あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

毛呂山から日高へカントリーウオーク(埼玉)

2008-09-20 22:45:08 | Weblog
 台風13号の襲来で雨かと予想されてきょうの天気も、台風
が早めに去って、残暑の厳しい晴天となりました。

 カントリーウオークの仲間で、東武越生線の川角(かわかど)
駅から、JR川越線・八高線高麗川(こまがわ)駅までを歩きま
した。

 近くには、巾着田(きんちゃくだ)というヒガンバナの名所が
あるように、道すじでは、あちこちにヒガンバナが見られました。


 コースレポートは別途とし、参加メンバーだけを紹介します。

 昼食地の、毛呂山町総合公園におられた、古~い古~い
大先輩を囲んで…


 日高市川端集落付近のヒガンバナなの群生地。巾着田は
大変な人出だったことでしょうが、こちらは私たちの行く前か
ら絵を描いていた、ご婦人がお一人だけでした。


 近くの民家の軒先に吊された温度計は、30℃を示していま
した。

 
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神も仏も…、関西に「神仏霊場会」発足

2008-09-19 22:29:40 | Weblog
 関西では、テレビや新聞などで報道されたのではないかと思い
ますが、関東では話題にならなかったようなので、紹介します。

 2008年9月8日(月)、世界遺産を含む伊勢神宮から比叡山
まで、西国150の神社と寺院が加盟した新しい巡拝の道である、
「神仏霊場会」が発足しました。

 明治維新で分離された神仏も、江戸時代には、伊勢参りをした
人たちが、西国の霊場や四国遍路をするなど、ごく自然に神仏の
へだてなく参拝していたということです。

 日本人は、古くから山川草木の中に、見えない神や仏を感じて
歩くという自然崇拝の歴史がありました。

 それが明治政府による神仏分離政策により、不自然な関係に
置かれてきたわけです。このような関係を解消して、本来の神仏
同座の関係に復そうという動きが起こり、紀伊熊野、奈良、京都
の世界遺産を含む西国150か社寺による神仏霊場会が発足し
たのです。

 霊場は、特別参拝の三重県・伊勢神宮を初めとして、和歌山
県の熊野速玉大社、西国三十三観音霊場1番の青岸渡寺、熊
野本宮大社、道成寺、高野山金剛峰寺など13社寺、

 奈良県は、東大寺、春日大社、唐招提寺、法隆寺、樫原神宮、
長谷寺、室生寺、吉野山金峰山寺など28社寺、

 大阪府は、住吉大社、今宮戎神社、四天王寺、大阪天満宮、
四条畷神社、総持寺、勝尾寺など24社寺、

 兵庫県は、生田神社、西宮神社、湊川神社、永田神社、須磨
寺、園教寺、一乗寺など15社寺、

 京都府は、石清水八幡宮、善峰寺、神護寺、北野天満宮、上
鴨神社、三千院、吉田神社、清水寺、伏見稲荷など52社寺、

 滋賀県は、多賀大社、長濱八幡宮、永源寺、日牟礼八幡宮、
石山寺、それに最後の延暦寺など18社寺が加盟しています。

 神仏霊場会発足までの歴史的背景や経緯などについては、
廣川勝実著 集英社新書『神と仏の風景「こころの道」』に詳し
く述べられています(本体700円、8月24日発行)。


 また、公式ガイドブックとして、神仏霊場会・編により、『神と
仏の道を歩く』が、集英社新書ヴィジュアル版(本体1333円、
9月10日発行)で刊行されています。

 本書では、各霊場が見開き2頁で紹介されていて、左頁には
それぞれの社寺の代表的な建物が、精密なペン画で画かれて
います。

 本書の帯に記された霊場一覧です。


 心に迷いを持つ人が多くなっている今、こころの道を求めて、
西国三十三番観音霊場巡りや、四国遍路などにつづく新しい
霊場巡拝として、盛んになるかもしれません。

 この原稿を書きはじめたところ、タイミング良く、21時からの
NHK総合TV「ニュースウオッチ9」でも、かなりの時間をとって
紹介しましたので、ご覧になった方もおられるかと思います。


 
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名月の里・姨捨を歩く(長野県)

2008-09-18 22:18:10 | カントリーウオーク
 2008年9月6日(土)

 久比岐(くびき)自動車道歩きからの帰途も、往路同様に青春
18きっぷで戻ることにした。JR信越、篠ノ井、中央、武蔵野
各線を乗り継ぐルートを検討した結果、直江津を朝早く出れば、
途中で4時間くらいの寄り道ができそう。

 そこで、カントリーウオークの仲間が5月に歩いたが、私は腰
痛で参加できなかった千曲市内のコースのうち、JR篠ノ井線の
姥捨(おばすて)駅周辺だけを回ることにした。

 直江津駅発6時50分の長野行きに乗る。乗り換えた長野発
松本行き3両編成の電車は、稲荷山駅を過ぎると上り急勾配を
一気に上がり、千曲川沿いの町並みがどんどん下になって行く
のが分かる。

 いったん駅の下方を先方まで進み、スイッチバックして、姨捨
駅に9時半に下りた。



 姥捨駅の標高は547m、駅は25/1000(40m進んで1m
の高低差がある)の急勾配の場所にあり、スイッチバック式に
なっている。

 高所なので眺めが良く、熊本県えびの高原線の矢岳駅、北海
道・根室本線狩勝駅とともに日本3大車窓の一つに数えられて
いる。

 ホームのベンチは普通、線路側を向いているものだが、この駅
では善光寺平を眺められるよう、反対側を向いていた。


 遠方の山並みはちょっと霞んでいたが、東側に「田毎(たごと)
の月」で知られる色づいた棚田や、千曲川沿いの家並みなどが
一望できる。


 無人の駅を出て、戻る方向に進んで最初の踏切を東に下る。
踏切は上下二つあり、最初は駅構内の延長上の線路、その下
は乗ってきた長野方向からの線路である。

 下の踏切際に、古い姥捨公園案内板があったのでその方向
に進む。線路の下の林を上がると、公園の東屋(あずまや)が
あった。

 桜などの木が伸びて、さほどの展望はないが、背後の5つの
氏神が並ぶところに上がると、北側の千曲川沿いの家並みや
田んぼが見下ろせる。


 公園内に、

 「名月や 思ふまじきは 過去未来」
 
   と自然石に刻まれた可都三の句碑が立っていた。

 色づきはじめたリンゴ畑の横を下り、姥捨集落に入る。曲がり
くねった道路が上下にあり、地図のどのあたりかが分かりにくい。
民家のの周囲にも小さい棚田が何枚もある。

 広い車道に出て緩やかに下ると、大きな黒瓦の建物があった。
姨捨観光会館で、更科(さらしな)そばが食べられるが、11時
からとのことだった。


 そばに、かやぶき方形屋根、舞台造りの建物が見えた。天台
宗の古寺、長楽寺の観音堂である。


 長楽寺は、信濃三十三番札所第14番霊場。曲がり家になっ
ている本堂もかやぶき屋根。ともに天保5年(1834)の再建と
いう。

 姨捨は、古今和歌集(905)の時代から月の名所として知ら
れ、松尾芭蕉など多くの文人墨客が訪れており、境内には松尾
芭蕉の、

「信濃では 月と佛と おらが蕎麦」

   を初めとする、数え切れぬほどの句碑が立ち並んでいる。


 観音堂と南側の月見堂(下)の間には、姥石と呼ばれる大岩が
あり、月見堂のかたわらに樹齢800~1000年というカツラの
古木が立つ。


 この日、長野県内は30℃を超えて残暑が厳しく、ここまで来る
だけでも大汗をかく。木陰でひと休み後、姨捨の棚田巡りに向か
うことにした。


 小さい流れの更級川を渡った東側斜面に、色づいた棚田が一
面に広がる。棚田の中心にある姪石苑(めいしえん)と呼ぶ建物
の向こうで先客が5人、棚田の眺望を楽しんでいた、と思って近
づいたらかかしだった。


 棚田内の道をあちこち回り、上の方にある東屋にも上がり、す
ばらしい棚田の展望を満喫した。



 姪石苑の下には、10数個のかかしが立ち、その下にある姥石
とよぶ岩には、お地蔵さんのような石仏が祭られていた。


 棚田に接したリンゴ畑のリンゴも、色づきはじめている。






 ビオトープになっている湿地の横を下って更級川の新雲井橋を
渡る。対岸の車道上には、「田毎の月」の名のおこりという、小
さい田が集まった四十八枚田が、保存会の手で守られており、
中ほどに宝永3年(1760)銘の田毎観音が祭られていた。


 かんかん照りにもかかわらず木陰がないので暑い。まだ1時
間以上余裕があるが、棚田巡りはこの辺で切り上げることにした。

 車道を上がって最初に寄った姨捨観光会館に正午近くに入り、
とろろそばを注文、了解を得て持参の弁当も一緒に昼食をする。

 時刻を見計らって観光会館を出る。姨捨集落を抜け、下ったと
きとは反対の松本方向の踏切に上がって姥捨駅に戻り、12時
38分発松本行きで帰路についた。

 (天気 晴、距離 5㎞、地図(1/2.5万) 稲荷山、麻績(おみ)、
 歩行地 長野県千曲市)
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「消える日本の自然」発刊

2008-09-16 23:18:28 | Weblog
 9月13日(土)、恒星社厚生閣という学術系出版社から、
「消える日本の自然」という新刊書籍が送られてきました。



 今、日本列島では、自然環境の変化が急速に進んでいます。
その様子を、何十年か以前と現在の写真とで比べ、理解して
もらおうというものです。

 森林、草原、湿地、里地里山、川・湖沼、海岸、干潟、サン
ゴ礁、海中林などについて、阿蘇山、日光、諫早湾、天竜川、
釧路湿原、知床半島などの変化を写真で対比してあります。

 さらに後半では、各々の分野の専門家が、文章やグラフ、図
などで詳しく解説しています。

 日本の自然や環境問題に感心を持っておられる方をはじめ、
多くの方に、日本の自然の現状と将来を考えていただく手がか
りとして、本書をご覧になることをお薦めします。
 
 ところでなぜ、この本が私のところに送られてきたのか?

 それは、昨年3月に四国遍路をしたときのことを当ブログで、
「四国遍路ふたたび」というカテゴリーにて連載したのを、この
本の編集者であるOさんがご覧になり、その中にあった高松
市郊外の屋島山上から壇ノ浦を見下ろした写真を、本書に使
用させて欲しいとの連絡をいただいたからです。

 本書の内容を伺い、私の写真が役立つならと喜んで提供し
たところ、発刊されたからとOさんが送って下さったのです。

 それが下の写真ですが、この写真と1930年代以前という
写真とを比べてみると、細い水路を挟んでびっしり住宅が並
んでいるあたりは当時、壇ノ浦の広い海面になっていました。



 源平の合戦場だった壇ノ浦は、埋め立てられてほとんど姿
を変えてしまった、ということがよく分かります。



 本書の概要は以下のとおりです。

 鷲谷いずみ編 A5判280頁(うちカラー104頁)
 恒星社厚生閣発行 定価3,150円(本体価格3.000円)

 ちなみに、編者の鷲谷いずみ氏(東大大学院教授・保全生
態学)は、朝日新聞東京本社発行 9月15日付朝刊、「人と
自然輝く元気な里」という記事の、選定中という「日本の里
100選」の選考委員の一人になっているようです。

 なお、恒星社厚生閣のWebは、下記をご覧下さい。

 http://www.kouseisha.com/

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久比岐自転車歩行車道を歩く④(新潟県)

2008-09-15 21:10:01 | ウオーキング
 2008年9月5日(金)〈続き〉
 =上越市内、親鸞聖人ゆかりの社寺へ=



 久比岐自転車歩行車道の終点から、糸魚川駅までは4㎞ほど
だが、まだ早いので、駅に向かわず親鸞聖人上陸地や周辺の社
寺を回ることにした。

 海岸沿いに下ると、直江津海水浴場の砂浜が広がる。海の家
は閉鎖されているが、シーズン中には結構な人出があったと思
われた。

 1㎞余り浜辺を進んだ五智六丁目の台地下に、「親鸞聖人御
上陸居多ヶ浜(こたがはま」の石碑が立つ。

 台地に上がると、海を見下ろす好展望地に小公園があり、「承
元(じようげん)元年(1207)春、旧来の仏教による弾圧を受け、
越後国府へ流罪となった親鸞聖人は、京から追放され北陸道を
下り、木浦(糸魚川市能生)から舟でここ居多ヶ浜に上陸し、35
歳から42歳までの7年間を、この国府で過ごした。」との説明
板や、親鸞聖人の言葉を記した石碑などが立っていた。


 そばに「居多ヶ浜記念堂」と記された建物があり、「ご自由にお
入り下さい 拝観料は無料です」と書かれていたので入る。


 正面に親鸞聖人が祭られ、壁面やガラスケース内などに親鸞
の言葉や、関係の書物、写真などが飾ってある。


 ひと通り見ていたら、奥から留守番の女性、Mさんが現れ、テ
ーブルでお茶を入れて下さり、ミニトマトや漬け物も勧めてくれた。

 いただきながら話していたら、「弁当は持っているの?」と聞か
れた。「用意してない」と言うと、「近くには食堂も店も無いので、
自分の弁当を分けてあげるから食べなさい」と言う。

 いいからとお断りしたが、ジャムを塗った食パン1枚と、半分に
切ったおむすび、それにインスタントみそ汁も入れて下さる。せっ
かくのご好意なので、ありがたくいただく。四国遍路以来の、思
いがけずのお接待だった。

 1時間近くゆっくりし、Mさんに厚く御礼申し上げ記念堂を出る。

 近くにある親鸞聖人ゆかりの社寺のうち、まず居多(こた)神社
に向かう。小さめの石鳥居をくぐり、横の参道から神社の境内に
入った。

 改築したばかりのようで、社殿は白木が真新しい。

 居多神社は越後一の宮で、延喜式(えんぎしき)神明帳に記載
された式内社。越後国司 上杉家の厚い保護を受けて崇敬され、
今日(こんにち)では縁結び、子宝祈願の神として信仰されている
ようだ。

 居多ヶ浜に上陸した親鸞聖人は、まずここ居多神社に参拝し、
 
  すゑ遠く 法(のり)を守らせ 居多の神
    弥陀(みだ)と衆生(しゆじよう)の あらん限りは

と詠(よ)まれ、早い赦免を祈願したところ、一夜にして境内の芦
(あし)が片葉になったという。境内には、越後七不思議の一つと
もいわれる、その「片葉の芦」が群生していた。


 神社の広い駐車場横を東に上がり少し北の五智国分寺へ。
奈良時代、聖武天皇が諸国に建立した国分寺のうち、越後国分
寺の寺号を受け継いだ寺で、永禄5年(1562)に上杉謙信が
再興したものという。


 朱塗りの山門を入ると、境内は広く緑が豊富。正面に大本堂
が他を圧倒して立つ。


 右奥に親鸞聖人最初の配所で、自ら刻んだ聖人座像をまつる
(下)竹之内草庵、近くに親鸞聖人像や親鸞聖人腰掛石などが
ある。


 山門を入って右手にある三重塔は、安政3年(1856)の再建。
高さは25.85mで、県の文化財になっている。


 あい対する左手には白山神社、上越市内最古の建物・経蔵、
ほかに芭蕉句碑、筆塚など見るものが多く、山門そばには、とこ
ろてんなどを出す茶店も出来ていた。

 居多神社の駐車場横まで戻り、休憩所や売店のある五智歴史
の里会館も少しだけのぞく。

 南に進むと、大きなハスの葉に埋め尽くされた池が両側にある。
花の時期は過ぎ、実が付いていたが、咲き残りのつぼみもあった。


 右手の杉の豊富な境内を上がり愛宕神社へ。延歴元年(782)
勧請(かんじよう)の古社で、上杉謙信は、出陣の前には必ず祈願
したという。

 上杉謙信の軍配、太刀、朱印状、陣太鼓など文化財に指定され
た宝物も多いらしい。社殿前に、ご神木になっている杉の古木が、
高く枝を伸ばしていた。

 すぐ北側のこけむす石段を上がって、境内社の白山神社にも参
拝し、池のそばに戻った。

 南に進み、もう一つの池の東に回って、本願寺国府別院に入る。

 居多ヶ浜に上陸した親鸞聖人が、1年後にここに移って恵心尼
(えしんに)と暮らし、建保2年(1214)、関東へ旅立つまで念仏
の教えを広めた竹ヶ前(たけがはま)草庵のあった場所で、浄土真
宗発祥の地ともいうべきところ。

 大きな本堂は、文化2年(1805)の建立。内陣が極彩色に彩
られた堂内に入って参拝。広い天井には、たくさんの天井画が描
かれ、きらびやかなふすま絵にも眼をひかれた。


 境内の片隅に、親鸞聖人が居多ヶ浜に上陸したときの様子を
しのぶ小さい立像がある。親鸞は二人の供(とも)を連れていた
というが、どれが親鸞かは分からない。


 正面から東に進み、JR信越線の線路際で北に向かい、住宅街
を進んで光源寺に行く。

 建暦元年(1211)に親鸞聖人の弟子、最信(さいしん)によって
開かれた寺。ここも、本堂内陣の彩色や彫刻がすばらしい。境内
に、ここで詠んだ高浜虚子と稲畑汀子父娘の句碑が立っていた。

 まだ陽は高いが残暑が厳しいので、4㎞ほど南、上杉謙信ゆか
りの春日山まで回る気にはならず、五智の町並みを進み、15時
20分にJR直江津駅に着いた。

 この日は、駅の南西にあるビジネスホテルに最後の宿をとる。

(天気 晴、距離 19㎞、地図(1/2.5万) 名立大町、高田西部、
 歩行地 糸魚川市、上越市、歩数 34,200)
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久比岐自転車歩行者道を歩く③(新潟県)

2008-09-14 21:58:55 | ウオーキング
 第2日 2008年9月5日(金)
 =名立から直江津へ=


 
 昨日の曇り空と変わって好天となり、残暑が厳しそう。谷浜の
民宿で朝食を早めに出してくれたので、予定より1本早い電車
に乗る。昨日のゴール、名立(なだち)駅に戻り、7時38分にスタ
ートした。

 昨日寄った名立寺の先の交差点から、自転車道に入る。自転
車道は名立大町の家並みの東側を通過するので、西側の海沿
いの、宿泊施設や地場産業館、健康ランドなどのある「うみてら
す名立」には寄らずに先へ進む。


 名立小泊集落の宗龍寺の本堂に、「竜宮の鐘」と記された鐘
が下がっていた。

 寛永4年(1627)の「名立崩れ」で土砂とともに海中に押し出
された鐘が、明治初年(1878)頃、異様な海鳴りに気づいた
猟師たちにより引き上げられたもので、安土桃山時代以前の作
と見られる古い鐘だという。

 隣の日前神社境内には、カシやケヤキの古木が多く、社殿の
木彫もなかなか精巧なものだった。


 集落のはずれで、自転車道は海沿いの国道8号横に下った。


 紺碧の日本海を左に見ながら、再び少しずつ高みに上がり、
穏やかな日本海の絶好の展望地となる。

 絶壁で突き出た岬が右に大きくカーブするあたりが鳥ヶ首岬。
下の写真は、岬を回ってふり返ったところ。 

 何の表示も出てないが、ここが、私も2年前から参加している、
やまさんの「国際ウオーキングトレイル」実踏ルートの出発地で
ある。

 岬の先で短いトンネルと洞門を抜け、右手の山から急激に下
る斜面下を進む。

 上の写真も、洞門の先からふり返ったもの。

 日差しが次第に強まり汗が出るが、自転車道の中で一番、海
の眺めの良いところだった。


 岬から1.5㎞ほどの乳母岳トンネル(463m)と青木坂トンネル
(321m)を通過、行く手に有間川の集落や漁港が見えてきた。

 有間川集落の入口付近にあった有間川休憩所のベンチで小
休止。

 簡易トイレと水飲み場、ベンチ、日差しをさえぎる藤棚などが
設けられていた。

 すぐ先の自転車道の両側は、黄花コスモスが花盛り。


 有間川駅の手前から国道8号沿いとなり、漁船の見える有間
川漁港の傍らに、海の展望場所らしい「有間川フィッシャリーナ」
と呼ぶ独特のデザインの建物があった。


 集落の東で桑取川にかかる有間川橋を渡ると、屋根つきの
有間川駐輪場が設けられていた。

 谷浜海水浴場の砂浜が近づき、自転車道最長の長浜トンネル
(467m)に入る。

 トンネル内は皆涼しいが、長いだけにこのトンネル内は、特に
涼しく感じられた。

 上越終点3.7㎞の表示があり、再び国道8号沿いへ。以後、
終点までずっと国道沿いで、日差しが強まり暑さが一層厳しい。

 長浜集落に入り、昨夜泊まった谷浜駅付近まで、海水浴や
釣り客を対象の民宿が、国道に沿ってずっと並んでいる。


 駅のそばに、大きな木造2階建ての越後酒蔵資料館があった
が、閉館していた。

 昨夜の民衆の前を通過し、最後の岬、虫生岩戸に向かって緩
やかな上りとなる。のどが渇くのでコンビニ・ディリーでアイスを
買い、日差しを避けて店の影で、谷浜海水浴場や、有間川、鳥
ヶ首岬方面ををふり返りながら、休憩した。



 虫生岩戸の岬も何となく過ぎ、緩やかに下って海に突き出た
釣り場、海洋フイッシングセンター(上)を通過し、11時15分に
久比岐自転車歩行車道の終点である、郷津交差点に着いた。

 大きな表示はあるが休憩所もコース案内もない、ちょっと拍子
抜けのゴール。その先は、車の多い国道8号か左の海岸に下
る車道を勝手に進めといわんばかりで、不親切なゴールだった。
                              (続く)

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関東百駅巡礼歩行で桐生へ(群馬)

2008-09-13 21:16:46 | Weblog
 残暑が続く今日は、やまさんの「関東百駅巡礼歩行」の第47
番で、JR両毛線桐生駅に集合し、古い街並みの残る桐生の
市街地を巡りました。

 桐生駅前での参加メンバー。カメラの私を入れて5人でした。

 いずれもおなじみの顔ぶれです。

 桐生駅前交番です。平成になってからの改築とはいえ、駅前
交番としては異色の建物でした。

 近くに、観光案内所のような設備もあるのですが、交番にも
観光地図などが幾つか用意されていました。

 駅前からこのような風情。市街地を歩くと国の重要文化財に
指定された建物などがあちこちで見られ、織物の町・桐生の
名残を幾つも見ることが出来ました。

 9月に入ってからのウオーキングレポートが、まだ何日分か残
っているので、詳細は別途報告します。

 というわけで、今日は外出のため、その溜まったレポート入力
の時間もありませんでした。
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久比岐自転車歩行車道を歩く②(新潟県)

2008-09-12 22:30:03 | ウオーキング
 第1日 2008年9月4日(木)
 =糸魚川から名立まで〈続き〉=



 正午過ぎ、草の生えた重厚なかやぶき屋根が目につく、能生
白山神社境内に入った。本殿は室町時代の永正12年(1515)
建立で、国の重要文化財だという。


 本殿右手背後の斜面から名水が流れ出ていたが気付かず、
たまたま後から来た3人の女性が行ったので分かった。まろや
かな味わいの名水で、乾いたのどを潤す。


 境内には、黒瓦ぶきの秋葉神社もあり、天井には、天保13
年(1842)、伝・松尾米庵画という雲龍図が画かれていた。


 南側斜面上にも、こけの生えたかやぶきの曲がり家、能生歴
史民俗資料館があったが、週末以外は休館で、入れなかった。


 白山神社の先で、自転車道は、長さ336mの旧国鉄北陸線
白山トンネルに入る。中は照明が点いて容易に抜けられる。


 神社に来た3人の女性は知らなかったようで、私の後を付い
てきて、抜けたところで分かれた。

 トンネルの先は、権現岬を回った能生小泊集落。集落の終わ
るあたりで、次の小泊トンネル(326m)に入る。トンネルは、右
に大きくカーブしていた。


 トンネルの先には、海側がくり抜かれた雪覆いの洞門があり、
海側にある道の駅能生の、鮮魚センターなどが見下ろせる。


 洞門を出て国道をまたぐ橋を渡り、「マリンミュージアム海洋」
と、海に浮かぶ付属施設、越山丸〈上〉の間から、道の駅に続く
能生海洋公園の芝生広場に入った。

 公園には、ローター直径29m、3枚羽根の風力発電装置が
回っていた。雨がポツポツしてきたので、そばの東屋にザック
を下ろして昼食にした。

 食事を終える頃には雨は上がった。道の駅までは回らずに先
に向かう。次の岬、島崎は、百川(ももかわ)トンネル(161m)
で抜ける。

 百川の集落も、黒瓦の屋根の民家が海岸に沿って続いていた。
自転車道は百川から藤崎(とうざき)へと、海沿いの国道や集落
より山側の高みを回っている。

 藤崎集落の東端近く、小さい川に鉄橋の跡らしいレンガ色の
橋脚が残っていた。


 

 筒石の家並や筒石漁港が近づき、その向こうに岬が立ちはだ
かる。


 高台の筒石観音堂から漁港を見下ろしながら小休止。観音堂
に続く寺も、大屋根のりっぱな本堂だ。


 黒光りのする瓦屋根の民家が続く筒石集落を抜け、2㎞ほど
進む。山側から湧水が流れ落ちていたので、手ですくってのど
を潤した。

 大抜トンネルの手前に、名立(なだち)休憩所がある。日本海の
好展望地で、そばに小さい棚田もあった。


 大抜きトンネルは長さ391m、入口のレンガ積みはきれいで、
線路こそないが、今にも列車が走ってきそう。


 今日のゴールが近づき、名立川の魚野橋を渡る。北陸自動車
道の高い高架橋が川を横切っている。

 名立大町の家並みに入り、二つ目の交差点を右折して名立駅
に向かう。近くに歴史ありそうな名立寺があったが、建物は由緒
などを記したものはない。

 本堂横に、明治11年(1878)9月に明治天皇が北陸東海
巡行の際駐泊したとの説明と、行在所〈あんざいしょ〉跡を示す
石碑があった。

 現在のJR北陸本線は山側を幾つかの長大トンネルで抜けて
いる。名立駅も町並みから1㎞ほど離れた名立川の傍らにあり、
駅の両側はすぐトンネルになっている。

 16時25分に着き、直江津行き電車で二つ先の谷浜駅まで
行き、予約した駅前の民宿に入る。

(天気 曇、距離 28㎞、地図(1/2.5万) 糸魚川、梶屋敷、
 名立大町、歩行地 新潟県糸魚川市、歩数 46,900)
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久比岐自転車歩行者道を歩く①(新潟県)

2008-09-11 22:46:01 | ウオーキング
 「久比岐(くびき)自転車歩行者道」とは、旧国鉄北陸本線の
線路跡地を利用した、国道8号線に沿って走る自転車と歩行
者の専用道路。

 上越市虫生岩戸(むしゆういわと)から糸魚川市中宿(なかじ
ゅく)まで全長は32㎞ある。

 「くびき」とは、新潟県上越地域(上越市、糸魚川市、妙高市)
の古い呼び名で「久比岐」または「頸城」と書く。

 なぜこの道を歩こうとしたか…。約ひと月前、塩の道・千国
街道歩きのゴール後、糸魚川市内の小公園に寄った際、東屋
(あずまや)で読書をしていた男性から、「塩の道と違って、海
沿いを歩ける自転車道があるから、歩いてみないか」と勧めら
れたことがきっかけである。

 すぐ近く、駅前の観光案内所で、コースガイドはないか尋ね
たら、「ここにはないが、もしかしたら駅西側の自転車店にあ
るかもしれない」と教えてくれた。

 その自転車店に行き、声をかけたら、「あなたの来るのを待
ってました!、ありますよ」と店主らしい人が、手元の「久比岐
自転車道ガイドマップ」を渡してくれた。

 残暑やゲリラ豪雨も落ち着いてきた9月3日(水)、再び青春
18きっぷで、JR武蔵野線、中央線、大糸線を乗り継いで糸魚
川駅に降り立った。

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 第1日 2008年9月4日(木)
 =糸魚川から名立まで=


 
 前日の雨も上がり、曇り空となった。糸魚川市街西部の旅館
を7時過ぎに出る。糸魚川駅構内のコンビニで弁当を求め、7
時35分に出発した。

 駅前通を真っ直ぐ行くと、海岸のそばに、この歩きを勧めてく
れた人と会った海望公園があるが、手前の大町2丁目の交差
点を右折し、中心街の通りを東に向かう。

 すぐ先に、早稲田大学校歌や「カチューシャ」、「春よこい」など
の作詞者として知られる相馬御風(そうまぎょふう)の生家が
あった。

 御風は、明治・大正・昭和3代にわたり、人間の真実を求め、
文学・歴史・民族などの研究にその生涯をかけ、特に良寛の研
修者として知られ、著書も多いという。

 海川橋を過ぎて、海際から来た国道8号と交差すると、通は
狭まり、古くからの街道らしさを感じさせる家並みが続く。


 梶屋敷駅の手前で、線路を越える橋を渡って、南側にある大
雲寺に寄る。

 越後らしい独特のつくりの大本堂。ひなびた山門の両側にあ
った、石をくり貫いた中に祭られた小さい石仏群が珍しい。

 梶屋敷駅には、直江津に遠足に行くらしい近くの大和川小の
低学年児童がザックを背負って並び、教師の注意を聞いていた。

 古い商店や民家の続く梶屋敷の家並みの一角に、「明治天皇
御駐輦碑」が立つ。

 すぐ先で国道に出ると、穏やかな日本海の展望が広がる。早
川の橋から眺める南側は、雲の残る山並みの展望がよい。


 橋の先が、久比岐自転車歩行者道(以下「自転車道」という)
の入口。黒松の下に、東屋(あずまや)とルート案内図がある。

 ここから上越市内の終点までは、32㎞の道のりである。

 目の下の海岸は、ゴロゴロした石が多く、後方にも行く手にも、
スパッと切れた岬が望まれる。9時10分に、まず行く手の岬を
目指して自転車道をスタートした。


 1㎞余りの最初の集落、中宿には、早くも中宿休憩所がある
が、歩き始めたばかりなので通過する。

 家並み続きの中浜にも中央川休憩所が、同じくらいの間隔の
浦本漁港そばには、芝生がきれいな浦本海岸公園があり、トイ
レも設けられていた。


 青空も見えて気温が上がってきたが、海からの風が気持ち
よい。行く手に高見崎が迫ってきた。

 JR浦本駅の先で、国道8号より山側に回って国道沿いを進
む。赤帽子を被った地蔵さん2体が、路傍のお堂に並んでいた。
高見崎に向かい緩やかに上って振り返ると、浦本の展望がよい。


 岬を過ぎたら次第に国道から離れ、緑豊富な道筋を抜けて鬼
伏(おにぶし)集落に入る。


 すぐ上には、北陸自動車道が迫ってきた。アンテナの立つ次
の岬が現れ、再び国道際に下って鬼舞(きぶ)集落へ。

 海を見下ろす高台に、御霊神社がある。石鳥居には、「備後
尾道石工惣八作 嘉永2年(1849)8月吉日」と刻まれていた。


 このあたりの家は、何れも黒光りのする瓦屋根。ずいぶん前
の出張の帰途、国鉄北陸本線で通過した際も、車中から見た
光景が同様だったことを思い出す。


 左手に大きな本堂の寺が見えてきた。地形図にも記された
西性寺。寺に下ったら庫裡(くり)も趣ある造り。

 寺は幼稚園を併設していて、園児が庭や本堂の縁の下で
遊んでいた。

 木浦川の橋から南側は、色づいた水田や北陸自動車道、そ
の向こうに緑の山並みなどの展望が広がる。


 山すその高みを通過して浜木浦(はまこのうら)集落を抜ける。
次の岬に向かって緩やかに上がって振り返ると、浜木浦から
鬼舞へと湾沿いの家並みが続いていた。


 岬を回るあたりも、国道より高みなので海の展望がよい。国
鉄時代の石積みの壁面に付いたツタが、秋を告げる色づきを
見せていた。

 その先の壁面には、崩壊防止のテトラポット状のコンクリート
がたくさん止められていた。

 能生(のう)川のたもとにあった能生駐輪場のベンチで、海を眺
めながら休憩。川を渡ると自転車道中で最大の町並み、能生に
入る。

 現在は糸魚川市内だが、旧能生町役場付近が町の中心らし
い。旧役場前にあったサンエイというスーパーで飲物を補充す
る。このあたりでは、自転車道も住民の生活道路と並行して
いた。

 少し先で、「越後新四国八十八ヶ所第1番霊場白寿観音霊
場光明院」の看板が目に入ったので、右手斜面に上がった。

 急石段の上にりっぱな山門があり、緑豊富な境内にサルス
ベリが咲き、越後風の本堂がある。だがこちらは、第2番霊場、
実相院だった。

 石段の横にある大ケヤキもなかなかのもの。

 1番霊場光明院は、道を挟んだ西側を上がったところ。実相
院より新しく庭も草が生えていたが、墓地の前に古い石の羅漢
像が並び、寺の歴史がしのばれた。          (続く)

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久しぶりに関東山の辺の道へ

2008-09-10 19:48:40 | Weblog
青春18きっぷの残りを使って、私のオリジナルウォーク、関東平野の
ふちをたどる、関東山の辺の道歩きに出かけた。
スタートは、JR烏山線の仁井田駅、昨年4月以来である。
黄金色になった田園地帯を西に向かう。
高根沢町歴史民俗資料館に寄り、1月の関東百駅で歩いた宝積寺の
町並みを通過して、鬼怒川橋を渡る。
宇都宮市に入り、中岡本から瓦谷町を経て、うつのみや文化の森に
入り、県立美術館を観覧した。
日没ちかく、上戸祭町交差点に着き、ゴールとし、バスで宇都宮駅
に向かう。
今は、帰途のJR宇都宮線車内からの報告です。まもなく大宮か。
添付写真はありません。
詳しくは別途パソコンから。
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