あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

上田市内と別所温泉を歩く(長野)

2009-05-21 21:18:04 | ウオーキング
 春の連休直後、5月9日から10日にかけて、カントリーウオークのグル
ープで訪ねた、信州・上田市内とカントリーウオークの好フィールド、塩田
平を歩いたときの、初日の模様です。

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 2009年5月9日(土)

 朝7時10分、JR大宮駅高崎線下りホームに集合して、7時30分発
下り電車に乗る。高崎で信越線に乗換えて終点横川で下車した。JR
バスで新緑あふれる軽井沢バイパスを上がり、軽井沢で しなの鉄道に
乗り換える。

 小諸で乗り継ぎ、長野市から参加のYさんが待つ上田駅に、11時
53分に着いた。

 =上田城跡公園と北国街道を=



 昨日までの雨から一転、好天となり、駅前の気温表示は28℃を示す。
上田に詳しいYさんに市内を案内してもらうことにして、まずは上田城跡
公園に向かう。

 きれいに整備され、大きな水車も回る駅前を北に緩やかに上がり、細
い車道を西に少しで、上田高校正門へ。

 つつじ咲く上田城跡の外堀の中間、上田藩主屋敷門をそのまま使った
珍しい校門である。


 北側、市役所前の通りの街路樹はトチノキ。ベニバナトチノキも咲いて
いた。

 近くに、古い2階建の洋館が目につく。大正4年(1915)の建築で、
上田市立図書館(石井鶴三美術館)として、最近まで使われたものら
しい。


 突き当たりが上田城跡公園。お堀を巡らした本丸跡を囲んで、二の丸
跡の広場、野球場や陸上競技場、プールやテニスコートなどがあり、園
内は、桜やモミジ、ケヤキなどの新緑がみずみずしい。




 城門横の石垣に、「真田石」と呼ぶ身の丈を越える大石があった。
真田昌幸(幸村の父)が、上田城築城の際、北方の太郎山から掘り出
したものだという。

 城門を入り、正面の真田神社に参拝する。真田神社は、戦国時代の
天正11年(1583)、上田にこの平城を築き、城下町を造った真田父子
を主神とし、江戸時代、民政に尽くした仙台・松平の歴代藩主を祭神と
しているという。


 神社の前の桜の木陰に、木製のイスとベンチがあったので、ここで昼
食とし、弁当を広げる。

 食事を終え、本丸内部から三方を囲む内堀を見下ろし、北方の山並み
などを眺めて半周する。城門を出て、真田石の前で記念撮影。

 
 内堀沿いから、陸上競技場、プール横を抜けて公園の北東端に出た。


 北に少しで旧北国街道へ。江戸時代、全国的に善光寺信仰が広まり、
北国街道は善光寺を目指す参拝者で賑わったという。

 上紺屋町に、紺屋町泉屋という、文政9年(1826)の大火後、近くの
海野(うんの)宿から移設したという建物が残っていた。


 上紺屋町の外れで川を渡ると、北国街道は右折して柳町の家並みを
南に向かう。


 曲がり角に「保命水」と呼ぶ湧水が豊富に出ていた。明治14年
(1881)、近くの海禅寺境内に湧出した清水を引いて、町民の生活用
水にしたものとか。

 気温が上がり暑くなったので、冷たくまろやかな水はのどに染み通る。

 この柳町一帯2~300mは、白壁土蔵造りや、直線的な切妻屋根、
うだつの上がる家など、古い建物が並び、北国街道の面影をよく残し
ている。

 保命水の近くにある「木楽歩(こらぼ)」と呼ぶ木の工房は、YさんもNP
O法人の仕事で関わったとのこと。

 手作りの暖かみを感じられる木工品の数々が並んでいた。



 上田の銘酒「亀齢」の岡崎商店には、江戸時代のひな壇が飾られ、
銘酒のほか粕漬けや、野菜なども販売していた。



 北国街道は国道143号に入り、上田駅方面に向かう。幅広い通りに
も、陶器店など古い建物が散見される。


 14時21分に上田駅に戻った。駅前の温度計は31℃を示し、空気は
さわやかながら暑さを感じる。 〈続く〉
 
コメント (2)
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