あるきメデス

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ポーランドとバルト3国の旅⑦ タリン市内を再訪後 ヘルシンキ経由で帰国へ

2015-08-11 18:51:38 | バルト3国とポーランド旅行
 第7日 2015年7月17日(金)~18日(土)

 == タリン歴史地区を再訪後ヘルシンキ経由で帰国へ ==

 連泊したエストニアの首都タリンのラディソン ブル スカイ ホテルで、7時に起床して
7時25分頃から朝食をする。今日は帰国の日、空港に向かう12時までフリータイムで
ある。
      

 そこで、昨日もらった「シティマップTallinn」を頼りに、地図に記された「必見」と
いう所を中心に再度旧市街を巡ることにして、8時38分にホテルを出た。

 ホテルの前を走るラヴォラ(Ravala)大通りを南西へ、通りの西端でKentmanni通り
に入りエストニア大通りに合し、聖ヨハネ教会↓の西に回ると「自由の広場」(Vavaduse
Valjak)である。



 この広場は、「国民の象徴」と「市民の誇り」をアピールしているとのこと。広場の中
央に立つ十字のモニュメントは、1918年から1920年にかけて外国統治から脱する
ために起こった独立戦争の記念碑だという。
         

 北側の、旧市街南端のトームペアの丘に向かってハルユ(Harju)通りの坂を上がって
行くと、聖ニコライ教会が見えてきた。
      
 1230年頃、ドイツ商人の居住区の中心に建てられた教会とか。1944年のソ連の
空襲で破壊されたが1980年に再建され、現在は教会絵画などの博物館になっていて、
パイプオルガンのコンサートも行われているという。


 坂の途中の小さい緑地には、「友好の桜」と刻まれた日本・エストニア友好協会の記念
碑があり、1999年に日本からエストニアに送られたというエゾヤマザクラの若木が葉
を広げていた。


 トームペアの丘に上がり、ムーリヴァヘ(Muurivahe)通りを西に少しで、「キーク イ
ン デ クック」(Kiek in de kok)と呼ぶ大きな塔の下に行く。
      
 高さは49mあり、15世紀末に町の防衛のためにつくられたもの。「キーク イン デ
クック」とは「台所をのぞけ」という意味で、かつては塔の上から下町の台所が手にとる
ようにのぞき見えたとか。現在は博物館として使われ、塔の下には17世紀のスウェーデ
ン時代につくられた地下道があるようだ。


 城壁沿いに進み、昨日最初に訪ねたトームペア城と「のっぽのヘルマン」塔やバラの咲
く緑地などをもう一度見る。

 トームペア城↑ 「のっぽのヘルマン」↓
      

      
 トームペア城に相対する、ロシア正教のアレクスサンドル ネフスキー聖堂に入って拝観
したが、堂内は撮影禁止だった。
      

 聖堂の南側には、旧市街でもただ一つかと思われる、頑丈そうな有料公衆トイレがあっ
たので、20セントコインを入れて利用した。
         

 アレクサンドル ネフスキー聖堂とトームペア城の間を北に進み、聖母マリア聖堂にも入
って拝観したが、やはり堂内は撮影禁止だった。
      

 ひとつ東に平行するPiskopi通りをアレクサンドル ネフスキー聖堂のそばまで戻り、城
壁に沿ってピック ヤルク(Pikk Jalq)通りを北へ緩やかに下る。


 昨日午前中に行った2つ目のKohtuotsa展望台の下あたりにある、ゲートタワーをくぐ
って下町へ。
      

 北東に延びるライ(Lai)通りに入り、途中で左折して北西に向かい城壁の間を抜けて、
「塔の広場」と呼ぶ緑の豊富な公園に入る。


 折り返すように南東方向に進むと、高い城壁の途中から細い流れの滝が何段か落ちてい
る。


 近くの城壁の上には、近年の国際会議に集まった要人だろうか、10数人の写真を焼き
付けた壁画が見える、


 その先では、上の展望台で展望を楽しむ人の姿が見上げられる。



 さらに進むと幾つかの塔が現れ、下の公園の花壇では様々な花が咲き競っていた。


         

      





 でも、ここはどの辺りかと現在地が分からなくなった。少し周辺を回ったら、北側の広
い通りの向こうにタリン駅らしいのが見え、公園内に掲示されていた地図で現在地の確認
ができた。そろそろ帰路につかねばならない時刻である。


 公園の東を走るヌンネ(Nunne)通りを東南に進み、旧市庁舎のあるラエコヤ広場に出
る。
      

 近くの通りにあったベンチ。でも、ひと休みする時間はない。
   

      
 ヴィル通りを抜けてヴィル門を出て門をふり返る。


 生花店の前を通過してタムッサーレ公園へ。公園には、シャボン玉を操る人がいた。
    

 西の空が暗くなり、今日もひと雨ありそう。


 11時23分にホテルに戻った。ホテルの部屋から見る西方もすっかり暗く、間もなく
雨となる。

 12時にホテルロビーに集合した頃は、かなり激しい雨脚に。バスのドライバーさんも、
雨に濡れながら私たちのスーツケースを急ぎバスのトランクに運んでくれた。

    
 バスは、12時過ぎにラディソン ブル スカイ ホテルを後にした。↑途中の道路には水
が流れるほどだったが、20分足らずで空港に着いた頃には、幸いにして雨は上がった。

 2日目から今日まで6日間、ポーランドのワルシャワからバルト3国を南北に縦断して
北端のタリンまで、延べ1,300㎞以上も安全に運んでくれたバスのドライバー、アルト
ゥルさんに感謝する。アルトゥルさんは、途中1泊して2日がかりでワルシャワに戻ると
いう。

 出発までの待ち時間に、空港内の売店で軽食を求めて昼食をする。



 乗り継ぎで搭乗するタリン発ヘルシンキ行きフィンランド航空AY073便は、小さめ
のターボプロップ双発旅客機ATR72-500型で、座席は72シートである。

 雨の上がった14時40分頃に搭乗をはじめ、予定より15分近く遅れて15時09分
に離陸した。
    



 ヘルシンキまでの飛行距離は101㎞、所要時間は30分の予定。



 タリン市街を離れてフィンランド湾を北に向かう。





 間もなく島影が現れ、さらに8分もするとフィンランド側のたくさんの島影が見えてき
た。





 眼下に緑の森が増えてどんどん高度が下がり、15時32分にヘルシンキ空港に着陸し
た。

 乗り換え時間が少ないので空港構内を急ぎ、成田行きの34番ゲート付近に移動して1
時間余り待つ。

 ヘルシンキ空港発成田行きフィンランド航空AY073便は、予定より18分遅れの
17時33分に離陸した。成田までの所要時間は約9時間25分、飛行距離は7,825㎞
である。
    
 往路同様、モスクワ北方から広大なシベリア大陸の北部、バイカル湖の北方、新潟上空
などを通過して、タリンやヘルシンキ時刻より6時間早い、日本時間18日(土)8時
54分に成田空港に着き、第2ターミナルに入る。成田は晴天で気温は29℃とのこと。

 預けた荷物を受け取り宅配業者に依頼したりして、京成電車の空港第2ビル駅発9時
50分発上り電車に乗る。日暮里、池袋を経由して、12時半過ぎに帰宅した。
 
                     (歩数 成田空港途中まで 14,000)

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 以上で8日間のポーランドとバルト3国の旅のレポートを終わりますが、撮った写真が
まだたくさんあるので、この後も行程とは別の切り口で何度かに分けて紹介する予定です。

 ご興味のある方は、これからもときどきのぞいてみてください。




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コメント (4)
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