あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

所沢市内・東川のサクラが見ごろに(埼玉)

2011-04-07 17:04:24 | 所沢だより
 ようやく春らしい陽気となり、所沢市内の中心部を西から東へ流れる、東川
(あずまがわ)沿いのサクラが見ごろになりました。


 昨日、下見をしていたので、今日、4月7日(木)の市内ウオーキングの中心
は、東川沿いとしました。


 その前に、スーパーマーケットを回って、品不足の納豆を一つ求め、所沢航空
記念公園の南側を流れる東川沿いの、東新井町から西荒井町付近を回ってみ
ました。


 東川沿いには、この先、東所沢駅の北部付近まで、ソメイヨシノの桜並木が続
いていますが、今日回ったのは、市街地の中心に近いあたりです。


 ソメイヨシノは川の両岸に植えられていて、両側に車道があるので、往復して
眺めることができます。






 ソメイヨシノではない、ピンクの濃いサクラも、何本かありました。










 岸辺には、ひとあし先に咲いたコブシも、花を見せていました。




 レンギョウも、花の季節を迎えています。


 デジタルカメラや携帯電話で撮る人、通過しながら眺める人が、あちこちで
見られました。






 川の北側の、民家の庭に咲くヒカンザクラ。毎年、ソメイヨシノと同じ頃、
開花します。


 東川のサクラは、ここ2、3日がお花見どきのようです。


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やまさん、近畿縦断約500㎞の徒歩旅行中

2011-04-06 18:01:51 | ウオーキング
 「やまさん」こと、カントリーウオーカーの山浦正昭さんがいま、近畿縦断歩行中で、
日本海・丹後半島の経ヶ岬をスタートして、太平洋・紀伊半島の潮岬を目指して歩き
続けている。

 やまさんはこれまでも、日本列島の横断の歩き旅を何度かしており、今回はパート
Ⅴ(5度目)になるという。

 今回のコースは、4月1日(金)に、京都・丹後半島の先端である経ヶ岬を出発し、
伊根、天橋立、宮津、綾部、美山、日吉、京都市内、宇治、奈良市内、生駒、法隆寺、
明日香、五条、吉野山、天川、十津川温泉、丹生川、近露、里川、串本などを経て、
4月25日(月)に紀伊半島の潮岬にゴールする予定となっている。

 経ヶ岬は近畿の最北端で、潮岬は近畿最南端であるとともに、本州の最南端にも
なる。総行程は500㎞を超え、1日に15㎞から33㎞の行程を計画している。

 宿泊は、ユースホステルを中心に、民宿、キャンプ場などで、それらがない場所では、
野営も数カ所見込まれている。

 わが家には、出発の翌日、宮津局からのはがき届いた。それには、丹後半島・伊根
の舟屋のスケッチが描かれていた。

 縦断するコースには、近畿の見どころがうまく結ばれていて、さすがやまさんのコース
取りと感心し、無事完歩されることを祈っている。

 やまさんの予定表に記されているところで、最近私が訪ねた場所の写真を、幾つか
紹介しよう。

 京都・醍醐寺


 奈良・東大寺大仏殿
 

 奈良・法隆寺金堂


 吉野山の桜


 熊野古道・中辺路、近露の牛馬童子像


 なお、今日4月6日(水)は、旧美山町小渕から日吉駅までの29㎞だが、今後の
主要地の日程は以下の通り。

 4月 8日(金) 京都滞在

 4月10日(日) 宇治から棚倉 28㎞

 4月12日(火) 奈良滞在

 4月15日(金) 大和八木から明日香を経由五条へ 28㎞

 4月18日(月) 天川滞在

 4月21日(木) 十津川温泉から果無山脈を経て丹生川 22㎞

 4月25日(月) 串本町里川から潮岬 15㎞


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小川町郊外をカントリーウオーク(埼玉)

2011-04-05 17:51:03 | カントリーウオーク
 2011年4月3日(日)

 東日本大震災で遅らせた3月例会の8日後、にカントリーウオークグループの
第182会例会を開催した。

 集合は東武東上線の小川町駅。暖かだった前日と変わり、冬が戻ったような、
うす寒い日和となる。参加者14人は3組に分かれ、10時6分に出発した。

 ==谷間の小さい沼から武田氏ゆかりの寺へ==

 駅の北側に出て兜川(かぶとがわ)を渡る。富士山(ふじやま)(182.1m)の
山麓、池田集落を東に抜けて、日赤病院入り口付近で県道11号へ。

 500mほどで左への旧道に回り、国道254号バイパス下を抜ける。緑ヶ丘五
丁目の住宅地の東北端から、林間を鬼ヶ谷津(おにがやつ)沼に下った。


 幾分色づいた枝もあり、間もなく芽吹きが始まりそうな樹木に囲まれた、静かな
たたずまい。

 その先の休耕田沿いに、ミカンやキンカンなど、柑橘の木が10数本続き、下草
の中からヒトリシズカが、春の彩りを見せていた。


 境内に並ぶソメイヨシノがまだ開花前の、能満寺の下を通過して、国道254号
バイパスと県道11号とが交差する、高谷(こうや)交差点へ。南側の畑の、ハナ
モモが花盛り。

 国道バイパスを少し進んで、道上集落にある輪禅寺に入る。山門際のハクモク
レンは見頃だが、本堂前のソメイヨシノはまだつぼみだった。


 西側墓地の中心に、武田信玄の異母弟、武田信実(のぶざね)一族の墓地があり、
山門横には、ご住職夫人の作品という、焼き物の千体地蔵を祭った地蔵堂があった。


 田んぼと広葉樹林の小さい里山、それに畑と民家の点在する里道を進んで、国道
パイパスに面した、小川農産物直売所に、11時54分に着いた。


 駐車場の奥の、草地にシートを敷いて昼食の場とする。


 直売所には、地元の野菜や農産物加工品などが並び、車で立ち寄って買い求めて
行く人で、結構賑わっている。

 ==大聖寺を経てカタクリの里へ==
 
 13時5分に出発して、午後のコースへ。バイパスのすぐ先から、林間の斜面を南に
少し上がると、「下横田(しもよこた)の百庚申(ひやくこうしん)」と呼ぶ、100基の庚
申塔が並んでいる。

 60日ごとに回ってくる庚申の日に、徹夜して過ごし、長寿を願う庚申信仰の講中や
個人が、供養のために建てたもの。いずれも嘉永2年(1846)に建立された、近世
信仰の文化財である。

 国道バイパスに戻り、バイパスを越える橋を渡る。近くのヒカンザクラが見頃になっ
ていた。


 北側の経塚集落に下り、養昌寺の境内を抜ける。近くの色濃いアセビやハナモモが、
ピンクの彩りを見せていた。

 谷集落と田んぼの間の里道を東へ向かう。


 畑のあぜに、シロバナタンポポが咲いていたが、谷地田を囲む森は、まだ枯れ枝である。


 関越自動車道の嵐山小川 ICからの車道下を抜けて、小川厄除(やくよけ)大師で知
られる普光寺に行く。

 境内と、少し離れた観音堂に、小川七福神が祭られている。鐘楼の横の、開き始め
たシダレザクラのそばで、記念撮影をした。



 近くの畑に咲くハナモモの群落を横に見て、南に向かう。まだつぼみのままのソメイ
ヨシノが数本立つ、観音堂の下を通過して、東小川五丁目の戸建て住宅地に入った。

 住宅地の南側にある小川東第10公園で小休止後、国道バイパスと東武東上線の下
をくぐる。線路の東側を平行する細道に入り、菖蒲沢沼の横を進む。

 沼を囲む広葉樹も、わずかに若芽が色づき始めている。木彫作品の置かれた山間
の広場の横や、谷地田に沿って進み、線路を離れて水穴集落に入る。


 国道254号に出て東へ少しで、和具集落へ。東側斜面の急坂を標高差50mほどで、
「下里(しもざと)の観音様」と呼ばれる大聖寺に上がった。

 2階が鐘楼になっっている、ちょっと変わった山門をくぐる。山門には、「武藏国十三
仏霊場第九番札所」と記されていた。

 本堂の前を回り、さらに急な石段を上がって、観音堂にお参りをする。観音堂からは、
山に囲まれた小川町中心部の家並みや、冨士山などが望まれる。


 観音堂の下の法華院と呼ぶ保存庫には、国重文の石造法華経供養塔と板碑が保管
されていて、予約しておけば、有料で拝観できる。

 咲き残る梅林を眺め、独特の形状を見せる桑畑や、田園地帯を抜けて、槻川の左岸
に出る。


 橋を渡り、右岸の仙元山山麓沿いの遊歩道へ。山麓一帯の広葉樹林下は、カタクリと
ニリンソウの群生地。

 特にカタクリが多く、ちょうど見頃で、数え切れないほどの花が咲き競っていた。


 木の仮橋を渡って左岸に出て、近くの道の駅でトイレを借りる。もう一度橋を渡って、
突き当たりの西光寺に入った。

 室町時代後期の開創で、慶安2年(1649)には、10石の御朱印を受けているという。
山門を兼ねた鐘楼の横と、左手のシダレザクラが、かなり開花していた。

 東側の広葉樹林にも、カタクリがたくさん咲く。しだれ桜の下で、もう一度記念撮影を
する。


 さらに西に進み、次の橋を渡って国道254号に出る。小川町駅には、17時5分に着
いた。

 (天気 曇後晴、参加 14人、距離 16㎞、地図 武藏小川、歩行地 小川町)


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近くのお寺のしだれ桜が見ごろに(埼玉・所沢)

2011-04-04 20:32:05 | 所沢だより
 4月に入っても、東京電力福島第1原発の放射能処理の対応は先が見えず、
長い期間かかりそうで、真夏の電力事情が思いやられます。

 その福島原発の近くに住んでいた、昔の職場の仲間の一人、Mさんから今日、
思いがけず電話がありました。

 Mさんとは、職場の研修期間で1年間、同じ釜の飯を食べながら学び、その
後も、同じ職場で一緒に仕事をしたりしました。

 避難指示が出てすぐに、いわき市のお姉さんのところに避難されたとのこと。
元気な声を聞いて、本当に安心しました。

 実は、東日本大震災の直後、電話がつながらず、消息が分からず心配だっ
たので、避難先に届けばよいがと祈りながら、往復はがきを出して、「心配して
いるので、何らかの方法で連絡を下さい、いま必要なものは何でしょうか」など
と書いて送ったのです。

 それから半月余りになっても音沙汰がなく、はがきも戻ってこなかったので、
どうしたのだろうかと、毎日気がかりでした。

 今日の電話では、テレビを見て、郵便物の届いている場所のことを知り、取り
に行ったら私のはがきがあったので、電話をしてくれたとのことでした。

 自宅は、福島原発から12㎞くらいのところなので、しばらくは戻れそうにない
ようですが、特に不自由はしていないとのことで、ホッとしたところです。

 うれしい情報だったので今日は、春の彩りをお届けします。

 1月からの仮住まいの近くにあるお寺さんの、しだれ桜が咲き始めました。
これは、3月31日の咲き具合です。

 下の山門は、まだ完成したばかりです。

 今日、4月4日には、ほぼ満開に近くなり、きれいな彩りを見せてくれました。

 かなりの高木なので、周辺からよく眺められます。









 そのあと、所沢航空記念公園に回ったら、柳が柔らかな彩りを見せていました。


 少し強めの、冷たい風に揺れています。




 公園内のソメイヨシノは、まだチラホラといったところ。見ごろになったら紹介します。


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3度目の四国遍路(後編)・愛媛その6

2011-04-03 21:10:46 | 3度目の四国遍路
 第6日 2011年3月1日(火)
 =番外霊場鎌大師を経て今治市大西町まで=

 6時20分に起床し、7時に朝食後、YHのペアレントに腰痛の施術をしてもらう。

 右手親指と人差指を固く結び、左人指指と中指のつけ根に円筒形の金属をあて、右手
を引っ張ること3回ほど。これで良くなったはずとのこと。確かに、痛みが退いたような気
がする。

 7時40分にYHを出た。伊予鉄道の市街電車で、道後温泉駅からJR松山駅前まで行く。


 松山駅発の、JR予讃線上り電車観音寺行きは1両のみ。腰痛対策で距離の短縮を図
るため、昨日の伊予和気駅より二つ先の光洋台駅まで行く。これで約5㎞短縮できた。

 線路に平行する県道347号に出て北に向かう。3㎞ほど進んだら雨となったので、
「メディコ21」のひさしを借りて、ザックカバーとポンチョを着けた。

 今日は暖かめなので、ジャンパー無しで、厚手のシャツの上に白衣でちょうど良い。


 「花へんろの町」の看板の立つ北条の町並みへ。市街地を抜けて立岩川の橋の先にあ
った、スーパー・マルナカで昼食と、調子の悪いライターの代替を求める。


 田園地帯に出て、間もなく、番外霊場鎌大師(かまだいし)に着く。


 雨は上がった。納経の御朱印とともに、ご住職の奥様から、アップルジュース缶のお接待
をいただく。

 なお、ご住職ご夫妻は、3月29日でこの寺から出られるとのこと。以後は納経印をいた
だけなくなるようだ。

 境内には、ヘンロ小屋27号鎌大師が出来ていた。

 標高80mの小さい峠を越えて、ミカン畑の間を下って行くと、淺海(あさなみ)の家並み
が望まれる。


 ナノハナの咲く田園地帯を過ぎて町並みへ。



 原地蔵堂のところで国道196号を横切り、瀬戸内海沿いの旧道に回る。町外れの、国道
に合する手前で昼食をした。これが、私の今日の昼食である。



 左手に広がる、海や漁港などを眺めながら進む。


 菊間ミカンの販売店を過ぎ、菊間の町並みが近づくと、大きな鬼瓦などを飾った製瓦工場
が続いている。


 その一角に「お接待処」があり、地元陶芸愛好会の方が造った、陶器製の「ぶじカエル」
や鬼瓦などが並んでいたので、ぶじカエルを一ついただいた。


 製瓦工場の前には、こんなユーモラスな瓦もあった。


 町並みの入口付近にある、「やくよけ大師霊場」で知られる、番外霊場遍照院(へんじょう
いん)に参拝する。この山門にも、大きな鬼瓦が奉納されていた。


 境内のテントであめを売る2人の高齢女性から、売り物であるたくさんのあめ玉入りの袋
を、お接待いただいた。

 国道と旧道とを時々行き交いながら、海沿いをさらに東に向かう。周辺には、立派な鬼瓦
をたくさん上げた民家が、何棟も見られる。



 複雑な配管や煙突の並ぶ、太陽石油四国事業所の横を通過し、緩やかに上がる。伊予
亀岡駅の先の旧道沿いの民家には、見栄えの良い松などの庭木が目に付く。


 大西町に入り、星の浦海浜公園で最後の休憩。湾の向こうの造船所付近に、大型タンカ
ーが幾つか並んでいた。


 JR大西駅への交差点際の広い敷地に、樹齢350年以上、樹高25mという、クスノキの
大木が枝を広げていた。

 もと大庄屋だった井手家のもので、屋根上に、天水瓶が二つ置いてあるのは、大阪の陣
の際、徳川方に味方した功績で、特別に認められたものとか。


 16時52分に、JR大西駅前のあさひや旅館に入った。初回にもお世話になった宿。
風呂、食堂、部屋とも新しくなっていた。

 夕食は18時過ぎから。今日の宿泊者は私のみ。魚の煮物や肉の鍋物など。料理は素朴
だが美味しい。初回の時と同様、ご主人がすべて対応された。

 ところで腰痛だが、午前中は直ったように思われたが、午後になるとやはり痛みが出て、
施術での完治とは行かなかった。

 【コースタイム】JR光洋台駅8・43ーメディコ219・23~28ーマルナカ10・15~35ー鎌大師
 10・53~11・20ー原地蔵堂12・05ー浅海の旧道・国道合流点(昼食)12・20~53ー遍路
 お接待所13・44~50ー遍照院13・56~14・15ー葉山バス停14・47ー伊予亀岡駅前15・17
 ー星の浦海浜公園16・10~20ーあさひや旅館16・52

 (天気 曇一時雨、距離 26㎞、歩行地 松山市、今治市、歩数 42,700、遍路地図
  60ー2、62ー1、62ー2)


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3度目の四国遍路(後編)・愛媛その5

2011-04-02 20:37:36 | 3度目の四国遍路
 第5日 2011年2月28日(月)
 =松山市内の48番西林寺から53番円明寺まで=

 5時20分起床、6時にKさんと朝食を。昨夜からの雨は、朝方にはかなりの降り。雨具を
付けて6時55分に長珍屋を出たが、雨は止んでいた。

 別格9番の文殊院までは、昨日参拝しているので、遍路道を通らずに県道194号を進む。
近くの浄瑠璃町に、「衛門三郎の里」と記された建物があった。


 次の番外霊場の札始(ふだはじめ)大師堂には、「お大師様お泊跡」碑が立つ。

 着いたときには、先行するKさんが見えたが、その後、追いつくことは無かった。

 私が通過するときはいつも水のない重信川(しげのぶがわ)と、松山自動車道下を過ぎ、
番外霊場、杖ノ渕(じようのふち)に初めて寄る。

 きれいな湧水が豊富に湧き出る池を中心に、一帯は杖ノ淵公園になっている。


 48番西林寺(さいりんじ)はすぐ近く。大師堂は改築で新しい。



 納経所の近くの紅梅がよい彩り。止んでいた雨が、このあたりから再び降りだし、たちまち
本降りとなる。

 国道11号の先、久米小の塀際に、埴輪園があり、小さい埴輪がたくさん並んでいた。


 伊予鉄道を越え、県道40号に面した49番浄土寺も雨。長珍屋で求めたライターがなかな
か点火せず、手こずる。納経所の前の、ツバキとシダレ梅が見頃だった。

 本堂↑は国宝である。

 県道40号から、右手の車道へ。交通量が多いが歩道がなく、車のしぶきを浴びそう。でも、
近くの奥様が、民家の間を抜ける横道を教えてくれた。雨の中、本当にありがたいお接待だ
った。

 松山市街を見下ろす高台にある50番繁多寺(はんたじ)も、雨が激しくて参拝しにくかった。


 住宅地を抜ける次の石手寺への遍路道は、前回通った記憶が無く、裏道を抜けるコース
に変わったように思われた。

 51番石手寺(いしてじ)でも雨は止まず、手が濡れて、ローソクや線香に点火しにくい。
豊富な緑に囲まれ、幾つもの堂塔のあるこの寺は、いつも参拝者が多いのだが、今日は雨
のためか少なめだった。


 参拝を終え、少し戻って背後の坂を上がる。テニスコートの横を入り、今夜の宿・松山YH
(ユースホステル)↓にザックを預け、休む間もなく出る。


 台地を西に下って、伊佐璽波(いさにわ)神社のそばにあった、「いさにわ」という食堂で昼
食をした。


 道後温泉の前から、アーケードのある商店街を抜ける。その先は遍路標識に従い、一番山
側をたどる、遍路地図上の「甲コース」を進む。

 広い歩道のある県道20号に出て緩やかに上がる。県道に分かれ、山田池など三つの池の
そばを通過した。雨は、このあたりで止んだ。


 県道40号へ下り、番外霊場蓮華寺の山門のところに出る。寺は、山門から石段を上がった
上にある。この先の時間を考え参拝はせず、小休止して先に進む。


 国道196号を歩道橋で越え、大きなしめ縄の下がる橋水神社の横を通過する。


 JR予讃線の西に回り、大将軍神社を経て、52番太山寺(たいさんじ)へ。ザックは置いて
きたのだが、山門から本堂までの、450m続く上り坂がきつい。


 大師堂は改修工事中のため、本堂(国宝)に祭られていた。納経所のそばのしだれ梅が見頃
だった。


 16時前に納経を終え、県道183号を急ぐ。


 お陰で、53番円明寺(えんみようじ)にも無事参拝を済ませることができた。山門横には、
隠れ切支丹(きりしたん)の信仰に使われたともいわれる、キリシタン灯ろうがある。


 16時55分にJR予讃線伊予和気(いよわけ)駅に着いた。駅舎はカラフルで、モダンな造り。

 都合良く17時3分発の下り電車があり、松山駅まで行く。

 夏目漱石も乗った当時のSLが展示されている駅前から、市街電車で終点の道後温泉まで
行き、松山YHには18時2分に入った。

 部屋は301号室。ベッドが三つある部屋を一人で使う。家庭用のような風呂は、湯を入れな
くてはならないので、シャワーで汗を流して済ませる。

 18時30分頃夕食に。すでに若い人5人ほどと、歩き遍路など高年齢の人4人が食事中。

 遅れて食卓に着いたので、どの人がお遍路さんなのかは分からなかった。別室にパソコンが
4台あったが、洗濯機と乾燥機を使用したりして見る時間はなく、今日の行程のメモなどで21時
になった。

【コースタイム】長珍屋6・55ー札始大師堂7・36~45ー杖ノ渕8・10~18ー48番西林寺8・23~
 43ー49番浄土寺9・33~55ー50番繁多寺10・20~43ー51番石手寺11・20~47ー松山YHー
 12・12~15ー食堂いさにわ12・22~50ー古藤池西端13・44ー蓮華寺14・07~15ー大淵公園
 (大将軍神社)15・02~05ー52番太山寺15・25~57ー53番円明寺16・27~50ーJR伊予和気駅
 16・55

 (天気 雨後曇、距離 28㎞、歩行地 松山市、歩数 48,700、遍路地図 58ー1、58ー2、
  60ー1、60ー2図)


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3度目の四国遍路(後編)・愛媛その4

2011-04-01 20:49:49 | 3度目の四国遍路
 2011年2月27日(日)
  =46番浄瑠璃寺から別格9番文殊院まで=

 6時20分に起床、7時に朝食をして、7時36分に国民宿舎古岩屋荘を出る。


 近くに幾つもそそり立つ巨岩、古岩屋の横を進み、昨日通った八丁坂下から住吉神社
までは、同じ道を戻る。途中の梅林の梅は、まだ固いつぼみだった。


 八丁坂下に、昨日は気づかなかったが、人間かカッパのように見える雪の固まりが残っ
ていた。


 県道12号の、峠御堂トンネル(623m)を抜けるが、トンネル内は歩道がないので、車
が来るとミニライトを点けて進む。


 トンネルまでの間では、これから岩屋寺を目指す、男性と若い女性のお遍路さんと行き
交った。

 久万高原町の町並みに入って北に向かう。町中のサークルKで弁当を仕入れ、周囲の
山並みや谷間の家並みなどを眺めながら、だらだら続く国道33号を上がる。


 町外れまでは歩道があったが、その先は歩道の無い区間と、用水溝の上の細い歩道で、
家の出入り口の前が低くなっていて歩きにくいところがあった。


 峠に近い、レストパーク明神↑で小休止した。標高710mの三坂峠には正午近くに着いた
が、昼食は峠を下ってからにする。



 杉林に入り、石畳の残る「久万街道」と呼ぶ古くからの街道を下る。木々の切れ間から行
く手の展望が開けるが、今日は暖かいので霞んでいて遠望は利かない。


 林間の下りがほぼ終わったところにある、古びた休憩舎で昼食に。

 下る途中、昨夜同宿の奈良市のKさんに抜かれたが、休憩舎では一足先に食事中だったの
で、一緒に食べ、Kさんは先行する。


 明治末期から大正期に建てられたという古い遍路宿、坂本屋↑の近くには、棚田と、つぼみ
のふくらんだシキミの畑が多く見られた。


 田んぼを見下ろしながらさらに下って、番外霊場網掛石へ。

 お堂の南側の10数本のツバキは、花がいっぱい。


 そばの家の背後に、たくさんの宿り木が付いたケヤキがあった。


 近くの梅林の梅も見頃で、ナノハナも花盛りになっている。


 今夜の宿は、46番浄瑠璃寺そばの長珍屋。ここも3度目だ。15時前に着いたので、荷物
を置いて少し先まで回ることにした。

 まずは、46番浄瑠璃寺に参拝。境内には樹木が多く、お釈迦様の説法石や仏足石など、
由緒ある石や石仏も多い。


 次の47番八坂寺までは1㎞足らず。独特の山門と新しい宿坊が目をひく。本堂は鉄筋造り。
地下にある万躰阿弥陀仏↓も、一巡して拝観した。


 水をたたえた池の横や、畑の中のうっそうとした森に囲まれた神社の前を通過し、別格霊場
9番の文殊院まで行く。


 境内に、弘法大師像と、遍路の父と呼ばれる衛門三郎夫妻の新しい石像があった。

 帰路は、幾分近い県道194号をたどり、長珍屋には16時45分に戻った。

 部屋は406号室だが、廊下から入るには、隣の407号室と共通の扉が手前にあるという、
変わった造りである。

 風呂は、激しく泡を吹き出すジャージー湯。大浴場に一人で入り、腰にジャージーを当てて、
回復を図るが、あまりよろしくない。

 夕食は18時から、奈良のKさんと一緒に、これからの宿の情報交換などしながら食べた。
ほかに、車で回る10人ほどのグループも一緒。佐渡の人、埼玉県蕨市の人などがおられた。

 食事を終えて立とうとしたら、右腰痛がひどくなっていた。

[コースタイム]国民宿舎古岩屋荘7・36ー八丁坂下7・56ーH570m点7・56ーH560m点
 8・30ー河合休憩所8・56~9・06ーサークルK10・00~05ー高殿神社10・21ーレストパーク
 明神11・12~18ー三坂峠11・52ー峠下の休憩舎(昼食)12・37~13・10ー網掛石13・55~
 14・00ー長珍屋14・50~53ー46番浄瑠璃寺14・55~15・13ー47番八坂寺15・37~53ー別格
 9番文殊院16・05~21ー長珍屋16・45
 
 (天気 晴一時雨(夜)、距離 26㎞、歩行地、久万高原町、松山市、歩数 45,300,
  遍路地図 56ー1、58ー1)


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