あるきメデス

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四国遍路道ある記(後編)・香川その6

2006-12-24 18:44:53 | 初めての四国遍路
 第16日 2004年11月28日(日) 晴
 <84番屋島寺~86番志度寺>
 =壇ノ浦を挟んで=


 
 6時25分起床、7時朝食。今日は個々に歩くことにして、
Kさん、Iさんと別れ、7時55分に東横インを出る。昨日より
暖かい感じだ。

 琴平電鉄琴平線と長尾線の踏切を越え、多賀神社前を東に
進んで御坊川を渡る。千代橋のたもとに浜街道の由緒が記さ
れていた。

 国道11号に出て詰田川にかかると、行く手に屋島が全容を
見せた。日曜日なので、いつも多い国道の車が少ないので助
かる。

 新川大橋先の交差点を左折、琴電潟本駅の横から遍照院前
を過ぎると、簡易舗装の急坂となる。享保11年(1726)の丁石
の並ぶ坂道は、ハゼ、クヌギ、モミジなどの紅葉の彩りがよい。


 「弘法大師加持水」と「食わずの梨」(写真)の間に台風による
土砂崩壊地があり、簡易舗装は埋もれ、細い土道が急造され
ていた。

 山頂へ早朝ウオーキングに上がった地元の人たちが、次々に
下りて来て挨拶を交わす。木の間越しに高松市街の展望が広が
ってきた。大きな岩盤の露出する畳岩を過ぎ、ジグザグに上がっ
て84番屋島寺に着いた。

 玉砂利の敷かれた広い境内、本堂、大師堂ほか幾つもの堂塔
が並び、近代的で新しい宝物館もあった。車で来た参拝者も多い。


 可正桜と呼ぶ、寛文6年(1665)に植えたという桜の古木が
境内の一隅にあった。紅葉も色鮮やか。


 先着のTさん、後着のIさんと一緒に、東側のホテル甚五郎の
ところに出た。源平合戦の地、壇ノ浦を隔てて、次の八栗寺の
ある八栗山の特徴ある山容が一望。ちょうどマウンテンバイク
で上がってきた地元の男性が、源平合戦の場所などを説明して
くれた。

 少し南から、木の階段などの急坂が始まった。足を踏み外さ
ぬよう注意しながらドンドン下る。一度車道を横断、さらに下る
と、源義経の家臣で屋島の合戦で死んだ佐藤継信の墓があった。

 さらに下の車道に出て南に向かう。安徳天皇社を過ぎ、県道
150号に入る。上から見えたこの東側一帯の住宅地は、以前
は塩田だった場所だと、先ほどマウンテンバイクの人から聞い
ていた。

 やはり義経の家臣だった菊王丸の墓に寄り、1㎞北で壇ノ浦
に注ぐ相引川の高橋を渡る。満潮で水が一杯の流れにウミウが
泳いでいた。

 すぐ先に、マルナカという大きなスーパーがあったので昼食を
調達し、近くの小公園で食べた。

 東側の須崎寺には、四国八十八か所の案内記を作ったり、
へんろ道の整備するなど、「遍路の父」と仰がれた真念の墓が
ある。土塀に、屋島合戦図など近辺の名所の説明板も掲げ
られていた。

 本堂のさいせん箱には、昭和19年度疎開児童が寄付した
ことが記されており、第2次大戦の歴史の一端が残されていた。
境内の大イチョウがよい彩りである。

 牟礼北小横から団体客で賑わう「うどんの山田屋」にかけ、
へんろ道はくねくねと出入りしている。


 八栗ケーブルの駅横から鳥居をくぐると簡易舗装の急坂が
始まった。弘法大師像ほか、たくさんの石像の並ぶ弘法大師
加持水を過ぎ、さらにひと上りで八栗山の中腹にある85番
八栗寺に着いた。

 「歓喜天」の掲額がある鳥居の先に山門があり、背後に大岩
を抱えた山寺。本堂の右手先方に大師堂と多宝塔が並ぶ。

 朱塗りの多宝塔のそばにあるモミジの紅葉が素晴らしい。
香川県の保存樹木「八栗寺のイチョウ」も、鮮やかな黄葉を
見せていた。

 この先もTさんが先行し、Iさんがすぐ後になり、南に向かって
車道を下る。講習中で、騒がしい音を響かすマウンテンバイク
場の横を過ぎる。この辺りの沿道もモミジやハゼの黄葉が見
ごろ。

 今日も暖かくなり、南風が汗ばむ体に気持ちよい。池の真ん
中から噴水が上がる2つ池親水公園を過ぎ、県道145五号
に出る。志度の町並みや志度湾が見えてきた。県道は車が少
ないので歩きやすい。

 両側の田んぼはかなり早く刈り入れが住んだのか、ひこばえ
が固い粒をたくさんつけ、2度目の黄金色を見せている。

 琴電志度線の讃岐牟礼駅付近で再び国道11号に出たが、
日曜の午後で車は少ない。「うどん商人つづみ屋」の看板が
あったので寄り、冷たいぶっかけうどんを食べた。

 ここも腰の強いめんに、ゴマやカボス汁をかけて250円の
小玉だったが、おいしかった。

 その間に抜かれたIさんに追いつき、幡羅八幡宮の先で、国
道11号に平行する海側の旧道へ。志度町に、私が遍路用品
を通販で買った「表装の詠智会」の店があったが、日曜休業
なのか人がいないので、寄らずに先へ向かう。


 次のY字路に、りっぱな石灯籠と平賀源内の説明板があっ
た。石灯籠は船の目印にしたという。平賀源内はこの地の
出身、近くの平賀源内邸は遺品館になっていた。


 すぐ先の地蔵寺には、りっぱな夫婦柏がある。志度寺十一
面観音を刻んだ残り木を埋めた跡地から芽生えたという霊木
で、樹齢は千年以上になるという。


 今日の宿、いしや旅館にザックを預け、さらに進んだ突き当
たりの86番志度寺に入る。1万㎡あるという広い境内。山門
脇の五重塔が、傾いた夕日にライトアップされたように輝いて
いた。


 藤原不比等の子と行基とが伽藍を築いたという古寺。本堂
は国重文である。境内には幼稚園や老人福祉施設もあった。

 16時半過ぎ、いしや旅館に戻った。この宿も、道路側と中間
の建物は明治初期の建物とかで、最近選定された文部省の
登録有形文化財認定証が玄関内に掲示してあった。

 中の間と廊下を経て、昭和の建築という南側の部屋に案内
された。入浴後、家庭用の洗濯機を借りて洗濯をする。

 今日の宿泊は私とIさんのみ。久しぶり早めの夕食は魚介類
が中心でおいしい。落ち着けるよい宿だ。夕食後、2日分の
レポートを整理する。

〈コースタイム〉東横イン高松7:55ー新川大橋9:00ー池のそば
のベンチ9:15~20ー屋島御加持水9:35ー84番屋島寺10:03~
50ー佐藤継信の墓11:33ースーパーマルナカ11:58~12:11ー
小公園(昼食)12:14~40ー番外洲崎寺12:42~46ー八栗登山口
駅横13:08ー85番八栗寺13:30~14:05ーうどん商人つづみ屋
14:50~15:06ー86番志度寺15:57~16:25ーいしや旅館16:30

(距離 23㎞、歩行地 高松市、牟礼町、さぬき市、地図、高松
 南部、高松、歩数 38,000)

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