昨日に続く塩の道・千国街道のレポートです。以下は昨年8月末に
出かけたものです。
2005年8月31日(火)
=塩の道・千国街道 北小谷~小滝=
残暑が納まらないが8月も月末になったので、4年がかりの塩の道・
千国街道の最終コース、北小谷~糸魚川の歩きに出かけた。
今回のコースは、JR大糸線北小谷からだが、適当な宿がないので、
一つ手前の南小谷駅に近い、民宿に前日に来て泊まった。

5時50分起床。曇っているが谷間から稜線にかけ、山ははっきり
見えるので雨の心配は少なそう。
朝食後、お願いしておいた弁当を受取り、駅に向かう。半袖では
少し冷える感じで、気温は15℃前後だろうか。
7時55分発ワンマン1両のジーゼル車に乗り、2つ先、無人の北小谷
駅に8時7分に着いた。
ここからの塩の道は2ルートある。人気があり道も整備されていると
思われるのは、東側の大網峠を越えて山口に下るコースだが、宿の
関係などから今回は、西ルートの天神道を通って大峰峠越えのコース
を行くことにした。
姫川を小谷橋で渡り、道の駅おたりまでは昨年歩いたところ。水曜
の今日、道の駅は休業日だった。

早朝なので車の少ない国道148号を500m足らず、島温泉の横から
「塩の道天神道」の道標に従い、草の道に上がる。
夕べの雨で濡れた草がかなり伸びていて、靴もズボンの下部もたち
まち湿る。まだ赤くなく、小さな白花のミズヒキがたくさん咲いている。
橋の流された小さい流れを横断し、杉木立の下を進むと、「唐沢の
石仏」の表示があり、文政年間(1818~30)のこけむした石仏が
数基並んでいた。
舗装した林道を横切り、樹林下をトラバースしながら進み、塩沢の
砂防ダム下を橋で越える。

秋の虫の音を聞きながら行くと、東側の展望が開け、姫川対岸の斜面
に李平(すももだいら)方面の集落が見えた。

国道の塩坂トンネル上を緩やかに上り、峠になっている城ノ越に着く。
松の木の根元に文化年間(1804~18)の石仏が2体あり、茶店が
あったことも記されていた。

木の樋から清水が流れ落ちていたので、汗をかいていて乾いたのど
を潤した。
未舗装だが1車線ほどの道から右下に下る道標があり、草の伸びた
分かりにくい細道に入る。

太陽が直接当たるところは草が伸びているが、少し先で樹間に入っ
たら道もはっきりしてきた。

ブナも茂る林を通過し、姫川の流れを見下ろしたりして、右が低い
斜面をトラバースして行くと、3体の石仏が並ぶ「砂山の石仏」がある。
文政9~10年建立のものである。

急流が流れ落ちる前沢に出て、三段続く砂防用堰堤(えんてい)の間に
かかる橋を渡る。
少し下の大きな砂防用堰堤の横を国道に下った。国道は塩坂トンネル
を抜けたところ、すぐ先で国道の東側棚田の横を下って湯原の集落を
過ぎる。
姫川左岸、河川敷の道を進むと大規模な砂利の堆積場がある。川沿い
を進んだが、上に上がる気配がないので戻り、堆積場の左横を進んだら、
20基前後の石仏が並んでいた。

猫鼻石仏群と呼ばれ、文政9年(1826)、天保10年(1839)、
文久2年(1861)などの年号が刻まれた庚申塔や二十三夜塔など
である。
塩の道は、石仏群の手前から林に入り、ジグザグに上がって旧国道
に出る。
雪崩除けのために道路を覆う国界洞門に入り、左にカーブして500m
前後進む。

洞門を出ると信越国境、蒲原川にかかる国界橋を渡って長野県小谷村
から新潟県糸魚川市に入った。

橋の上流は滝で、かなりの流量で流れ落ちている。
旧国道はその先、Y字路を左に進むのだが、道路崩壊で通行禁止、
Y字路を右にヘヤピン状に下り、国道の国界橋際に出た。
橋の北側の平坦地に、新しい慰霊碑がある。碑文には「平成7年7月
の豪雨により、ここ蒲原沢でも大規模な土石流が発生、前年完成した新
国界橋が流出した。
その復興と地域の安全のため、砂防ダム等の建設と新国界橋の復旧
工事中、平成8年12月6日、再び大規模な土石流が発生し、工事中の
14名の尊い人命が失われた。

慰霊碑はこの14柱の御霊に哀悼の誠を捧げる…」と記されていた。

すぐ下流の姫川左岸は、高さ100m以上も緑がはがされ、土砂が
むき出し。当時の崩壊のすさまじさがしのばれた。
すぐ先、大所トンネルの手前で国道の右に下り、合宿所風の一軒家の
手前の道標に従い、沢の左岸沿いの山道をジグザグに上る。
ここも日の当たるところは草が伸びていて、ちょっと分かりにくい。
電線が道路を横断しているところで旧国道に戻った。
民宿アルプスの看板の出た建物がある。すぐ先が葛葉峠で、標高は
約450mである。
今は通過車もないが、国道時代の峠の休み所だったらしい3棟の廃屋
が残っていた。 (続く)
出かけたものです。
2005年8月31日(火)
=塩の道・千国街道 北小谷~小滝=
残暑が納まらないが8月も月末になったので、4年がかりの塩の道・
千国街道の最終コース、北小谷~糸魚川の歩きに出かけた。
今回のコースは、JR大糸線北小谷からだが、適当な宿がないので、
一つ手前の南小谷駅に近い、民宿に前日に来て泊まった。

5時50分起床。曇っているが谷間から稜線にかけ、山ははっきり
見えるので雨の心配は少なそう。
朝食後、お願いしておいた弁当を受取り、駅に向かう。半袖では
少し冷える感じで、気温は15℃前後だろうか。
7時55分発ワンマン1両のジーゼル車に乗り、2つ先、無人の北小谷
駅に8時7分に着いた。
ここからの塩の道は2ルートある。人気があり道も整備されていると
思われるのは、東側の大網峠を越えて山口に下るコースだが、宿の
関係などから今回は、西ルートの天神道を通って大峰峠越えのコース
を行くことにした。
姫川を小谷橋で渡り、道の駅おたりまでは昨年歩いたところ。水曜
の今日、道の駅は休業日だった。

早朝なので車の少ない国道148号を500m足らず、島温泉の横から
「塩の道天神道」の道標に従い、草の道に上がる。
夕べの雨で濡れた草がかなり伸びていて、靴もズボンの下部もたち
まち湿る。まだ赤くなく、小さな白花のミズヒキがたくさん咲いている。
橋の流された小さい流れを横断し、杉木立の下を進むと、「唐沢の
石仏」の表示があり、文政年間(1818~30)のこけむした石仏が
数基並んでいた。
舗装した林道を横切り、樹林下をトラバースしながら進み、塩沢の
砂防ダム下を橋で越える。

秋の虫の音を聞きながら行くと、東側の展望が開け、姫川対岸の斜面
に李平(すももだいら)方面の集落が見えた。

国道の塩坂トンネル上を緩やかに上り、峠になっている城ノ越に着く。
松の木の根元に文化年間(1804~18)の石仏が2体あり、茶店が
あったことも記されていた。

木の樋から清水が流れ落ちていたので、汗をかいていて乾いたのど
を潤した。
未舗装だが1車線ほどの道から右下に下る道標があり、草の伸びた
分かりにくい細道に入る。

太陽が直接当たるところは草が伸びているが、少し先で樹間に入っ
たら道もはっきりしてきた。

ブナも茂る林を通過し、姫川の流れを見下ろしたりして、右が低い
斜面をトラバースして行くと、3体の石仏が並ぶ「砂山の石仏」がある。
文政9~10年建立のものである。

急流が流れ落ちる前沢に出て、三段続く砂防用堰堤(えんてい)の間に
かかる橋を渡る。
少し下の大きな砂防用堰堤の横を国道に下った。国道は塩坂トンネル
を抜けたところ、すぐ先で国道の東側棚田の横を下って湯原の集落を
過ぎる。
姫川左岸、河川敷の道を進むと大規模な砂利の堆積場がある。川沿い
を進んだが、上に上がる気配がないので戻り、堆積場の左横を進んだら、
20基前後の石仏が並んでいた。

猫鼻石仏群と呼ばれ、文政9年(1826)、天保10年(1839)、
文久2年(1861)などの年号が刻まれた庚申塔や二十三夜塔など
である。
塩の道は、石仏群の手前から林に入り、ジグザグに上がって旧国道
に出る。
雪崩除けのために道路を覆う国界洞門に入り、左にカーブして500m
前後進む。

洞門を出ると信越国境、蒲原川にかかる国界橋を渡って長野県小谷村
から新潟県糸魚川市に入った。

橋の上流は滝で、かなりの流量で流れ落ちている。
旧国道はその先、Y字路を左に進むのだが、道路崩壊で通行禁止、
Y字路を右にヘヤピン状に下り、国道の国界橋際に出た。
橋の北側の平坦地に、新しい慰霊碑がある。碑文には「平成7年7月
の豪雨により、ここ蒲原沢でも大規模な土石流が発生、前年完成した新
国界橋が流出した。
その復興と地域の安全のため、砂防ダム等の建設と新国界橋の復旧
工事中、平成8年12月6日、再び大規模な土石流が発生し、工事中の
14名の尊い人命が失われた。

慰霊碑はこの14柱の御霊に哀悼の誠を捧げる…」と記されていた。

すぐ下流の姫川左岸は、高さ100m以上も緑がはがされ、土砂が
むき出し。当時の崩壊のすさまじさがしのばれた。
すぐ先、大所トンネルの手前で国道の右に下り、合宿所風の一軒家の
手前の道標に従い、沢の左岸沿いの山道をジグザグに上る。
ここも日の当たるところは草が伸びていて、ちょっと分かりにくい。
電線が道路を横断しているところで旧国道に戻った。
民宿アルプスの看板の出た建物がある。すぐ先が葛葉峠で、標高は
約450mである。
今は通過車もないが、国道時代の峠の休み所だったらしい3棟の廃屋
が残っていた。 (続く)
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