2016年10月30日(日)
== 中山道望月宿から塩名田宿を経て佐久平駅へ ==
宿泊した佐久市望月の青木荘で記念撮影をして、8時20分に出発した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/68/130cb7942b566210a7ac7159413a7935.jpg)
今日は中山道望月宿(もつづきしゆく)から東へ、八幡宿(やわたしゅく)、塩名田宿
(しおなだしゅく)を経てJR佐久平(さくだいら)駅までの予定である。
望月宿入口交差点まで戻って鹿曲川の橋を渡ると、右岸の木の下に西宮神社があった。
絶壁をうがって、近江(おうみ)・琵琶湖の竹生島(ちくぶじま)から勧請(かんじょう)
した弁財天が祭られているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/29/e06879dd996ba99df3a1f7a0cbc95e54.jpg)
右岸沿いの道を次の橋際まで進んで中山道に入り、長坂を上がる。斜面下に「中山道長
坂石仏群」の標柱が立ち、ツタの絡まったものなど古い石仏が並んでいた。近くの野菊な
どがよい彩り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/dd/1cf74b7fbfd1ba050e7a808875996d6b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/31/31556d93c5a17e5fd186e87c77c61886.jpg)
車道を少しで、車道をショートカットする瓜生(うりゆう)坂の急坂へ。車道に合した
ところにも数基の石仏が並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/be/62960144da27bb305133dd5eb2e8ae63.jpg)
瓜生坂のピーク、標高745m付近には「中山道一里塚跡」の標石と「中山道瓜生坂の
一里塚」の説明板があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/a7/753eb2edc361236695238adc6d99f229.jpg)
二つのヘヤピンカーブを下って国道147号に入る。百沢集落の旧道の交差点際に標高
690.4mの水準点が残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/c8/b87b4d1c51896f69c1554f2b0ccd8559.jpg)
近くに「祝言(しゆうげん)道祖神」と呼ぶ、宮廷貴族の服装をした男女が酒を酌み交
わす、珍しい姿の双体道祖神が立っている。そばのダリアが鮮やかな彩りで咲く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/d6/43e652296277baff8a55294c3e224e33.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/c7/1bb7cd0574568b7e3debe7767db79343.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/51/b76ac111bef1d336cbf934db2b8d109a.jpg)
中山道はわずかな百沢の家並み抜け、再び国道142号に合して300mほど進む。周
辺の田んぼや山すそは秋の彩りを見せる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/9a/f4eb6237c0742b7292125a03f4483524.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/ba/1a4cea5c3fdb56bb2af5cb567d78634c.jpg)
国道が右に離れる手前で、中山道に並行する北側の旧道へ。布施川沿いに広がる田園地
帯や、その北側の山並みなど眺めながら進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/aa/53253d1daade24eafa775b924d8dc061.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/a2/8110929d80f60d16926530397ae9d9d9.jpg)
宿を出て1時間余り経過したので、小さなカーブ点で休憩する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/07/1be5c38703e8ab170855a9662848098c.jpg)
さらに500mほどで、北側の布施川沿いの車道にあるローソン佐久蓬田店に回り、昼
食を調達した。
旧道に戻って先に進み、八幡(はちまん)神社に入る。鳥居と社殿の間には2階建ての
楼門、随神門がある。天保14年(1843)に小諸藩主牧野遠江守康哉が願主で、近隣
の村の寄進により造営されたとのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/f7/9201082922c4d0a265f09a9cf3c130cf.jpg)
境内最奥正面の高良社(こうらしや)(旧本殿)は、延徳3年(1491)に望月城主
滋野遠江守光重などによる再建で、国の重要文化財。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/ca/d7a753d617a52922f41fa1983ff4d714.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/fc/901377a95430fdccb2a9ad9f592d8f41.jpg)
手前右手が八幡神社本殿で、社殿の周囲には彩色がわずかに残る精巧な木彫が豊富に施
され、建築当初はどのような美しい色彩だったろうかと想像させられる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/2f/f523fcb57fa2d5ddb889b5b5a7cf696e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/f2/7e520c446a6e009f71df753a9018fe5f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/2c/c52c0d97a6ba199064a2794798085896.jpg)
この境内にも標高665.0mの水準点が残る。道路際の鳥居の近くには、大きく傾い
たケヤキの古木が目に付いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/8d/dc5e7e8e33ec155baedf50c019734bb6.jpg)
北側の旧道を来たので中山道八幡宿の家並みは通過せず、本陣跡や脇本陣跡などは確認
せぬまま宿場の東端付近にある八幡神社まで来た。随神門前から東側を少し回り、再び中
山道の道筋に戻る。
田園地帯を抜けて、次の下原(しもはら)集落を通過する。その中心部に旧浅科村(あ
さしなむら)役場だった佐久市役所浅科支所があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/f3/90d09e5d623af3f89232830d7c27346c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/75/4d8187fdbee61a8acf14c93259756e00.jpg)
天祖神社前を過ぎて再び田園地帯となり、家並みが途切れる。佐久川西自動車学校の北
側辺りの空き地に「中山道一里塚跡」の標石があるが、説明板などはない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/a3/6e781eb10e32d0ee75d0e612fc46d0e6.jpg)
次の御馬寄(みまよせ)集落の東で、中山道は千曲川(ちくまがわ)の中津橋を歩道専
用橋で渡る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/ed/f340437470e39b2ac1dfa9e4a5001de0.jpg)
渡り終えてすぐ、右に下り橋下を北に抜けると「舟つなぎ石・千曲川舟橋」の説明板が
あった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/38/1b9a394a99801d764ec1c3f484f14a21.jpg)
明治初年の水害で千曲川橋が落ち、明治6年(1873)に川に舟をつないで上に板を
掛けた舟橋で交通を確保し、その際舟をつなぐため大石に穴を開けた石を「舟つなぎ石」
と呼んだという。ここでしばらく休憩とする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/89/5c0f940983e0dec07c0698c0149d778a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/2e/2936ede786085b99bb1ce4cd33c4c7ea.jpg)
東に延びる細道が中山道塩名田宿の西端で、短いが街道らしさが感じられる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/05/dcaacf0bf731a1f059bc8b6ab7cee876.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/d2/4b7e3456b1af575004d6566da3ca5a79.jpg)
中津橋からの車道と合する手前のがけ下に、十九夜塔や標高622.8m水準点などが
あり、休憩舎も設けられていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/67/94d7a12826d004489cf8cf047e0bd7ea.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/c0/e5831235a87bb0ce97c1bcda3a4782fa.jpg)
かつてはここに豊富な湧水があり、旅人ものどを潤したというが、現在はわずかな湧水
のみ。そばに、木造三階建ての住居も残っている。その先の石垣のツタが、よい彩りに。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/e6/e355e4bdacdf0a863e84710ad15b847b.jpg)
中津橋からの車道に戻ると、南側に佐越(さごし)佐藤家住宅がある。佐藤家は、塩名
田宿で最も古い町屋の形式を残す家とか。間口7間半、奥行10間という大型家屋である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/6c/ab1f5f0b65f958820ed37b9d8099c0fc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/53/a0d9f5fd0c27a039f407325aabb25353.jpg)
隣接する佐久市公民館浅科地区館前の広場には、塩名田宿の大きな案内図が掲示され、
道路の北側の建物には「問屋本陣」の標札が架かっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/7e/1c1885ad9443515eb7cd02d318768193.jpg)
隣は「中仙堂」と呼ぶ書画・骨董などの店で、店の前に古い大砲らしいものなどが置か
れている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/11/e296c461587b74239c48509a6c0f5d2c.jpg)
塩名田宿の東端、五差路の塩名田交差点際には道祖神塔が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/49/e44abb0f63253fa5000eb6332bb5d46e.jpg)
交差点から南東に延びる県道154号が中山道、700mほど進んだ下塚原の高台にあ
る駒形神社に正午頃に上がり、昼食とする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/2e/593c0aaa115f60f7a5a5e68eaa9f8df6.jpg)
神社の創建時期は不明のようだが、この辺りは信濃牧(馬)の地で、祭神は騎乗の男女
2神なので牧に関連した神社と推定されるとのこと。
覆屋(おおいや)で保護された社殿は文明18年(1486)の再建と伝えられ、国の
重要文化財に指定されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/7d/55767a8018631a01264faa9271764990.jpg)
境内は色づき始めた豊富な落葉広葉樹などに覆われ、社殿の前には2本の大杉が並ぶ。
足もとの草むらを歩くと、数えきれぬほどの小さなカエルが飛び出した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/5c/3a41565ee37f7af9886b02f3a2dc7574.jpg)
12時42分に神社を出た。浅間山の西に延びる高峰高原などの山並みや、広々とした
田園地帯などを眺めながら東に向かう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/94/e6ce12a0c9202f27d56888f77ace9820.jpg)
下塚原集落の東端辺りには、大きなケヤキが1本、のびのびと枝を広げて立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/44/54407c704a47caaf36ce46ce18b10ae6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/b1/e4e47bddc21c7327cf1db8bc95f91105.jpg)
直線で延びる道を東へ、水田とリンゴ園が交互に何か所か続き、どのリンゴ園にも色づ
いた実がたわわに実る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/3c/f25820696699c6bee29ae33dca57f65d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/b2/f3c9c2e4872c64c5d1d777e5dcef8c14.jpg)
中央を横切る白い直線は北陸新幹線
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/e0/4c15e8b5cfaa9ce29e94fa483b5b594d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/40/4e456011cf263f5c4dee17de02b57162.jpg)
路傍のススキの群落にカメラを向けたら、その向こうの寺の墓地に観音像らしい大きな
立像があるのに気付いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/e5/d631aa4b4540a7568d56ed626bf3e759.jpg)
根々井塚原集落の東端まで進み、中佐都郵便局の先の平塚の家並みで中山道の県道154
号に戻る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/b1/7151c186630daa4776b7e7d17fa7eb7d.jpg)
地図に無い新しい中部横断自動車道下を抜け、すぐ北にあった荘山稲荷神社で最後の休
憩。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/24/7b2e6fca3ca0a10e9b7511229626edf0.jpg)
長野のYさんはこの自動車道の建設に辺り、周辺の環境アセスメントを実施されたとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/02/e7db216ec7328e577605d35f46ac01fc.jpg)
盛土上の神社からは、北側間近に佐久平駅前のイオンの大きな建物が望まれ、近くの田
んぼでは、コンバインで稲の刈り入れが進んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/01/5305dc98ebea23eefb094b9dee7a2a9c.jpg)
自動車道の東側沿いに進み、リンゴ園の横を通過して北側の県道44号に出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/04/25809df7cc596ba86f41b1fcc177a10c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/4a/1e3727165f27b07d8fc1e615fc9d59a8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/6c/4cdb80d1c3d2c8a9f9d88274621e126c.jpg)
カエデやナナカマドが色づき広場で開催中のフリーマーケットを見ながら市民交流広場
の横を進み、ゴールのJR佐久平駅に14時ちょうどに着いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/d4/99da8809da65f6ea5c5ae7001fd1dfbb.jpg)
私たちは14時23分発北陸新幹線上りあさま640号で、長野市のYさんは4分後の
下りあさま611号で帰路につく。往路のような混雑が心配されたが、上りの自由席はガ
ラガラだった。
(天気 晴、距離 12㎞、地図(1/2.5万) 丸子、小諸、歩行地 佐久市、歩数
22,500、累積標高差 上り約210m、下り約190m)
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== 中山道望月宿から塩名田宿を経て佐久平駅へ ==
宿泊した佐久市望月の青木荘で記念撮影をして、8時20分に出発した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/68/130cb7942b566210a7ac7159413a7935.jpg)
今日は中山道望月宿(もつづきしゆく)から東へ、八幡宿(やわたしゅく)、塩名田宿
(しおなだしゅく)を経てJR佐久平(さくだいら)駅までの予定である。
望月宿入口交差点まで戻って鹿曲川の橋を渡ると、右岸の木の下に西宮神社があった。
絶壁をうがって、近江(おうみ)・琵琶湖の竹生島(ちくぶじま)から勧請(かんじょう)
した弁財天が祭られているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/29/e06879dd996ba99df3a1f7a0cbc95e54.jpg)
右岸沿いの道を次の橋際まで進んで中山道に入り、長坂を上がる。斜面下に「中山道長
坂石仏群」の標柱が立ち、ツタの絡まったものなど古い石仏が並んでいた。近くの野菊な
どがよい彩り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/dd/1cf74b7fbfd1ba050e7a808875996d6b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/31/31556d93c5a17e5fd186e87c77c61886.jpg)
車道を少しで、車道をショートカットする瓜生(うりゆう)坂の急坂へ。車道に合した
ところにも数基の石仏が並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/be/62960144da27bb305133dd5eb2e8ae63.jpg)
瓜生坂のピーク、標高745m付近には「中山道一里塚跡」の標石と「中山道瓜生坂の
一里塚」の説明板があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/a7/753eb2edc361236695238adc6d99f229.jpg)
二つのヘヤピンカーブを下って国道147号に入る。百沢集落の旧道の交差点際に標高
690.4mの水準点が残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/c8/b87b4d1c51896f69c1554f2b0ccd8559.jpg)
近くに「祝言(しゆうげん)道祖神」と呼ぶ、宮廷貴族の服装をした男女が酒を酌み交
わす、珍しい姿の双体道祖神が立っている。そばのダリアが鮮やかな彩りで咲く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/d6/43e652296277baff8a55294c3e224e33.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/c7/1bb7cd0574568b7e3debe7767db79343.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/51/b76ac111bef1d336cbf934db2b8d109a.jpg)
中山道はわずかな百沢の家並み抜け、再び国道142号に合して300mほど進む。周
辺の田んぼや山すそは秋の彩りを見せる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/9a/f4eb6237c0742b7292125a03f4483524.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/ba/1a4cea5c3fdb56bb2af5cb567d78634c.jpg)
国道が右に離れる手前で、中山道に並行する北側の旧道へ。布施川沿いに広がる田園地
帯や、その北側の山並みなど眺めながら進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/aa/53253d1daade24eafa775b924d8dc061.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/a2/8110929d80f60d16926530397ae9d9d9.jpg)
宿を出て1時間余り経過したので、小さなカーブ点で休憩する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/07/1be5c38703e8ab170855a9662848098c.jpg)
さらに500mほどで、北側の布施川沿いの車道にあるローソン佐久蓬田店に回り、昼
食を調達した。
旧道に戻って先に進み、八幡(はちまん)神社に入る。鳥居と社殿の間には2階建ての
楼門、随神門がある。天保14年(1843)に小諸藩主牧野遠江守康哉が願主で、近隣
の村の寄進により造営されたとのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/f7/9201082922c4d0a265f09a9cf3c130cf.jpg)
境内最奥正面の高良社(こうらしや)(旧本殿)は、延徳3年(1491)に望月城主
滋野遠江守光重などによる再建で、国の重要文化財。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/ca/d7a753d617a52922f41fa1983ff4d714.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/fc/901377a95430fdccb2a9ad9f592d8f41.jpg)
手前右手が八幡神社本殿で、社殿の周囲には彩色がわずかに残る精巧な木彫が豊富に施
され、建築当初はどのような美しい色彩だったろうかと想像させられる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/2f/f523fcb57fa2d5ddb889b5b5a7cf696e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/f2/7e520c446a6e009f71df753a9018fe5f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/2c/c52c0d97a6ba199064a2794798085896.jpg)
この境内にも標高665.0mの水準点が残る。道路際の鳥居の近くには、大きく傾い
たケヤキの古木が目に付いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/8d/dc5e7e8e33ec155baedf50c019734bb6.jpg)
北側の旧道を来たので中山道八幡宿の家並みは通過せず、本陣跡や脇本陣跡などは確認
せぬまま宿場の東端付近にある八幡神社まで来た。随神門前から東側を少し回り、再び中
山道の道筋に戻る。
田園地帯を抜けて、次の下原(しもはら)集落を通過する。その中心部に旧浅科村(あ
さしなむら)役場だった佐久市役所浅科支所があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/f3/90d09e5d623af3f89232830d7c27346c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/75/4d8187fdbee61a8acf14c93259756e00.jpg)
天祖神社前を過ぎて再び田園地帯となり、家並みが途切れる。佐久川西自動車学校の北
側辺りの空き地に「中山道一里塚跡」の標石があるが、説明板などはない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/a3/6e781eb10e32d0ee75d0e612fc46d0e6.jpg)
次の御馬寄(みまよせ)集落の東で、中山道は千曲川(ちくまがわ)の中津橋を歩道専
用橋で渡る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/ed/f340437470e39b2ac1dfa9e4a5001de0.jpg)
渡り終えてすぐ、右に下り橋下を北に抜けると「舟つなぎ石・千曲川舟橋」の説明板が
あった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/38/1b9a394a99801d764ec1c3f484f14a21.jpg)
明治初年の水害で千曲川橋が落ち、明治6年(1873)に川に舟をつないで上に板を
掛けた舟橋で交通を確保し、その際舟をつなぐため大石に穴を開けた石を「舟つなぎ石」
と呼んだという。ここでしばらく休憩とする。
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東に延びる細道が中山道塩名田宿の西端で、短いが街道らしさが感じられる。
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中津橋からの車道と合する手前のがけ下に、十九夜塔や標高622.8m水準点などが
あり、休憩舎も設けられていた。
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かつてはここに豊富な湧水があり、旅人ものどを潤したというが、現在はわずかな湧水
のみ。そばに、木造三階建ての住居も残っている。その先の石垣のツタが、よい彩りに。
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中津橋からの車道に戻ると、南側に佐越(さごし)佐藤家住宅がある。佐藤家は、塩名
田宿で最も古い町屋の形式を残す家とか。間口7間半、奥行10間という大型家屋である。
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隣接する佐久市公民館浅科地区館前の広場には、塩名田宿の大きな案内図が掲示され、
道路の北側の建物には「問屋本陣」の標札が架かっていた。
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隣は「中仙堂」と呼ぶ書画・骨董などの店で、店の前に古い大砲らしいものなどが置か
れている。
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塩名田宿の東端、五差路の塩名田交差点際には道祖神塔が立っていた。
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交差点から南東に延びる県道154号が中山道、700mほど進んだ下塚原の高台にあ
る駒形神社に正午頃に上がり、昼食とする。
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神社の創建時期は不明のようだが、この辺りは信濃牧(馬)の地で、祭神は騎乗の男女
2神なので牧に関連した神社と推定されるとのこと。
覆屋(おおいや)で保護された社殿は文明18年(1486)の再建と伝えられ、国の
重要文化財に指定されている。
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境内は色づき始めた豊富な落葉広葉樹などに覆われ、社殿の前には2本の大杉が並ぶ。
足もとの草むらを歩くと、数えきれぬほどの小さなカエルが飛び出した。
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12時42分に神社を出た。浅間山の西に延びる高峰高原などの山並みや、広々とした
田園地帯などを眺めながら東に向かう。
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下塚原集落の東端辺りには、大きなケヤキが1本、のびのびと枝を広げて立っていた。
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直線で延びる道を東へ、水田とリンゴ園が交互に何か所か続き、どのリンゴ園にも色づ
いた実がたわわに実る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/3c/f25820696699c6bee29ae33dca57f65d.jpg)
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中央を横切る白い直線は北陸新幹線
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路傍のススキの群落にカメラを向けたら、その向こうの寺の墓地に観音像らしい大きな
立像があるのに気付いた。
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根々井塚原集落の東端まで進み、中佐都郵便局の先の平塚の家並みで中山道の県道154
号に戻る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/b1/7151c186630daa4776b7e7d17fa7eb7d.jpg)
地図に無い新しい中部横断自動車道下を抜け、すぐ北にあった荘山稲荷神社で最後の休
憩。
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長野のYさんはこの自動車道の建設に辺り、周辺の環境アセスメントを実施されたとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/02/e7db216ec7328e577605d35f46ac01fc.jpg)
盛土上の神社からは、北側間近に佐久平駅前のイオンの大きな建物が望まれ、近くの田
んぼでは、コンバインで稲の刈り入れが進んでいた。
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自動車道の東側沿いに進み、リンゴ園の横を通過して北側の県道44号に出た。
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カエデやナナカマドが色づき広場で開催中のフリーマーケットを見ながら市民交流広場
の横を進み、ゴールのJR佐久平駅に14時ちょうどに着いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/d4/99da8809da65f6ea5c5ae7001fd1dfbb.jpg)
私たちは14時23分発北陸新幹線上りあさま640号で、長野市のYさんは4分後の
下りあさま611号で帰路につく。往路のような混雑が心配されたが、上りの自由席はガ
ラガラだった。
(天気 晴、距離 12㎞、地図(1/2.5万) 丸子、小諸、歩行地 佐久市、歩数
22,500、累積標高差 上り約210m、下り約190m)
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