あるきメデス

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四国遍路道ある記(後編)・香川その7

2006-12-25 21:14:16 | 初めての四国遍路
 第17日 2004年11月29日(月) 晴
 <87番長尾寺、88番大窪寺>
 =無事大窪寺に結願=


 
 5時50分起床、6時25分から朝食、いしや旅館のおかみさん
の見送りを受け、7時12分に出発。Iさんは先に出発していた。
いよいよ今日は結願(けちがん)の日である。

 もう一度86番志度寺に参拝。五重塔を撮って山門を出たら、
向こうからUさんが見えた。近くの旅館に泊まったとのことで、
「ここでまた会うとは思っていなかった」とビックリしていた。

 南に向かう県道3号を進む。やはり朝は冷えており、吐く息
が白い。しばらく会わなかった広島のHさんとも会う。かなり
の交通量があり、歩道のないところは車に注意しながら進む。

 高松自動車道を過ぎ、オレンジタウンと呼ぶ新興住宅地を
東側の谷間の向こうに見ながら行く。長行集落の当願大明神
の先から県道西側のへんろ道に入った。民家や田んぼの横
の里道を進み、再び県道を横切り東側へ。

 尽誠集落に番外札所玉泉寺があったので立ち寄り、参拝
する。四国曼陀羅霊場とも呼ばれるところ。本堂には錫材
回しと玉落としがあり、狭い境内に古木の藤棚があった。
葉の落ちた桃の木に、もう次の芽がふくらんでいた。


 風ひとつ無く、今日も穏やかで、結願にふさわしい日和。
広瀬橋の先で、おばあさんからエスカップのお接待をいただ
いた。


 吹き抜けの屋根下にベンチのある「遍路さん休憩所」前で
遍路橋を渡る。香川東部養護学校横を通って87番長尾寺
に着いた。

 山門を入ったところに大クスが立つ。本堂、大師堂と、もう
一つのお堂が横に並び、その前は広い空地になっている。

 本堂の軒下には精巧な木彫が施され、山門前には、弘安
6年(1283)と弘安九年の銘があるという国重文の大きな
経幢があった。

 さらに県道3号を南に、さぬき市長尾町の町並みを抜ける。
塚原の交差点で、県道と鴨部川の間の旧道のへんろ道に
入った。釈迦堂の説明板があり、お釈迦様の石像や、明和
2年(1765)の供養塔、光明真言二百万遍祈念碑など、
数基の石像が並んでいた。

 この辺りには、さぬき市で最近立てた旧跡やへんろ道の
説明板が多く、市のへんろ道に対する配慮の高さが感じら
れた。

 平行する鴨部川沿いの竹が大量に倒されていたり、道路
の土砂崩壊か所がいたるところにあったりして、先月の台風
で上流の前山ダムの水を大量放流して災害になったことが
うかがえる。


 その前山ダムに向かって上り道となり、ダムの南に回りこ
んだところにあった「前山おへんろ交流サロン」に入る。思い
がけずKさんも先着していた。四国遍路の歴史や、資料、
写真などが多いのでゆっくりと参観する。

 入館者ノートに記帳すると「四国八十八ヶ所遍路大使任命
書」がもらえるというので記帳したら、木村館長から第700号
の任命書をいただく。よい記念になった。

 南側の「道の駅ながお」で、パンと草餅、牛乳を買ってきて
昼食。バスで先行するというKさんと分かれ、U、H、Iの皆さん
と12時に館を出る。
 
 88番大窪寺へは、標高774mの女体山越えへんろ道を
行きたかったが、館長から多数の崩壊か所の写真を見せら
れ、県道を行くよう勧められたので、回り道だが県道3号を
行くことにした。

 緩い上り坂が続く県道、途中、昼寝城址案内図のある
東屋で休憩。東京・東久留米市からの区切り打ちのご夫妻
が休んでいた。

 額峠を越えると下り道となる。先頭のHさんのピッチが早い
ので、Uさん、Iさんとゆる足でのんびり進むことにした。

 多和小近くの三差路で国道337号に入り、上り下って旅館
竹屋敷の横を過ぎる。周辺の山々は上の方が色づいてよい
彩り。

 竹屋敷の少し先からへんろ道になっている旧道に入り、車から
解放された。

 黄葉や色づく田んぼ、松の多い女体山などを眺めながら
最後の足取りを進め、14時40分、ついに88番大窪寺の、
大きな新しい山門をくぐった。

 女体山を背にした広い境内、結願寺にふさわしい建物が
並び、周辺は鮮やかな紅葉に彩られていた。

 読経中は少し感傷的になったが、たいした感慨も湧かず、
着いて当然といった気持ちで結願(けちがん)を迎えた。

 しかし、春から2度の、この長い遍路には、妻子の理解と
応援、道筋での数々のお接待、毎日の疲れを癒して下さった
宿の皆さんなどなど、いろいろな方々のお世話になったお陰
と、感謝の気持ちを込めて参拝、読経する

 何度も行き交ったTさんも結願され、喜びを分かちあう。
彼は野宿主体で回られただけに、喜びは一層のことと思わ
れた。

 寺は標高445mの高地にあり、香川県の県木「大窪寺の
イチョウ」はすっかり葉を落としていた。でもモミジは見ごろ。


 太陽が山陰に隠れ、体が冷えてきた。門前の店で暖か
いかやくうどんを食べてから、近くにある結願の宿、民宿
八十窪(やそくぼ)に入る。

 まず入浴して汗を流す。新しい洗濯機は無料で使える、
部屋も新しくトイレ付きで清潔な宿だ。

 17時過ぎからの夕食には、心づくしの赤飯が盛られて
いた。結願の同宿は、H、U、Iの皆さんと、善通寺宿坊で
一緒だった大阪の男性、そして私の5人。

 夕食の席での話題の中心は、1番霊仙寺にお礼参りに
行くかどうか。「1番に戻るのを勧めているのは霊山寺だけ
で、ほかでは高野山に向かえばよいと言っている」などの話
が出たが、結局、それぞれの考えで決めれば、というのが
結論となった。

 私は、歩いて四国一周の輪を結びたいという考えから、
1番に向かうことにした。コースは、山下さんに勧められた、
総奥の院・與田寺、大坂峠越えで行くことにする。

 明日の宿は、他に適当なところがないので香川県境に近い
ホテルひけたを予約、そのことを話したら、おかみさんから
「そこはモーテルだよ」と言われた。でもへんろ地図にも掲載
の宿なので、予定通り行くことにする。

〈コースタイム〉いしや旅館7:12ー当願大明神8:00ー番外玉泉
寺8:15~18ーへんろ橋8:38ー87番長尾寺8:57~9:28ー塚原
9:55ー一心寺10:10~13ー前山おへんろ交流サロン(昼食)
10:53~11:58ー昼寝城址案内図12:38~47ー助光東三差路
13:34ー旅館竹屋敷そばの三差路14:03ー88番大窪寺14:40~
15:32〈結願〉ー民宿八十窪15:58

(距離 23㎞、歩行地 さぬき市、地図 高松南部、歩数 
 39,700)

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