あるきメデス

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残暑の中、石神井公園周辺をめぐる(東京・練馬)②

2020-08-31 18:42:50 | 江戸・東京を歩く
 2020年8月28日(金)〈続き〉

 三宝寺を出て、古くからの住宅地を西進して氷川神社に行く。応永年間(1394~
1428)に豊島氏が武蔵一の宮の分霊を祭って石神井城内に創建したといわれているよ
う。

 文明9(1477)年の石神井城落城後は、石神井郷の総鎮守として近郷5か村の人々
から崇敬されたとか。ここでも新型コロナウィルスに感染しないよう、さらに早期の終息
を祈り祈願した


 拝殿前には新嘗祭(にいなめさい)に奉納するための神饌田があり、間もなく出穂しそ
うに育っていた。



 境内には完成して間もないと思われる新しい儀式殿や、古くからの神楽殿もある。


 神社前を東に少し、三宝寺の背後からうっそうとした林間を北に入ると、フェンスで囲
まれた一角がある。東京都史跡「石神井城址」の中でも特に土塁や空堀などの文化財の保
存状態のよいところなので、保護しているようだ。

 このあたりは石神井城の中心内郭跡のよう。石神井城は平安末期から室町中期まで、現
在の台東区、文京区、豊島区、北区、荒川区、板橋区、足立区、練馬区などや周辺まで勢
力を持っていた豊島氏の居城の一つで、築城は鎌倉後期と考えられ、文明9(1477)
年に太田道灌に攻められ落城し、廃城になったという。


 フェンス沿いに北に下り三宝寺池の東南岸に出た。斜面下には「石神井城址」碑や「石
神井城跡」の説明パネルなどがある。



 池の東側にあるうっそうとした中の島などを見ながら南岸の遊歩道を西進する。
     

 中の島を中心とする三宝寺池の植物群落群は、「三宝寺池沼沢(しょうたく)植物群落」
として国の天然記念物に指定されている。
     


 三宝寺池にもカモがあちこちに見られ、中の島際に繁茂するコウホネが少しだけ咲き残
っていた。







 南岸の中央部近くには小さな社殿の水神社が祭られていた。その先の倒木にはアオサギ
がじっと立ち止まり動かずにいる。


     


 南西端近くで池に突き出した一角には朱塗りの社殿の厳島神社と浮見堂がある。


 厳島神社の前に幹を傾けて立つアカマツは、大正9年9月26日に行啓された大正天皇
のお手植えのよう。


 そばにある三宝寺池の説明パネル。この辺りからの豊富な樹木に囲まれた池の眺めは、
東京二十三区内とは思えぬ景観である。





 池の南西端からさらに北へ伸びる周遊路を、厳島神社や浮見堂などを眺めながらを進む。

 
 三宝寺池の西北端でもう一度池をふり返り周遊路を離れた。北斜面を上がり、区立「石
神井松の風文化火公園」に南端の門から入った。

 ここは、かつて日本銀行の運動場だったところ。2008年に練馬区で購入して2014
年4月に区立公園として開園したもの。園内には天然芝の多目的広場や、花と木立の広場、
松林の広場、テニスコート場、ふるさと文化館分室もある管理棟などがある。


 南側の花と木立の広場近くの一角は、気象庁のアメダス練馬観測所。都内には8か所の
観測所があるが、ここ練馬の観測地はそれらの中でも高温を観測することで知られている。
     
 12時40分頃撮ったのだが、帰宅後調べたら12時に32.8℃、13時に33.2
℃を記録していたので、33℃前後の残暑の中を通過したことになる。


 このあと管理棟内にある石神井公園ふるさと文化館分室に入り、近くに住んでいた作家
の檀一雄や五味康祐など、練馬区ゆかりの文化人の紹介パネルや作品、年表、写真などを
観覧した(撮影禁止)。


     
 公園の北側に回り松林の広場とテニスコート場の間を進み、都道8号・富士街道に面し
た正門から松の風文化公園を後にした。


 石神井郵便局の西側の通りを北北西へ、石神井台3丁目から東大泉5丁目へと住宅地を
抜ける。
     

 13時28分に隣の大泉学園駅前に着いた。駅前で昼食を済ませ、13時58分発所沢
行き下り電車に乗る。


 (天気 晴、距離 5.5㎞、地図(1/2.5万) 吉祥寺、歩行地 練馬区、歩数
 12,500)



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