ」
中判全紙 2024.9








571「海の畑」
2024.9 中判全紙








572「のぼたん農園」
2024.9 中判全紙







573「赤花」
2024.9 中判全紙

 集中して描けた一週間だったのだが、最後の「あかばな」の絵が出来ないで、3日か4日一枚を描いていた。それでも分からないまま終わったのだが、苦労したので一応日曜展示に出すことにした。出来なかった絵の方が、愛着はあったりする。赤い花はハイビスカスである。

 モクマオとギンネムは石垣島で始めてみた木だ。有用な樹木として導入された物だが、今は淘汰すべき樹木になっている。その理由は生活が変ったためだ。石油が燃料になったからだ。どんな荒れ地でもぐんぐん成長する、樹木は薪炭材として重宝されたのだ。

 のぼたん農園も夏が終わりかけている。まだ暑いことは暑いのだが、大分草の色が変ってきた。草の色が変ると風景も変る。そう思うと海の青さも違っている。色の変化に自分が反映しているのが分る。次の季節に眼の方が変ったようだ。

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270 水彩画 日曜展示

2024-09-22 04:00:16 | 水彩画
270 水彩画 日曜展示





566「崎枝の田んぼ」
2024.9 中判全紙








567「草の海」
2024.9 中判全紙








568「海まで」
2024.9 中判全紙









569「耕作地」
2024.9 中判全紙

 
 東京都美術館での水彩人展が終わり、17日に石垣に戻った。戻ってから絵を描いていた気がする。水彩人展の会場を毎日過ごして、自分の絵をもっと進めなければならないと、あらためて感じていた。描く眼から、見る眼に代わって感じたことだ。

 石垣島は9月21日でも相変わらず暑すぎて、あまり農作業も出来ない。アトリエ車の中で、絵を描いて忽ち一日が過ぎて行く。絵を十分描ければそれでいいのだが、どうだったのだろうか。今までに無い作品が表れてくれればと思うのだが。絵が様々になっていることが分る。

 絵には悲しみや、苦しみを表現するものもある。私は生きる喜びが絵に表れてもらいたいと思っている。生きると言うことが、心底楽しいと思えるような絵になればと思う。自給農業、水牛放牧、ひこばえ農法、興味深い毎日である。この喜びは絵に繋がっていると思うのだが。


 
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影のない風景

2024-09-21 04:49:57 | 水彩画


 石垣島北部地区。飛行機が飛び立つと見える景色である。とがった山が野底だけだ。そして遠くに見るのが、のぼたん農園のある崎枝半島である。

 飛行機に乗るときには必ず、窓側の席に座る。窓から外を見続けている。上空から見る景色がおもしろくて仕方がないのだ。月に一回石垣島から小田原を往復して居るのだから、もう100回は飛行機に乗っていることになるはずだが、少しも興味は減らない。

 昔から俯瞰の景色に興味があった。それは山梨の甲府盆地の縁の高いところに生まれたからだと思っていた。盆地をいつも見下ろす風景を眺めていた。それで俯瞰の視点が身についたのだと思っていた。どうもそれだけでは無かったと言うことが、飛行機に乗っていて、感じるようになった。

 見ることがそもそも好きだと言うことがある。見る喜びは生きる喜びのかなりの部分を占めている。目が徐々に悪くなっているので、なおさら見ることに未練がある。のぼたん農園で景色を見ていれば、一日飽きることが無いのは、見ることが喜びになっているからだろう。

 だから、飛行機では外が見たくなる。飛行機の窓の外の雲を見ているだけで面白くて仕方がない。雲は天才だというが、あんな自由な造形はまず無い。どんどん変化してそれだけでも面白くて仕方がない。もちろん、上空から見下ろして島が見えたときには凝視してしまう。島が描いている形が実に興味深い。

 人家が見える。一箇所に集中している島もある。島中に散らばって暮らしている島もある。かならず港が上手く作られている。2箇所ある島もある。森がある。畑がある。道路があり、飛行場がある島が多い。珊瑚礁の輪がエメラルドの海で美しく輪になって取り囲む島もある。

 どの島も形が実にいい。自然に出来たものは完成している。島には人間の暮らしがすべて、そこに収まっている。何故上から見る島が面白いのかなど考えても居なかったのだが、それは俯瞰の景色が身体に入っていると言うことかと思っていたのだが、どうもそうではないようなのだ。

 上から見る島は、影という物がないのだ。太陽と島との間に飛行機が居る。物に影がないと、物は図柄になる。絵のように見えると言っても良い。真上から見た地上は模様のように見える。例えば、畑の色や形の組み合わせは、色面構成のように見えてくる。しかもその色面の一つ一つに、物語が籠っている。

 果てしない海という平面の中に描かれた島という図。この美しさには感動する。息をのむ。忽ち島を通り越してしまうので、目に焼き付けることにしている。写真も撮るのだが、写真ではやはりあの感じとは違う。写真で見る島はそれ程の物でもない。

 どうも飛行機によって飛ぶコースが違う。多良間島の真上を通るときもあれば、それるときもある。宮古島や沖縄本島も飛ぶ位置がいつも違う。辺野古の真上を通ったときにはここに米軍基地が出来るのかと、許しがたい気持ちになった。その後辺野古上空を通ったことはない。

 その後も、奄美群島付近の様々な島の上空を通る。何度見てもいつも引き込まれてしまう。ゆっくり飛んでくれれば良いのだが、忽ちに通り過ぎて行く。この島の姿は絵に出てきているのだと思う。記憶で絵を描いているから、記憶の底に島の姿はあるのだと思う。

 石垣島の景色も影がなくなる季節がある。夏至前後の景色である。次の夏至は2025年6月21日土曜日 11:41 とある。夏至前後の風景では影が消えていることがある。上空から見たのと同じように、見ている景色が立体感を失い、平面の図柄のように見える。

 つまり絵に描いたような姿が、目の前に現われる。これが何かの方角を示しているような気がして成らない。まだ良く理解したわけではないのだが、絵を描くと言うことは、平面の上に図柄を描くと言うことで、物の立体や奥行というようなことは、むしろ邪魔な物になるという事。

 9月の21日だから、もう陽射しはアトリエカーの窓からかなり奥まで入り込んでくる。影のない景色を眺めることはまた来年まで待たなければならない。記憶の中には影のない景色が溜まっている。影のある目の前の景色は参考と言うことになる。

 これは右目が緑内障でよく見えなくなり始めていると言うことも関係しているのかも知れない。片目で観る世界は立体感がなくなる。平面的な図柄が、絵の図柄になるのかも知れない。自分の風景を描くことが方角なのだから、何でも気になる事をやってみることになる。

 陰がないと言うことのもう一つの意味は説明がないと言うことになる。物を説明するために陰影を付けるという役割がある。この説明が無意味だというのが、絵の考え方だ。絵は説明ではないと言うこと。絵は核心だけを描く物で、そのものの補足説明はしない。

 それは物の材質感とか、感触というような物も絵の上では邪魔なものになる。説明があればあるほど、絵の本質から離れて行く。絵の具の色と、簡単な図形に還元した物を、画面の上で構成する事が絵と言うこと。それだけで自分の世界を表現しなければならない。

 そこには曖昧なにじみとか、ぼかしとか言うものも極力避けた方が良い。だからそれは陰のない世界に似ているのだ。リンゴを書いて、リンゴが丸い立体であるというようなことがいらない。リンゴは囓ったら汁が出るというようなことも、私の絵ではいらない。

 あくまで画面上の色の組み合わせと形の組み合わせに還元されてゆく。だからといってものの意味がいらないわけではない。上空からの視覚の色面がサトウキビの畑であるということは、分らなければその色面の魅力も失われる。物の形に意味があるということが風景の面白さなのだ。

 図形化された物に伴う、意味があるとすればあるというぐらいの説明ではない意味づけである。見るものが煩わしくない限界にある意味。図柄寸前の物の意味づけ。どこかに意味の暗示が残されていれば、見るものは色面や線や点を意味付けをして見ることに成る。

 この矛盾というか思い込みのような物が、絵の面白さなのかも知れない。分らないと分るの境目辺りに絵はあるのかもしれない。分ってしまえばつまらない。分らなければもっとつまらない。分りそうで分らない。分らないけれどなんとなく感じる。この辺りに絵という物はあるのかもしれない。

 陰が消えるというのも意味を曖昧にするために必要なことなのだろう。色面の絵画に何故成るのかと言えば、説明をしたくないからだろう。説明をしている絵が、下品だと感じるからだ。最近は説明だけの絵らしきものが多いわけだが、文化の衰退がそうした物を絵だとしている。

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26回水彩人展 初出品者の作品の感想。

2024-09-17 04:22:37 | 水彩画

 
  水彩人展審査が始まります。

 初出品の方の作品は水彩人展ホームページに掲載されます。

 今回も初出品者が多く15名もいた。良い作品が多かった。落選という人は数人しかいなかったのだが、一般の出品者の絵がなかなかのもだった。初出品者の急増は予想外のことだったのだが、水彩人をやってきた成果が出てきたかもしれない。

 水彩人が公募を始めたのは、水彩の仲間を探したいと考えたからだ。水彩画の研究を深めてゆくには、よい仲間が必要だと考えている。水彩人が世間で認められたいというようなことはない。ひたすらそれぞれの絵が前進するための会である。

  良い仲間がいて、切磋琢磨する。そのこと以外に絵が良くなると言うことはないと考えてきた。そして月一回絵を持ち寄り研究会を続けた。そのグループの研究発表が水彩人展になっていった。その後公募展になり、より広く水彩画の仲間を募ることになった。今回の初出品の方が15名というのはそのうれしい結果なのだ。

 26回展は新しい出発という主題で開催された。1室は会員の人たちの中で次の水彩人を担うだろう人の部屋になった。2室は例年になく良い作品のそろった、一般の人たちの部屋になった。そして3室が同人を中心にした小品室。4室が同人を中心にした、大作室。そして、5室、6室がその間くらいの絵を展示した。最後の7室が抽象作品の部屋である。

 毎回、初入選の人の絵に対する感想を書くことにしている。それは是非とも水彩人の仲間になって欲しいからだ。26回展は15名と言うことになる。まず第2室にある有望とされた初入選者5名の感想から。



 田中宏美 「にじいろにそまったファンタジーアニマルランド」
 
 20歳の方である。今までになかった傾向の作品だった。昔からの水彩画に混じり、異彩を放ち新鮮である。新しい絵画といえる。いや今の若い人には普通の絵のかもしれない。絞り出した絵の具そのままの色が、むしろ新鮮に見えるのだから不思議だ。今後の成長が楽しみな人だ。



 鈴木智子「陽光の中で」

 子供の描き方が実に魅力的だ。子供の顔が地面からの照り返しで、明るく光り輝いている。よく子供という人間に迫っている。ただかわいらしいという思いだけでないものが絵にある。子供の明るさに洗わているものは、絵を描く喜びにつながっているようだ。人間を水彩で描くということは極めて難しいことになる。今後のさらなる精進を期待する。



 大濱一弘「網中の賜物」「潮流の賜物」

 素直な物への迫り方で、迷いがない。その一途な姿勢が卓越していて好感が持てる。ここまで迷いなく描写に集中できることは、ただ者ではない。しかも、ものに迫る姿勢には混じりけがない。迷いがない。よくよく見るとただの写実的な描写ではないことが見えてくる。何か描く人の人生をのぞき込んだような気がした。水彩画では近年描写性の強い作品が増えている。ぜひ、絵画における描写の問題に踏み込んでもらいたい。



 村尾昭子「伊尾木洞 早春」

 自然への祈りのようなものがある。緑の魔境という言葉を思い出した。深い緑の中にある魔。そして、自然という物に備わっている豊かさ、暖かさ、そして親密感のあふれてくる世界が描かれている。描いている人の自然に対する視線が感じられる。さらに自然の中に踏み込んで、感じている自分の世界を表現してほしい。



 窪田千寛 「田園」

 絵画としての造形の魅力がある。風景を線や色面に解釈してゆく姿にそう快感があった。当然のことだが、絵を描いているのだ。風景を写すのではなく、自分の見て作り出した、自分の絵を描いている。これが絵を描くうえで一番大切な姿勢だ。次に、この描写法で何を描いて見せてくれるのか、いまからが楽しみになる。



 山根幸恵「ポトスー橙・紫・緑のコンポジション」

 丁寧に描かれた静物である。水彩画の薄い塗りが折り重なり、現れた色が美しい。良く水彩絵の具の使いい方をわかっている。明るい部分を塗り残してゆくうまさもある。ただその明るさが、光を反射した葉がばらついている点が気になる。画面全体の美しさは十分理解してるのだから、もうわずかな整理だけだろう。

次に小品室に飾られた作品3名

 佐藤正章「海辺まで50歩」

 「海に早く行きたい」」そう50歩なのだ。あの日、足の裏に熱い砂を感じながら、走った海への道。海にどぶんとつかる世界への、期待に膨らむ子供の純真な鼓動が感じられる。見るものも子供の頃の記憶がよみがえる。期待が広がる構成はあるのだから、さらにうごきがある海へのムーブマンがすべてのものに感じられたらばどうだろうか。

 市川悦子「錦秋の音」

 紅葉の明るさと悲しさのような物が、滝の流れを取り巻いている。自然を見つめてゆく視線が良い。そう自然の音である。滝の物理的な音ではなく、紅葉という世界からくる静けさの音。佇んでいるような世界。さらに絵が深まることが期待される。

 高瀬イロナ「活況市場」

 異国の市場かもしれない。ざわつく賑わいが聞こえてくる臨場感がある。細かく心得て、描くことも悪くはない。それが市場の乱雑な魅力なのだろう。ただ一様に細かさが同じである点が気になる。白く抜かれた紙の色が少し強い。物の中でさらに描き込むところがあるとさらに良くなったのではないだろうか。

4室の大作室に一人

 蓮沼勇悟「祈り」

 ドシン、ドでん、圧倒してくる立派な大仏である。この仏の重量感は圧巻である。仏像の形を描くだけでなく、確かに祈りの世界が描かれている。絵として問題はないのだが、こうして作られたものを描くという場合に、自分の絵画としての創造というものが、どうかかわるかは難しい。



5室に3名



 山口栄美「花・夏色に、」

 描写力が圧倒するほど確かである。写しているようでいて、花を作り出している。特にひまわりに集中してゆく描き方は美しい。花の省略した表現と、克明に描く描き訳も見事だと思う。淡く絵の具を薄めてゆく手法もなかなかのものだと思う。水彩画の手法としては、画面の外側に来る白は、地肌の紙の白は、押さえたいと思う。水彩画では余白と言うより、画面のどこも等価値であるという意識で描きたい。



 宮島淳子「静かな時間Ⅰ」

 絵画の深さが伝わってくる。自分の色を持っているのだろう。深い色調の中に伝わってくるものがある。暗い空間の中に確かな品格が感じられる。静物画の持つ時間感覚が、確実に伝わってくる。味わえる絵画だ。絵というものをわかっているのだと思う。描けば描くほど深まる絵だ。次の絵はさらに期待できるはずだ。



 渡辺照代「デコイのある静物」

 絵に作者が向かい合っている。真面目な描き方だ。しっかりと描こうという気持ちに好感が持てる。問題は静物画では、描く静物を通して、「何を描くのか」が明確になっていないとならない。見ているものを絵を描く以上に、見ているものを通して世界を捉えるかどうか、ここが問題なのだと思う。

6室に1名



 山本有里「DNA」

 ほのぼのとした空気に引きつけられる。何気ない、素朴な描写が、その素朴さゆえに絵の豊かさを生み出していると思う。これで問題はないのだが、さらに進めるためには、アヒルというもののかわいらしさだけではないところまで、わかる必要があるのではないか。それは余分なことかもしれないが。鳥を飼ってきたのでつい。

 実はもう一名おられたのだが、10年以上前に出されていた方で、久しぶりに出されたので、初出品と間違えていたことがわかった。
 
 


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