あるきメデス

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フランス航空教育団来日100周年記念式典に参加(埼玉・所沢)

2019-04-08 15:53:10 | 所沢だより
 2019年4月7日(日)

 所沢航空記念公園の野外ステージで、12時から「フランス航空教育団来日100周年
記念式典」が開催されることが、直前にそばを通ったら分かったので、私も参加すること
にして11時50分過ぎに観覧席に入りました。


 実は私もこの催しのことを知り、4月1日に事務局である所沢市役所産業観光課で、最
低額ではありますが協賛金を納入していたのでした。
     


 すでにステージ上には、フランス共和国の来賓と日本側来賓が待機しておられました。



 ステージ中央に国歌演奏をする航空自衛隊航空中央音楽隊の隊員も着席し、12時から
式典に先立ち、所沢市観光大使・JAY'S GARDENの歌唱が始まりました。

 所沢市のイメージキャラクター「トコろん」も一緒に参加して熱演です。








 そして記念式典が開始され、フランス国歌と日本国家が航空中央音楽隊の演奏により行
われました。


 ところで、フランス航空教育団来日までのいきさつは、以下のようなことなのです。

 所沢は、首都・東京に近い、交通の便が良い、落雷が少ない、地形が平坦、といったこ
とから飛行場に適した立地条件にあり、ライト兄弟が人類初の有人飛行に成功してからわ
ずか8年後の1911年に、日本初の飛行場ができたのでした。

 所沢飛行場では、徳川好敏大尉が操縦するフランス製のアンリ・ファルマン機が、日本
で初めて飛行場での飛行に成功、国産飛行機による最初の飛行、所沢飛行場で造られた飛
行船「雄飛号」が所沢から大阪まで初飛行、といった記念すべき記録が刻まれました。

 このようにして所沢は、「日本の航空発祥の地」と呼ばれるようになったのです。

 当時、世界一の航空技術を持っていたのがフランスでした。フランスから飛行機を購入
した日本は、航空技術を学ぶために協力を依頼し、それに応えてフランスから航空教育団
が1919年に来日し、今年はちょうど100年を迎えました。

 来日したフランス航空教育団を率いていたのがフール大佐です。当時第1級の操縦士だ
ったフール大佐は、優秀な教育者として日本各地で航空技術の指導にあたり、所沢では飛
行機製作などを教えたようです。

 日本の航空技術を飛躍的に押し上げたフォール大佐の功績を称えて、当公園内には胸像
が設置されています。

 このイベントのパンフレット表紙に掲載された飛行機の写真


 両国の国歌演奏の後、この催しを主催する「フランス航空教育団来日100周年記念イ
ベント所沢実行委員会」の方の挨拶が。左の女性は手話通訳の人。
    

 続いてステージ両側に並ぶ両国の登壇者の紹介があり、そのあと藤本正人所沢市長の挨
拶がありました。
    

 次は、フランスを代表して駐日フランス共和国全権大使(フランス大使)からの挨拶。
    
                            後方は通訳の方


 会場周辺のソメイヨシノはまさに満開に。


 続いて、上田清司埼玉県知事から、県の偉人渋沢栄一はフランスの優れた金融や経済の
仕組みなどを日本国内に広めて日仏友好に尽力したこと、今年秋開催のラグビーワールド
カップや来年の東京オリンピックなどが次回フランスに引き継がれることなどについて挨
拶で話されました。
    

 地元埼玉8区出身の衆議院議員である柴山昌彦文部科学大臣の挨拶が続きます。
         

 最後の挨拶は、もと統合幕僚会議議長で陸軍士官学校(陸士)60期出身の森繁弘さん。
         
 90歳を超えておられるようですが、陸士在学時に東条英機大将が予告無しで来校し、
陸士の教育法を酷評して帰ったが、帰った直後に徳川校長(幕府徳川家の子孫)が全生徒
を集め、陸士のフランス式教育法は優れているので安心して勉学に励むよう話された、と
いうエピソードを紹介されました。

 挨拶に次いで、100年前の航空教育団の子孫と、教育を受けた日本人の子孫が壇上に
上がりました。


 まずはフランス側の子孫について、フランス大使から流ちょうな日本語で紹介を。


 次に、日本側の子孫についてもフランス大使から。
 
 
 日本側子孫については、実行委員会会長の東大・鈴木教授からも補足説明が。
       
  
 左側が日本側、右手がフランス側の子孫の方々
  

 このあとフランス側子孫の代表の方からの挨拶が。
         

 日本側子孫の挨拶は、SF漫画作家で知られる松本零士さん。
    

 松本さんのお父さんは、フランス教育使節団から教育を受けた日本のパイロットの先駆
けの1人であり、第2次世界大戦では部下のパイロットをたくさん失ったことなどよく聞
いておられたとのこと。

 自分も後を継ぎたいと考えたが近視のために断念し、以後も空への憧れを持ち続け、そ
れをSF漫画に変えて活かそうと考えたことなど話されました。

 お父さんが訓練中に被っていた帽子をもらっており、その帽子を披露されました。
                         
 松本さんの挨拶が終わり、両国の子孫の方々がお互いに握手して友好を確かめ合いまし
た。


 続いて、フランス大使館付国防武官の海軍大佐・クリストフ・ピポロさんから、フラン
ス航空教育団についての解説がありました。
    

         
 最後に、この催しの実行委員会会長で、落ちない飛行機の研究をしているという鈴木真
二東大教授(航空工学)から、当初の使節団は半年の予定でフラン政府の負担にて来日し
たが、さらに日本側の希望と負担で継続を依頼して1年以上に及んだことなどの話があり、
13時20分頃式典は終了しました。


 このあと13時30分からは、航空自衛隊航空中央音楽隊による祝賀演奏が行われます
が、私はここで切り上げて会場を出ました。

 野外ステージの西側、日本庭園の南側になる斜面に、フール大佐像があるので立ち寄り
ました。アプローチには花束が供えたれています。


     

         

 像の下のプレートには、フォール大佐以下63人の使節団の名前が刻まれています。
         

 今回、新プレートにしたことについて、アプローチ入口に新たに掲示されたプレート。


 フォール大佐像の西側遊歩道を上がり、日本庭園の西側入口付近へ。


 その先に立つこの催しのゲート


 さらに進んで西武新宿線航空公園駅の自由通路を西に抜けて、帰路につきました。



 なお、この催しについてはこちらをご参照下さい。




  
  




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